リ檀句

January 0212013

 沖かけて波一つなき二日かな

                           久保田万太郎

年もどうぞよろしくお願い致します。さて、正月二日は初荷であり、書初め、掃初めなど、元日と打って変わって、世のなかが息を吹き返して活気づき、日常の生活が戻ってくるという日である。本来は、やわらかく炊いた「姫飯(ひめいい)」を初めて食べる日ともされていた。『日本歳時記』には「温飯を食し温酒を飲むべし」とある。また、知られているように「姫始(ひめはじめ)」とも言われる。もう何年も前から、元日から営業するデパートや商店もあって、元日から福袋が飛ぶように売れているようである。初荷もへったくれもなくなってしまった。越後育ちの私などが子どもの頃は、雪のなかで三が日の毎朝は判で押したように、雑煮餅を自分の年齢の数ほども食べさせられた。おせちどころかご馳走は餅だけだった。そして昼食は抜きで早夕飯は自家製の手打蕎麦という特別な日だった。掲句は、まだ二日の海だから漁船の影もなく穏やかに凪いで、波一つないというのんびりした景色であろう。海のみならず、せめて三が日くらいは地上も何事もなく穏やかであってほしいものだが……。“芸ノー人”どもが寄ってたかって、馬鹿騒ぎをくり返している正月のテレビなど観ているよりは、時間つぶしに街へ三流ドンパチ映画でも観に行くか。万太郎の句には「かまくらの不二つまらなき二日かな」もある。平井照敏編『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 0912013

 日の暮れて羽子板をはむ犬のあり

                           草野心平

子板市は十二月だが、羽子板は新年のもの。もともと「胡鬼(こぎ)板」と呼ばれていたものが、室町時代から羽子板と呼ばれるようになったという。おもしろいことに、羽根をつくのは幼児が蚊に食われないためのおまじないだったそうだ。江戸期から役者の押し絵を貼った高価なものが出まわるようになった。雪国の子どもだった私などにとって、正月の羽根つきやコマ回し、凧あげなどはとても信じられない絵空ごとだった。一日中、羽根つきで遊んでいた子どもも、日暮れ時にはさすがにくたびれ飽いて家に帰ってしまったのだろうか。庭か空地に置いたままになっている羽子板に、犬が寄ってきて舐めたりかじったりして戯れている光景。それを心平はきっと、正月の酒に昼からほろ酔いの状態で見るともなく見て、微笑んでいるのだろう。酔ったときの心平さんのうれしげな表情が見えるようだ。才人だった心平に意外や俳句は少ないようで、『文人俳句歳時記』(1969)にはこの一句しか収録されていない。木山捷平の句に「誰かいな羽子板が生垣においてある」がある。詩人の俳句はいずれもさりげないというか、気負いがない。「羽子板の役者の顔はみな長し」(青邨)。なるほど。(八木忠栄)


January 1612013

 阿武隈や朝靄に溶く白き息

                           増田明美

美は言うまでもないけれど、日本を代表する元マラソン・ランナー。引退するまでの13年間に日本最高記録を12回、世界最高記録を2回更新した逸材である。現在はスポーツ・ジャーナリストとして活躍中だ。この人のマラソンを主としたスポーツ解説は押し付けがましくなくて、とてもていねいでわかり易い。いつも安心して聴いていられる。彼女は現在も毎日一時間はジョギングを欠かさないという。「走って俳句を作る“ジョギング俳句”を楽しんでいます」という。冬の早朝、福島県阿武隈川の堤防を走っているのだろう。厳しい寒気のなかでせわしなく吸う息・吐く息が、刻々と朝靄にまじり合う。吐く息が朝靄に溶け合って白くなって行く、という早朝の健やかな光景である。熱心に走っている本人は決してラクではないだろうけれど、どこかしら張り切って楽しんでいる表情も見えてくるようだ。金子兜太はこの句を秀逸と評価して、「体に柔らかい美がたまっていると思った」「言葉が自ずから美しく響いてくる」と評言している。明美は「カゼヲキル」という小説も刊行した才人である。他に「エプロンで運ぶサラダは春キャベツ」という女性らしい句もある。『金子兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)


