私の居住する選挙区では入れたい人がいない。消去法しかないか。(哲




2012ソスN12ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 16122012

 ラガー等のそのかちうたのみじかけれ

                           横山白虹

ーサイドのあと、勝者の歌は短い。なぜなら、ノーサイドの瞬間に、敵も味方もなくなるからである。ノーサイドのあとに残るのは、互いに火照った肉体、うずき始める筋肉の、骨の痛み、試合中は気にならなかった血が流れ、熱く流れ出た汗は、じきに冷えていく。ラガー等にとって、勝つことはボールを奪うことであり、タックルで止めることであり、有効にボールを蹴ること、回すこと、その瞬間を待ち、その瞬間を作り続けること以外にはない。勝つことは、試合中の80分間のみに集中されているゆえに、ノーサイドの笛のあとの勝ち歌は、短い儀式に過ぎない。かつ、相手を思いやる気持ちでもある。走り、蹴り、パスして、組み、押し、つかみ、離さず、奪い取る。全身の筋肉を使い果たしたラガー等は、一度、ラグビー場で命を燃焼し尽くしたがゆえに、あと歌はおのずと短い。『日本大歳時記・冬』(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


December 15122012

 階段の螺旋の中を牡丹雪

                           齋藤朝比古

雪や思いがけない大雪のニュースがテレビから流れているのを見ていて、数年前の雪の日を思い出した。雪降る中、数人で空を仰いでいたのだがそのうち誰かが、なんだかどんどん昇っていくみたい、と言ったのだった。雪は上から降ってくるのだから相対的に自分が昇っていくように感じるのは当然なのだが、同じように見上げていた私は、逆に雪と一緒にどんどん沈んでいくように感じていた。掲出句の場合、そこに螺旋という動きを感じさせる曲線が加わったことで、また違った感覚になる。普通の階段は、昇っても降りても前へ進むことになるが、螺旋階段はひたすら上へ、または下へ。牡丹雪もひたすら、階段もひたすら、永遠に続く一本の螺旋の中を雪がただただ落ちてゆく、そんな映像も思い浮かんで美しい。合同句集『青炎』(1997)所載。(今井肖子)


December 14122012

 雪雲や屋根青き寺遠く見ゆ

                           外山滋比古

者20歳のときの作品。作者は東京文理科大学出身で加藤楸邨の後輩。楸邨は国文科だが、作者は英文科。恩師は福原麟太郎であったと記憶している。この当時は東京高等師範学校在学中。高等師範は師範学校で教える教師を養成するのが主目的。有能な先生をつくる先生の養成と言えばいいか。そんな青年が戦中何を考えていたのか興味が湧く。英文学、教育、俳句に関する数多くの著書がある。この句、遠近法の構図。雪雲と屋根青き寺の対照にどこか英文科らしいダンディズムが感じられる。「寒雷・昭和十八年三月号」(1943)所載。(今井 聖)




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