このところの三鷹は氷点下の朝がつづく。都心より3度は低いです。(哲




2012ソスN12ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 13122012

 ジーンズに雲の斑のある暖炉かな

                           興梠 隆

の昔、ぱちぱちと燃え上がる暖炉の火を前に寝転んで本を読む。そんなスタイルにあこがれた。薪をくべるという行為はせせこましい都会暮らしでは考えられない贅沢だが、雪深い山荘や北海道あたりでは現役で働いている「暖炉」があることだろう。その暖炉にところどころ白く色の抜けたジーンズが干してある。水色のジーンズに白く抜けた部分を「雲の斑」と表現したことで、句のイメージが空全体へ広がってゆくようで素敵だ。知的な見立てに終わってしまいがちな比喩が豊かな世界への回路になっている。ここから思い出すのは高橋順子さんの「ジーンズ」の詩の一節「このジーンズは/川のほとりに立っていたこともあるし/明けがたの石段に座っていたこともある/瑠璃色が好きなジーンズだ/だから乾いたら/また遊びにつれていってくれるさ」。「暖炉」が醸し出す室内の親和的な暖かさと、屋外の活動着であるジーンズの解放感との取り合わせが絶妙に効いている。つまり言葉の取り合わせにジーンズが伝えてくる昼間の楽しさと夜の暖炉まで時間的、空間的広がりが畳み込まれているのだ。『背番号』(2011)所収。(三宅やよい)


December 12122012

 貰ひ湯の礼に提げゆく葱一把

                           伊藤桂一

はすっかり見られなくなったようだけれど、以前は「貰い湯」という風習があった。やかんやポットのお湯をいただきに行くのではなく、「もらい風呂」である。私も子どもの頃、親に連れられて近所の親戚へ「もらい」に行った経験が何回かあるし、逆に親戚の者が「もらい」にやってきたこともある。そんなとき親たちはお茶を飲みながら世間話をしているが、子供はそこのうちの子と、公然としばし夜遊びができるのがうれしかった。掲句は農家であろうか、手ぶらで行くのは気がひけるから、台所にあった葱を提げて行くというのである。とりあえず油揚げを三枚ほど持ってとか、果物を少し持って、ということもあった。葱を提げて行くという姿が目に見えるようだ。そこには文字通り温まるコミュニケーションが成立していた。桂一は九十五歳。作家や詩人たちの会の集まりに今もマメに出席されていて、高齢を微塵も感じさせない人である。京都の落柿舎の庵主をつとめるなど、長いこと俳句ともかかわってきた人であり、長年にわたって書かれた俳句が一冊にまとめられた。他に「日照り雨(そばえ)降る毎にこの世はよみがへる」「霜晴れて葱みな露を誕みゐたり」などがある。『日照り雨』(2012)所収。(八木忠栄)


December 11122012

 世の中は夕飯時や石蕗の花

                           篠原嬉々

と「時分どき」という言葉を懐かしく思い出した。お隣に回覧板を回すのも、友人に電話をするのも「時分どきだから失礼になる」などと使っていた。広辞苑では「ころあいの時。特に食事の時刻についていう」とあるが、現在ではあまり使われていないようだ。時分は朝昼夕の区別がないが、掲句は夕飯時とある以上、午後6時〜8時くらいの間だろうか。冬の日はすっかり落ち、それぞれの家の夕飯の匂いやにぎわいを漂わせている頃である。気ままな一人者を気取っていた時代には、なんとなく疎外感を覚え世間様にほんの少し拗ねてみたくなる時間帯だった。掲句は「世の中」と大げさに切り取ったことで、自身の嘆きをまたさらに眺めているような距離感が生まれ、深刻さを遠ざけた。それでも、路地に咲く石蕗の黄色が今日はやけに目にしみる。〈しばらくは流るる顔になりて鴨〉〈年の市より鳥籠を提げ来たる〉『踊子』(2012)所収。(土肥あき子)




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