ドイツから娘が帰ってくる。久しぶりに賑やかな正月になりそう。(哲




2012ソスN12ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 25122012

 生まれたる子犬の真白クリスマス

                           牛田修嗣

原以外で白い動物というのはごくわずかである。海でも陸でも空でも発見されやすく、また紫外線に弱いこともあり、自然界での生存の確率は極めて低いからだ。しかし稀に存在することから、それらは古来から珍重され、瑞兆とされていた。大化6年孝徳天皇は白い雉の献上を受け、元号は「大化」から「白雉」に変わった。それほど、白い動物への特別な思いは他の色を圧倒する。掲句でも、クリスマスに子犬が生まれたという事実が、神々しく、幸福感にあふれるのは、子犬が差し毛のない真っ白であったことによるのだろう。母犬の乳房を探し、くんくんと動きまわる純白のかたまりが、この世に平和をもたらす使者のように映る。白い子犬といえば『カレル・チャペックの犬と猫のお話』にそんな写真があったはず…、と探してみた。「ロボット」の言葉を作ったとして有名な作家だが、これは実際に彼の家で飼われていた犬と猫のエッセイ集である。扉には数枚の写真が収められていて、そこに目当ての子犬ダーシェンカはいた。ああ、こんな犬なんだろうな、きっと。文中によると〈白い豆粒みたい〉。他にも作家が兄と一緒にそれぞれ犬と猫を生真面目に抱いている写真(もちろん猫だけ明後日の方角を眺めている)も素敵だ。その後、チャペックの家の四匹の白い豆粒たちは、またたく間に大きくなって、二週間後にはすっかりわんぱくになって家中を駆け回り、まるで四万四千匹に増殖したようにチャペック家を蹂躙する。「第19回俳句大賞 片山由美子特選」(「俳句文学館」2012年12月10日付)所載。(土肥あき子)


December 24122012

 三越の獅子も老いたりクリスマス

                           増尾信枝

京は日本橋三越本店の正面玄関にあるライオン像だ。待ち合わせ場所として多くの人に利用されている。大正三年に、三越が日本初の百貨店としてルネッサンス式鉄筋五階建ての新店舗となったとき、当時、支配人だった日比翁助のアイデアで、二頭のライオン像が設置されたのが始まりという。三越ファンには年配の女性が多く、待ち合わせている人のなかにも目立つ。まさか青銅の獅子像が老いることはないのだが、いましみじみと見つめていたら、そんな気がしてきたというわけだ。若いころには気にもならなかった獅子の年齢に思いがいったのは、むろん自らの加齢を意識しているからだ。いっしょに歳月を刻んで来たという思いが、不意にわいてきたのだろう。なにか同志のような親愛の念が兆している。歳末の買い物客で混みあう雑踏のなかで、ふと浮き上がってきたセンチメンタルなこの感情は自然である。おそらくそんな思いで、今日この獅子像を見つめている待ち人が、きっといるに違いない。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


December 23122012

 斧入れて香におどろくや冬こだち

                           与謝蕪村

に斧を入れる。現代に生きる私たちには、この当たり前のいとなみがありません。掲句は、「おどろくや」と率直な感情を示しているので、実景実情の句として読みます。冬支度の薪を採るために林の中に入っていったのでしょうか。すでに葉は落ち、木もすっかり冬木立ちになり、生きている気配も醸し出してはいません。しかし、鉄の刃を一点に、二度三度振り下ろしていくうちに、木の香りがたちこめてきた。まったく予想もしていなかった香りの強さに驚きを感じています。そして蕪村は、この一本の木が発する香りから、林全体の冬木立ちをみつめ直したのではないでしょうか。落葉した枯れ枝の木々に生命の兆しはなかったのに、斧を入れることで、生き物の内部のいとなみを嗅覚で感応してしまいました。このとき、あるいは、蕪村も痛みを感じたのかもしれません。画家であった蕪村の手には筆がなじむものとばかり思っていましたが、斧を持ち、振りかざしてじかに木の命に踏み込む姿に、読む者も驚きます。『蕪村句集』(岩波文庫)所収。(小笠原高志)




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