押し詰まっての三連休は、かえって忙しいという人が多そうだ。(哲




2012ソスN12ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 23122012

 斧入れて香におどろくや冬こだち

                           与謝蕪村

に斧を入れる。現代に生きる私たちには、この当たり前のいとなみがありません。掲句は、「おどろくや」と率直な感情を示しているので、実景実情の句として読みます。冬支度の薪を採るために林の中に入っていったのでしょうか。すでに葉は落ち、木もすっかり冬木立ちになり、生きている気配も醸し出してはいません。しかし、鉄の刃を一点に、二度三度振り下ろしていくうちに、木の香りがたちこめてきた。まったく予想もしていなかった香りの強さに驚きを感じています。そして蕪村は、この一本の木が発する香りから、林全体の冬木立ちをみつめ直したのではないでしょうか。落葉した枯れ枝の木々に生命の兆しはなかったのに、斧を入れることで、生き物の内部のいとなみを嗅覚で感応してしまいました。このとき、あるいは、蕪村も痛みを感じたのかもしれません。画家であった蕪村の手には筆がなじむものとばかり思っていましたが、斧を持ち、振りかざしてじかに木の命に踏み込む姿に、読む者も驚きます。『蕪村句集』(岩波文庫)所収。(小笠原高志)


December 22122012

 哀歓はとつぜんに来る冬すみれ

                           中村与謝男

しみや喜びは何の前ぶれもなく訪れることが間々あり、またその方が突然であった分、驚きと共に深いものとなる。思いがけない喜びは周囲の人々と共有しながら、あらためてじっくりと味わうこともできるが、突然訪れた悲しみは、己の中にたたみ込んで結局は時が経つのを待つより他はない。哀歓、という言葉は悲しみと喜びを意味するが、掲出句の上五が、哀しみは、であっても、歓びは、であっても、冬すみれらしさに対する先入観が見えてしまいそうである。哀歓は、とすることで、作者の感情と冬すみれの間にほどよい距離感が生まれ、そこにふとただ咲いている冬すみれの存在感に、人生ってそんなものだよな、とつぶやいている作者が見えてくるようだ。『豊受』(2012)所収。(今井肖子)


December 21122012

 雪二日馬も偽装の白衣着ぬ

                           須合軍曹

号は軍隊の階級のまま。「寒雷集」次巻頭三句の中の一句。投句地は営口とある。営口は中国遼寧省の遼河河口の港湾都市。従軍地からの投句である。そうか、雪中では馬に偽装のための白衣を着せたんだなと軍の装備の細やかさにあらためて驚く。この句、表現に無駄のない良い句である。ヒューマニズムや反戦意識の押し付けは「正義」ばかりが表に出て今ふうにいうと「どや顔」の俳句になる。こういう淡々と事実を見据えた表現にこそ時代の真実が浮き彫りになる。軍曹は下士官。僕らの世代は人気テレビ映画「コンバット」のヴィック・モロー扮するサンダース軍曹を思い出す。最前線に張り付いて部下を愛し叱咤しながら敵を粉砕してゆく「現場監督」だ。須合軍曹は果たして生還できたのかどうか。「寒雷・昭和17年3月号」(1942)所載。(今井 聖)




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