忘年会、第一弾。今年は少なそうなので助かるが、寂しくもある。(哲




2012ソスN12ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 02122012

 煮凝や今に知らざる妻の齢

                           森川暁水

本中、いや世界中の夫婦にアンケートをとってみましょう。「あなたの配偶者に隠している秘密はありますか?」と。99%がYesでしょう。秘密とは何かというと、言わないから秘密になるわけです。大したことではないから言わない場合がほとんどですが、言いたくないこと、言ってはいけないこと、知られたくないこと、この順番で秘密はだんだん深まってきて、二人の間の溝ができていきます。場合によっては、かつての「金妻」のように、はじめは麦のようだった妻が毒になってしまう悲劇も生じます。麦、妻、毒。私はこの三文字をよく書き間違えます。(オトコ目線ですみません。)さて、掲句の秘密は「妻の齢」です。笑っちゃいます。暁水さん、結婚する前に、齢を聞かなかったのですか? 尋ね忘れたとして、納税の申告書には配偶者の年齢を記入する欄があり、健康保険証にもあるではないですか。もしかしたら暁水さんは近代以前の方ですか? ここで、生年を調べたところ、1901年生まれとありました。話は少しそれ、私事になりますが、1900年生まれの祖父が、祖母の葬式の日、「今まで母さん(祖母)は俺より一つ年下だと言っていたが、本当は一つ年上だったのだ。」と告白しました。結婚以来五十数年間、夫より一歩下がってついていく妻を夫婦そろって演出していたのでした。しかし、暁水さん、あなたの場合はこれとは違います。ロマンティックに考えれば、あなたの方が「妻の齢」をわすれている。いや忘れているのではなく、出会ったときの齢のままである。男の場合は、これが稀にあります。しかし、暁水さん、もっと現実に目を向けましょう。あなたは、税の申告も健康保険の手続きも、全て妻任せに頼り切っていたから、年齢記入欄を見ないで済んできた人生だったのではないでしょうか? そして、そのようなあり方を尻に敷かれた状態と言うのだと思いますが間違っているでしょうか? 二人は、経済的にご苦労して生きてこられたと伺っております。長い時間の間に、二人の関係は「冷え」てもきたでしょう。しかしそれは、ツンドラ状態の夫婦の冷えではなく、冷やかな舌ざわりにうまみを凝縮した、煮凝(にこごり)の形を作る上品な冷えです。二人はつつましやかな生活の中で、品よく冷えています。他に「煮凝や親の代よりふしあわせ」。『現代俳句歳時記・冬』(学研)所載。(小笠原高志)


December 01122012

 冬薔薇を揺らしてゐたり未婚の指

                           日下野由季

の薔薇が真紅の大輪の薔薇だとすれば、未婚の指、には凛とした意志の強さが感じられる。やや紅を帯びた淡く静かな一輪だとすれば、その花にふれるともなくふれた自らの左手に視線を向けた作者の、仄かな心のゆらめきや迷いのようなものが感じられる。二十代後半の同年の作に〈降る雪のほのかに青し逢はざる日〉とある。雪を見つめ続けている作者の中に、逢いたい気持ちと共にひたすらほの青い雪が降り積もってゆくようだ。そう考えると、雪のように清らかな白薔薇なのかもしれない、と思ったりもするが、いずれにしても掲出句の、未婚の指、にはっとさせられ、冬の澄んだ気配がその余韻を深めている。『祈りの天』(2007)所収。(今井肖子)


November 30112012

 寒雀瓦斯の火ひとつひとつ點きぬ

                           能村登四郎

四郎31歳の時の句。大学を卒業後昭和14年28歳で「馬酔木」に投句。それから三年後の作品で「寒雷」にも投句していたことがわかる。「寒雷集」二句欄、もう一句は「卒業期もつとも遠き雲の朱」。両方とも若き教師としての生活がうかがわれる作品である。同じ二句欄に森澄雄の名前もある。澄雄の方は「寒天の松暮れてより夕焼くる」「かんがふる頬杖の手のかぢかみて」。ふたりともすでに生涯の傾向の萌芽が明らか。太平洋戦争開戦から三ヶ月。緒戦の勝った勝ったの熱狂の中でこのような素朴な生活感に眼を遣った句が詠まれていたことに瞠目する。「寒雷・昭和十七年三月号」(1942)所載。(今井 聖)




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