January 2312013

 冬凪や鉄塊として貨車憩ふ

                           木下夕爾

とした冬のある日、風がない穏やかな日になったりすることがある。それが冬凪。寒中の凪を「寒凪」と言い、北海道あたりの寒さ厳しいなかでの凪はとくに「凍凪」と呼ばれる。吹雪であろうが、風雨であろうが、機関車に引かれて貨車は走りつづける。しかし、冬凪で停車しているときは貨車としてではなく、黒々とした単なる鉄の塊となって、ホッとしているようにも見えたりする。今はじっくり憩っているのだ。どんな天候にもかかわらず走っているときは貨車そのものだけれども、停車して憩っているときは鉄の塊と化している。「鉄塊」としてとらえた観察は鋭いし、中七はこの句のポイントになっている。貨車の静と動が対比的に見えてくるようにも感じられる。「貨車」のままで憩っているわけではなく、鉄の塊と化してしばし憩っているというわけだ。憩っていても鉄塊であり、貨車は決して緩んでいるわけではないことを理解させてくれる。夕爾には、他に「汽笛の尾ながし片側町の冬」「冬濤とわかれ大きく汽車曲る」などがある。『菜の花集』(1994)所収。(八木忠栄)


January 3012013

 一月の死へ垂直な独楽の芯

                           高岡 修

の初めの「一月」を「正月」と呼ぶと、両者が与えるイメージは同じ月でありながら、ニュアンスはだいぶちがってくる。「正月」だと、かなり陽気でくだけた楽しいイメージを放つ。まさに年の初めの「めでたさ」である。ところが「一月」とすると、どこかしら年の初めの厳粛な緊張感を伴った寒々しさが感じられる。おもしろいと思う。それゆえに「一月の死」は考えられても、「正月の死」はちょっと考えにくい。この場合の「一月の死」は、さまざまな受け取り方が考えられるだろうが、私は「形而上的な死」という意味合いとして、この句がもつ時空を解釈したい。死、それとは対極的に勢いよく回る独楽は、まっすぐにブレることなく静止しているかのように勢いよく回っている。しかし、その垂直な芯はやがてブレてゆらいで、必ず停止するという終わりをむかえることになる。つまり死である。一月の「1」という数字と、回っている独楽の芯の垂直性とが重なって感じられるーーというのは読み過ぎだろうか? 明日で一月は終わる。同じ句集には、他に「春の扉(と)へ寝返りを打つ冬銀河」がある。『果てるまで』(2012)所収。(八木忠栄)


February 0622013

 書を売つて書斎のすきし寒(さむさ)哉

                           幸田露伴

寒を過ぎたとはいえ、まだまだ寒さは厳しい。広い書斎にも蔵書があふれてしまい、仕方なく整理して売った。ようやくできた隙間にホッとするいっぽうで、寒い季節にあって、その隙間がいやに寒々しく感じられ、妙に落着かないのであろう。昨日までそこに長い期間納まっていて、今は売られてしまった蔵書のことが思い起こされる。その感慨はよくわかる。書棚に納められているどの一冊も、自分と繋がりをもっていたわけだもの。蔵書は経済的理由からではなく、物理的理由から売られたのであろう。理由はいずれにしろ、そこにぽっかりとできた隙間、その喪失感は寒々しいものだ。身を切られるような心境であろうし、同じようなことは多くの人が大なり小なり経験していることでもある。誰にとっても蔵書が増えるのは仕方がないけれど、じつに厄介だ。露伴は若くして俳句に親しみ多くの句を残しただけでなく、俳諧七部集の評釈でもよく知られている。他に「人ひとりふえてぬくとし榾の宿」がある。『蝸牛庵句集』(1949)所収。(八木忠栄)


