蜜柑を一箱買ったらちょっと酸っぱい。少し置いとけば甘くなるか。(哲




2012ソスN12ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 14122012

 雪雲や屋根青き寺遠く見ゆ

                           外山滋比古

者20歳のときの作品。作者は東京文理科大学出身で加藤楸邨の後輩。楸邨は国文科だが、作者は英文科。恩師は福原麟太郎であったと記憶している。この当時は東京高等師範学校在学中。高等師範は師範学校で教える教師を養成するのが主目的。有能な先生をつくる先生の養成と言えばいいか。そんな青年が戦中何を考えていたのか興味が湧く。英文学、教育、俳句に関する数多くの著書がある。この句、遠近法の構図。雪雲と屋根青き寺の対照にどこか英文科らしいダンディズムが感じられる。「寒雷・昭和十八年三月号」(1943)所載。(今井 聖)


December 13122012

 ジーンズに雲の斑のある暖炉かな

                           興梠 隆

の昔、ぱちぱちと燃え上がる暖炉の火を前に寝転んで本を読む。そんなスタイルにあこがれた。薪をくべるという行為はせせこましい都会暮らしでは考えられない贅沢だが、雪深い山荘や北海道あたりでは現役で働いている「暖炉」があることだろう。その暖炉にところどころ白く色の抜けたジーンズが干してある。水色のジーンズに白く抜けた部分を「雲の斑」と表現したことで、句のイメージが空全体へ広がってゆくようで素敵だ。知的な見立てに終わってしまいがちな比喩が豊かな世界への回路になっている。ここから思い出すのは高橋順子さんの「ジーンズ」の詩の一節「このジーンズは/川のほとりに立っていたこともあるし/明けがたの石段に座っていたこともある/瑠璃色が好きなジーンズだ/だから乾いたら/また遊びにつれていってくれるさ」。「暖炉」が醸し出す室内の親和的な暖かさと、屋外の活動着であるジーンズの解放感との取り合わせが絶妙に効いている。つまり言葉の取り合わせにジーンズが伝えてくる昼間の楽しさと夜の暖炉まで時間的、空間的広がりが畳み込まれているのだ。『背番号』(2011)所収。(三宅やよい)


December 12122012

 貰ひ湯の礼に提げゆく葱一把

                           伊藤桂一

はすっかり見られなくなったようだけれど、以前は「貰い湯」という風習があった。やかんやポットのお湯をいただきに行くのではなく、「もらい風呂」である。私も子どもの頃、親に連れられて近所の親戚へ「もらい」に行った経験が何回かあるし、逆に親戚の者が「もらい」にやってきたこともある。そんなとき親たちはお茶を飲みながら世間話をしているが、子供はそこのうちの子と、公然としばし夜遊びができるのがうれしかった。掲句は農家であろうか、手ぶらで行くのは気がひけるから、台所にあった葱を提げて行くというのである。とりあえず油揚げを三枚ほど持ってとか、果物を少し持って、ということもあった。葱を提げて行くという姿が目に見えるようだ。そこには文字通り温まるコミュニケーションが成立していた。桂一は九十五歳。作家や詩人たちの会の集まりに今もマメに出席されていて、高齢を微塵も感じさせない人である。京都の落柿舎の庵主をつとめるなど、長いこと俳句ともかかわってきた人であり、長年にわたって書かれた俳句が一冊にまとめられた。他に「日照り雨(そばえ)降る毎にこの世はよみがへる」「霜晴れて葱みな露を誕みゐたり」などがある。『日照り雨』(2012)所収。(八木忠栄)




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