ネットでの選挙運動は禁止。電話での投票依頼は合法。変なの。(哲




2012N125句(前日までの二句を含む)

December 05122012

 シーソーの向ひに冬の空乗せて

                           荻原裕幸

しいスタイルのシーソーがあるようだが、原理は同じ。今どきの子どもは果たしてシーソーなどで、楽しがって遊ぶだろうか。シーソー、なわとび、ブランコ、かくれんぼーーこういう遊びを失ったのが、今どきの子どものように思われる。「カワイソーに」などと思うのは私の勝手。シーソーは「ぎっこんばったん」とも「ぎったんばっこん」とも呼ばれ、以前はどんな貧弱な公園にもたいてい設置されていた。私も幼い子どもとシーソーで遊んだ頃は、足で跳ねあがってバランスをとったり、向こうに子どもを二人乗せてバランスをとろうとしたり、やれやれ親というものも結構せつないものだったなあ。掲句は向かいに「冬の空」が乗っている。それはいったいどんな「冬の空」なのか。寒さ厳しい冬とは言え、句にはどこかしら微笑ましい動きがにじんでいる。向かいに乗った「冬の空」の重さと自分の重さ、それによって、冬の寒さは厳しかったりゆるかったりしているのだろう。このシーソーのバランスが、あれこれと想像をかきたてるあたりが憎いし、スリリングである。裕幸は《わたしを遮断するための五十句》と題して一挙に発表している。他に「晩秋のシャチハタ少し斜に捺す」「広告にくるめば葱が何か言ふ」と、自在な句がならぶ。「イリプスII nd」10号(2012.11)所載。(八木忠栄)


December 04122012

 初雪や積木を三つ積めば家

                           片山由美子

年の初雪の知らせは北海道では記録的に遅いとされる11月18日。これから長い雪の日々となるが、「初」の文字は苦労や困難を超えて、今年も季節が巡ってきた喜びを感じさせる。雪の季節になれば、子どもの遊びも屋外から室内へと移動する。現代のように個室が確立してなかった時代には、大人も子どもも茶の間で多くの時間を費やしていた。あやとり、お手玉、おはじき、塗り絵など、どれも大人の邪魔にならないおとなしい室内の遊びを家庭は育んできた。掲句の積み木にも、家族の目が届くあたたかい居間の空気をまとっている。おそらくそれはふたつの四角の上に三角を慎重に乗せたかたち。四角柱は車になったり、円柱は人間になったりもする。人は誰にも教わることなく見立てをやってのけるのだ。初雪の静けさにふっくらとした幼な子の手の動きが美しい。『香雨』(2012)所収。(土肥あき子)


December 03122012

 踏台に乗ること多し年の暮

                           田中太津子

われてみれば、ずばりその通りだ。普段から気になってはいるものの、高いところのものの整理や掃除は、つい億劫でそのままにしてしまう。だが、年の暮ともなると、意を決して踏台に乗るのだが、これが一度手をつけはじめると、なかなか終わらない。あちらの高いところ、こちらの高いところと、踏台を引きずって歩き回ることになる。まさに「年の暮」ならではの行動だ。この句を読んで、すぐに取り換えるべき我が家の蛍光灯を思い出した。もう十年ほど前のことになるだろうか。実家に行ってみると、玄関先の電球が切れていて、やけに暗い。そのことを八十歳を過ぎた母に言ったら、踏台に上がれなくなり交換できないということだったので、私が何の苦もなく付け替えた。老いるとは、たとえば踏台を使えなくなるということか。そのときはふっとそんなことを思ったのだったが、近年はとうとうこちらにお鉢が回ってきてしまった。先日、それこそ電球を交換しようと踏台に上ったら、腰から崩れて踏台ごと転倒する羽目に…。さて、年の暮だ。あの蛍光灯をどうすればよかんべえか。『星の音』(2012)所収。(清水哲男)




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