February 1322013

 冬川や朽ちて渡さぬ橋長し

                           寺田寅彦

境の川にかかる橋は別として、車輛が頻繁に通るような橋は、今どきは耐震性も見かけもずいぶん立派なものになってきている。ここで詠まれている橋は木橋か土橋か、いずれにせよ老朽化してしまって、人が渡ることが禁じられている橋であろう。冬であれば、人が通らない橋は一段と寒々しく眺められ、渡れないということで実際以上に長い橋のように感じられるのだ。おそらく、その川は郊外を流れているのであろう。川はいつもより水かさが増して、白々と流れているかのように想像される。だからなおさらのこと、橋の老朽化が強く印象づけられ、いっそう長いものに感じられるのであろう。寒さのなかにも、古き良き時代の風景を感じさせてくれる句である。俳人としてもよく知られている寅彦は、二十歳の頃に俳句を見てもらうために夏目漱石を訪ね、いくつかの俳句が「ホトトギス」に掲載された。漱石には「谷深み杉を流すや冬の川」がある。『俳句と地球物理』(1997)所収。(八木忠栄)


February 2022013

 肉マンを転んでつぶす二月かな

                           井川博年

い日にせっかく買ったアツアツの肉マンを「転んでつぶす」とは、なんてマン(間)がいいんでしょ、と我が友人ゆえに揶揄したくもなる句だ。余白句会の創立(1990年9月)メンバーでありながら、俳句が上達することに必死で抵抗しているとしか思われない(?)博年(俳号:騒々子)が、1992年2月の余白句会で席題「二月」で珍しく〈天〉を獲得した句である。作者会心の作らしく、本人がうるさく引き合いに出す句である。通常、俳句は年月かけて精進すれば、良くも悪くもたいていはうまくなってしまうように思われる。いや、その「うまく」が曲者なのだけれど、博年は懸命に「うまく」に抵抗しているのではなかろうか? 今も。えらい! 掲句は長い冬場のちょいとした意外性と他愛ないユーモアが、句会で受け入れられたかも。俳人はこういう句は決して作らないだろう。ちなみに博年の好物は鰻(外で食べる鰻重か鰻丼)だそうである。逆に大嫌いなものは漬物。どうやら、松江のお坊っちゃまで育ったようだ。同じ日の句会で「蛇出でて女人の墓に憩いける」が、なぜか〈人〉に選ばれている。蛇足として、博年を詠んだ拙句をここに付します。「句会果て井川博年そぞろ寒」。「OLD STATION」15号(2012)所収。(八木忠栄)


February 2722013

 坐りだこ囲炉裏に痛し稗の飯

                           高村光太郎

襲で家を焼かれ、敗戦直前から花巻近郊の山小屋で、敢えて孤愁の日々を過ごした光太郎の暮らしぶりを偲ばせる句である。「独居自炊孤坐黙念」の七年間を送ったという。今日の一部文人たちによる「山小屋へ出かけてのくらし/仕事」とはワケがちがう。「ペンだこ」ではなく「坐りだこ」が、山での暮らしぶりと詩人の決意のほどを物語っている。小屋に坐りつづけている暮らしだから、「坐りだこ」が囲炉裏の板の間ではきつくこたえる。しかも鍋で煮て食べるのは白米ではなく、稗の飯である。稗や粟も忘れられつつある昨今。オーバーな表現というわけではない。骨太の男が黙念と囲炉裏の板の間に坐って稗の飯を食べる、その寒々しさ。戦争協力詩を書いた光太郎にとって、それはつくづくニッポンの寒々しさであり、痛さそのものであったと思われる。「焼け残った父光雲譲りの道具で囲炉裏を切り、煮炊、夜は炬燵にして寒さをしのいだ。電気、水道のない生活」(内藤好之)だった。光太郎が残した俳句は六十余句だと言われるが、「短詩形のもつ一種独特な詩的表現は、小生自身の詩作に多くの要素を与へてくれます」と中村草田男への手紙に書いている。他に「百燭に雉子の脂のぢぢと鳴る」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 0632013

