東京も冬らしく…。「三寒四温」ならぬ「五寒二温」くらいかな。(哲




2012ソスN11ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 21112012

 冬の田のすつかり雨となりにけり

                           五所平之助

植直前の苗が初々しく育った田、稲が青々と成長した田、黄金の稲穂が波打つ田、稲が刈り取られていちめん雪に覆われた田ーー四季それぞれに表情が変わる田んぼは、風景として眺めているぶんにはきれいである。しかし、子どものころから田んぼ仕事を手伝わされた私の経験から言うと、きれいどころか実際はとても骨が折れて決してラクではなかった。平之助は雨の日に通りがかりの冬の田を、道路から眺めているのだろう。似た風景でも「刈田」だと秋の季語だが、今やその時季を過ぎて、稲株も腐りつつある広い田園地帯に降る冬の冷たい雨を、ただ呆然と眺めている。見渡しても田に人影はなく、鳥の姿も見えていない。それでなくとも何事もなく、ただ寂しいだけの殺風景な田園を前にして、隈なく「すつかり」ただただ雨である。ここでは「冬田つづきに磊落の家ひとつ」(友岡子郷)の「家」も見えていなければ、「家康公逃げ廻りたる冬田かな」(富安風生)の「家康公」の影も見えていない。ただ荒寥とした田んぼと雨だけである。詠み手の心は虚ろなのかもしれないとさえ思われてくる。平井照敏編『新歳時記・冬』(1996)所収。(八木忠栄)


November 20112012

 二の酉を紅絹一枚や蛇をんな

                           太田うさぎ

日は二の酉。一年の無事に感謝し、来る年の幸を願うという。関東は酉の市のおとりさま、関西はえびす講のおいべっさんが馴染みだが、どちらも年末に向かっていることを実感するにぎやかな行事である。祭りや縁日を巡業する見世物小屋は、全盛期には全国で300軒にものぼったというが、現在は1軒のみという。仮設の小屋での摩訶不思議な世界は、テレビなどが普及する以前の大衆娯楽として幅広く受け入れられていた。以前、鬼子母神にも見世物小屋が掛かったことがある。小心者のわたしは結局入れなかったが、流れてくる口上と顔見せでじゅうぶん足がすくんだ。紅絹の長襦袢でしなしなと揺れるその人を「好きで食べるのか、病で食べるのか、人として人と交わることができないのか」と紹介する。蛇女は決して声を出さない。それは生身の人間であることを拒絶しているように。「雷魚」(2012年4月・90号)所載。(土肥あき子)


November 19112012

 夕日いま忘れられたる手袋に

                           林 誠司

ういうセンチメンタルな句も、たまにはいいな。忘れられている手袋は、革製やレースの大人用のものではない。毛糸で編まれて紐でつながっているような子ども用のそれだろう。どうして、そう思えるのか。あるいは思ってしまうのか。このことは、俳句という文芸を考えるうえで、大きな問題を孕んでいる。つまり俳句はこのときに、どういう手袋であるのが句に落ち着くのか、情景的にサマになるのかを、どんなときにも問うてくる。要するに、読者の想像力にまかせてしまう部分を残しておくのだ。だからむろん、この手袋を大人用のそれだと思う読者がいても、いっこうに構わない。構わないけれど、そう解釈すると、「夕日いま」という配剤の効果はどこにどう出てくるのか。「いま」は冬の日暮れ時である。忘れたことにたとえ気がついても、子どもだと取りに戻るには遅すぎる。すぐに真っ暗になってしまう。そういう「いま」だと思うからこそ、そこにセンチメンタルな情感が湧いてくる。赤い夕日が、ことさら目に沁みてくるのである。『退屈王』(2011)所収。(清水哲男)




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