December 112012
世の中は夕飯時や石蕗の花
篠原嬉々
ふと「時分どき」という言葉を懐かしく思い出した。お隣に回覧板を回すのも、友人に電話をするのも「時分どきだから失礼になる」などと使っていた。広辞苑では「ころあいの時。特に食事の時刻についていう」とあるが、現在ではあまり使われていないようだ。時分は朝昼夕の区別がないが、掲句は夕飯時とある以上、午後6時〜8時くらいの間だろうか。冬の日はすっかり落ち、それぞれの家の夕飯の匂いやにぎわいを漂わせている頃である。気ままな一人者を気取っていた時代には、なんとなく疎外感を覚え世間様にほんの少し拗ねてみたくなる時間帯だった。掲句は「世の中」と大げさに切り取ったことで、自身の嘆きをまたさらに眺めているような距離感が生まれ、深刻さを遠ざけた。それでも、路地に咲く石蕗の黄色が今日はやけに目にしみる。〈しばらくは流るる顔になりて鴨〉〈年の市より鳥籠を提げ来たる〉『踊子』(2012)所収。(土肥あき子)
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