 ぬかるみに梅が香低う流れけり

                           小津安二郎

は春にいち早くその香を放つから「春告草」とも「香栄草」とも呼ばれ、他の花にさきがけて咲くところから、「花の兄」と呼ばれることもある。よく知られている通り『万葉集』では、あの時代「花」と言えば梅の花のことだった。春先のぬかるみにもかかわらず、梅の香があたりに広がっているのだろう。梅を愛でる人たちも、高い香のせいでぬかるみが苦にならなくて、そぞろ歩いているようである。「梅が香低う」というとらえ方が、いかにも小津映画独特のロー・アングルやロー・ポジションに通じるところがあって、なるほど興味深い。低いカメラ目線で安二郎は、流れる梅が香をじっくり追っているようにさえ感じられる。小津映画で梅の花が実際どのように扱われていたか、今咄嗟に思い出せないのが残念だけれど、『早春』という作品で、アパートで麻雀に興じていた連中(高橋貞二、他)が「湯島の白梅」を歌い出すシーンが確かあった。小津は二十代に俳句を始め、蕪村の句を好んだという。他に「行水やほのかに白し蕎麦の花」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 1332013

 鍋釜を逆さに干せば春景色

                           清水哲男

ろんな「春景色」がある。目の付け方にもいろいろある。寒さからようやく解放されて、さまざまなものが活性化しはじめる春。そんなに激しくはなく、むしろやわらかな活性化と言ったほうがふさわしい。掲句に接して、すっかり忘れていた昔のある光景を思い出した。ーー春の昼下がり、食事が済んだあとの鍋釜を母が家の裏を流れている小川で洗って、お天気がいいから川べりの大きな石か何かの上に、逆さにして干しておくことがあった。そんな様子を目にして、いかにも春だなあと子ども心にもウキウキしていたものである。鍋釜でも食器でも、洗ったものは伏せて乾かす。農村暮らしも経験している哲男が詠んだのは、おそらくそれに近い景色だったかもしれない。庶民のつつましい生活が、天日に無造作に干してある鍋釜からも感じとることができる。その光景は庶民のしばしの平穏を語っているようでもある。掲句について、金子兜太は「軽い微笑みを誘い、春の麗らかな景色を引立てています。諧謔の持ち込み方がうまいですね」と評価している。哲男の鍋の句に「鍋底に豚肉淡く春の雨」がある。いずれも余計な力がこめられていないところに注目。『兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)


March 2032013

 春暁の土をざくりと掘り起す

                           小田 実

は曙……と「枕草子」の冒頭にある。暁は曙よりも時間的には早い。「冬来たりなば春遠からじ」とか「春眠あかつきをおぼえず」といった言葉は、もうお馴染みである。東の空が白みはじめる早朝、畑に出て土を掘り起す(畑と限らなくてもいいが)、土の上に立った晴ればれとした気持ち良さを、たまらずズバリ詠んだものであろう。「ざくり」がいかにもダイナミックであり、春早朝のこころの健やかな気合いが感じられる。掲句は、小田実が黒田杏子に宛てた手紙に、自ら引用した少年時代の俳句である。亡くなる五カ月前に書かれたこの手紙は、杏子の『手紙歳時記』(2012)に引用されている。「実を言うと、昔、少年時代、「俳句少年」でした。短歌は性に合わず、俳句をつくっていました。からだが大きかったので、まだ中学生なのに、大学生になりすまして、大人達の吟行に参加したこともありました」とある。「短歌は性に合わず」は頷けるけれど、彼が「俳句少年」だったことは、あまり知られていないのではあるまいか。小田実を悼んだ杏子の句に「夏終る柩に睡る大男」がある。(八木忠栄)


March 2732013

 春潮や渚に置きし乳母車

                           岸田劉生

もとにある歳時記には、「春潮(しゆんてう)」は「あたたかい藍色の海の水。たのしくゆたかな、喜びの思いがある」と説明されている。陽気が良くなり、春の海の表情もようやく息を吹き返して、どこかしらやわらいでくる。暖かさあふれる渚に置かれた乳母車にやわらかい陽がこぼれ、乗っている赤ん坊も機嫌良くねむっているようにさえ感じられる。穏やかな春のひとときである。橋本多佳子の名句「乳母車夏の怒濤によこむきに」とは対照的な世界と言える。劉生は言うまでもなく「麗子像」でよく知られた画家だが、詩や俳句、小説までも残している。「五、七、五、七、七などの調子の束縛はそれ自身が一つの美を出す用材になる。手段になる。ここでは縛られることが生かされる事になる」と書いている。俳句においても、「縛られること…云々」には私も同感である。鵠沼、京都などに住んだ後、鎌倉に転居してから掲句や「大仏へ一すじ道や風かほる」が「ホトトギス」「雲母」などに入選している。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


