先月くらいから毎日のように詩集が送られてくる。そんな季節です。(哲




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November 28112012

 そぞろ寒仕事あり?なし?ニューヨーカー

                           長尾みのる

年九月現在のアメリカの失業率は7.8%だった。日本の約2倍で、相変わらず高い。「そぞろ寒」は秋の季語だけれど、ニューヨークのこの時季は寒さがとても厳しくなる。十数年前、十二月のニューヨークに出かけたとき、マンハッタンの道路では、地下のあちこちから湯気が煙のように白く噴き上げ、街角にはホームレスがたむろしていた。新聞のトップには、「COLD WAR」という意味深な文字が大きく躍っていた。そのことが忘れられない。掲句は冬を目前にして、仕事にありつけないでいるだろうニューヨーカーに思いを致しているのだ。みのるは「POP haiku」と題して、サキソホンを持ってダウンタウンの古いアパートメントに腰を下ろしている、若いニューヨーカーの姿を自筆イラストで大きく描いて句に添えている。私はすぐに十数年前のニューヨーク市街の光景を思い出した。現在はどうなのか? かつて海外放浪をしたみのるが心を痛め、ニューヨークに寄せる思いの一句であろう。彼は1953年に貨物船でアメリカに第一歩を踏んで、三年間に及ぶ世界一周の旅をしたという。「戦勝国なのにボロ着の失業者風の人々を沢山見て夢が弾けそうになった」と記している。俳句の翻訳も多く、「国際俳句ロシア語句会」のメンバーでもある。「慌ててもハナミズキ散るニューヨーク」の句もならんでいる。「俳句四季」2012年11月号所載。(八木忠栄)


November 27112012

 冬眠の蛙や頭寄せ合うて

                           榎本 享

京でも最低気温が10度を下回る日が続くようになり、そろそろ蛙は冬眠に入る頃だ。ウサギやリスなどぬくぬくと群れて冬眠するように思っていたが、蛙は単体で穴に寝ているイメージがあった。枯れきった花の根を掘りていると、冬眠中らしき蛙と遭遇したことがあるが、むっつりと迷惑そうにうずくまる姿には孤高の雰囲気すら漂っていた。しかし、調べてみると、実際には同じ場所で冬眠を過ごす蛙もいるようだ。よく知られた蛙の本アーノルド・ローベルの『ふたりはともだち』は、ひと足早く目覚めたかえるくんが、がまくんを起こしに行く場面から始まる。両手両足を持つ擬人化がたやすい生きものだからこそ、冬眠中の姿が容易に思い描けなかった。掲句と事実を知ったことで、どこかでひしめき合って春を待つ蛙の家族もいるのだろうと、ほほえましくなった。ところで、このたび蛙の冬眠を調べていてもっとも驚いた記事。「蛙は意外と丈夫で、一度や二度凍らせてしまっても生きていますから、あわててお湯をかけたりしないでください。氷が解ければなにごともなかったように冬眠の続きに入りますので心配いりません」(信州根羽村茶臼高原「カエル館」カエルの質問Q&Aより)。意外と丈夫どころじゃありません……。〈足袋替へに入りし部屋の暗さかな〉〈初猟の湯呑を置きて発ちゆけり〉〈さみしいといふ子ねむらせ藤の花〉『おはやう』(2012)所収。(土肥あき子)


November 26112012

 葱提げて急くことのなく急きゐたり

                           山尾玉藻

活習慣というか習い性というものは、一度身についたら、なかなか離れてはくれない。作者は、いつものように夕餉のために葱などを買い、少し暗くなりかけた道をいつものように急ぎ足で家路をたどっている。が、本当はべつに急ぐことはないのである。夕食を共にする人はいないのだから、自分の都合の良い時間に支度をすればよいのだ。なのに、つい腹を空かせた人が待っている頃の感覚のほうが優先してしまい、べつに急(せ)くこともないのに急いている自分に苦笑してしまっている。場面は違うとしても、この種のことに思い当たる人は少なくないだろう。この句からだけではこれくらいのことしか読めないが、実は作者の夫君(俳人・岡本高明氏)がこの夏に亡くなったことを知っている読者には、この苦笑を単なる苦笑の域にとどまらせてはおけない気持ちになる。苦笑の奥に、喪失感から来る悲哀の情が濃く浮き上がってくる。岡本高明氏の句に「とろろ汁すすり泪すことのあり」があるが、作者の別の句には「葱雑炊なんぞに涙することも」がある。「俳句界」(2012年12月号)所載。(清水哲男)




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