April 0342013

 花ぐもり机に凭れ空ろなる

                           五所平之助

之助は映画「マダムと女房」「煙突の見える場所」などで知られる名監督。若い頃には身辺に文学青年が多く、「柏舟」という俳号で句会によく顔を出し、先輩に可愛がられたという。脚本を書き、映画をつくるうえで俳句から多くを学んだ、と述懐している。「ぼくの映画には必ず季節感をとり入れた」とも語っている。ところで、今年の桜の開花は例年よりもかなり早くて、東京では三月末以前にもう満開をむかえた。花ぐもりで外気はまだ寒ささえ感じられるのだろうが、花見に出かけることもなく書斎で机に凭れて、しばし空ろな気持ちになっている。花の宴をよそに、静かな書斎で身をやすめて、花見の様子に思いをめぐらしているのかも知れない。それもまた花見どきの人の心のありようを表わしている。年々歳々、花見に出かけて行ってもバカ騒ぎをすることにも飽きて、缶ビールを飲みながら何とはなしに、しばし「空ろ」の時間に身をあずけている自分に気づくことがある。平之助には句集『わが旅路』(1979)がある。他に「花明りをんな淋しき肩を見す」がある。(八木忠栄)


April 1042013

 花屑をさそひし雨の一と流れ

                           永井龍男

年の桜は早かったから、掲句は今やタイミングがずれているということになるかもしれない。例年だったら「花屑」は今頃のタイミングなのではないかと思われる。咲き誇って人々を楽しませた花も、今は地べたに散ってしまって、あわれ「花屑」となってしまった。「屑」になっても花は花、桜の花びらは散ってもどこかしら華やいでいる。また、それだけにあわれも感じられる。ここでは川面をゆったり流れる花筏ではなくて、地べたの凹んだ箇所を流れる雨が、散った花びらを集めて一筋に押し流している。花筏とはちがった風情をつくり出している。「さそひし」がみごとな表現として効いている。龍男は文藝春秋に勤めていた頃、よく社員句会を開いたし、文壇句会にも熱心に出席して、その小説同様に味のある俳句をつくった。「小説を書いているときに句はできない。小説にはもっと濁ったものがある」と語った。「濁ったもの」か、なるほどそうしたものであろう。俳号は東門居。『阿呆らしき俳句』『文字の積木あそび』などの俳壇批判が注目された。ほかに「われの来し径か花敷く夕まぐれ」など。「太陽」(1980年4月号)所載。(八木忠栄)


April 1742013

 春眠や頭の中に馬の声

                           藤原龍一郎

眠は快い眠りであり、所在なくいつまでもうつらうつらしていたい。どっぷりとした深い眠りではなく、ぬるい眠りである。「馬の声」とは嘶きのことであろう。それを敢えて「馬の声」としたところがおもしろい。馬の声をあたりまえに耳で聞いているのではなく、「頭の中」に声があるというところに、この作者らしい工夫が感じられる。鼻息荒い「馬の声」ではなく、春だからおそらく穏やかなのであろう。穏やかな嘶きが、快く眠っている頭の中を行きつ戻りつしているのかもしれない。「駄句駄句会」(宗匠:山藤章二)で投句された一句である。句会の席では「馬の声」ではなく、「お侍」や「カトちゃん、ぺ」「犬の声」がいいなどと、他の人たちから勝手な意見が出たようだが、龍一郎は「『頭の中に』と言っちゃうと、下に何が来ても想像してくれる、という利点がありますね」と説いている。宗匠が思わず「ユニー句」とうなったようだ。龍一郎は歌人だが、俳句(俳号:媚庵)をはじめ、落語評論、ラジオ番組のディレクター、出版、電脳日記ほか、幅広く活躍しているユニークな才人。他に「湯たんぽを足で探るや四畳半」を別な時に投句している。歌集に『花束で殴る』『楽園』などがある。「駄句ばかり集めた本」と宗匠が自称する『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


April 2442013

 わが鬱の淵の深さに菫咲く

                           馬場駿吉

なき人は幸いなるかな、である。特に春は誰しも程度の差はあれ、わけもなく時に心が落ちこんでしまうことがあるもの。「春愁」などという小綺麗な言葉もあるけれど、春ゆえの故なき憂鬱、物思いのことである。その鬱の深さは他人にはわからないけれど、淵の深さを示すがごとく、底にわずかな菫がぽつりと咲いているようにも感じられる。咲いた菫がせめてもの救いになっているのだろう。深淵に仮にヘビかザリガニでも潜んでいたとしたら、ああ、救いようがない。掲句の場合、可憐な菫が辛うじて救いになっているけれど、逆に鬱の深さを物語っているとも言えよう。駿吉は耳鼻科医で、造耳術の研究でも知られる。独自な美を探究する俳人であり、美術評論家としても、以前から各界人との交遊は多彩である。俳句は「たった十七音に口を緘(と)じられた欲求不満」である、と書く。他の句に「大寒の胸こそ熱き血の器」がある。句集に『薔薇色地獄』『耳海岸』などがある。菫の句は漱石の有名な句もさることながら、渡辺水巴の「かたまつて薄き光の菫かな」もいとおしい。「太陽」(1980年4月号)所載。(八木忠栄)


May 0152013

 砂けむる大都の空の鯉のぼり

                           田村泰次郎

の時季列車の窓から、その土地その土地でのんびり空高く泳いでいる鯉のぼりを眺めるのは心地良い。思わず見とれてしまう。土地によって景色もそれぞれ違うわけだから、窓辺でのどを潤すビールも一段とおいしく、うれしいものに感じられる。都会で隣接した家の鯉のぼりを、四六時中見せつけられるのはあまりありがたくはないし、うれしい気持ちはいつまでもつづくものではない。掲句は中国からの黄砂とは限らないけれど、舞いあがる砂けむりのなかで、大きな口をあけて泳ぐ鯉のぼりは哀れである。(「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し、口先だけで中はからっぽ」→関係ないか。)しかも大都だから、当時のこととはいえ背景は初夏の緑というより、ビルの林立する都会の味気ない背景が想像される。今や、大都はコンクリートで固められてしまって、砂けむりもそんなに舞いあがらない。そういう空で泳ぐ鯉のぼりこそ哀れか? 初夏の空で果敢に泳いでいる鯉のぼりに、泰次郎は眼を細め、改めて大都にもめぐってきた季節をとらえている。今や、♪ビルより低い鯉のぼり……である。泰次郎の他の句に「たちまちにひらいてゐたり夜の薔薇」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 0852013

 五月雨や庭を見ている足の裏

                           立川左談次

談次は1968年に談志の弟子になった、立川流の古参。五月雨の時季、OFFの芸人が無聊を慰めているという図かもしれない。自画像か否か、どちらでもかまわない。雨の日はせかせかしないで、のんびり寝そべって足の裏で雨の庭をただ眺めている、そんな風情はむしろ好もしい。それが芸人ならなおのこと。足の裏に庭を眺めさせるなんて、いかにも洒落ている。そのとき眼のほうはいったい何を見ていたのだろうか? 「足の裏」が愛しくてホッとする。錚々たる顔ぶれがそろう「駄句駄句会」の席で、左談次はさすがによくしゃべり、毒舌も含めてはしゃいでいる様子である。ちなみに、この句に向けられたご一同の評言を列挙してみよう。「よそに出しても通用する」「いかにも怠惰な男の句です」「『浮浪(はぐれ)雲』みたい」「毎日寝ているひとじゃないと詠めない」「足の裏がいい」「この表現が落語に生きたらすごい」「古い日本人共通のノスタルジーだ」……みなさん勝手なことを言っているようだけれど、ナルホドである。左談次の俳号は遮断鬼。句会では、他に「三月の山おだやかに人を呑み」がある。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


May 1552013

 バスはるかゆらめいてみゆ薄暑かな

                           白石冬美

うした光景は一目瞭然であろう。いよいよ暑くなってきた時季、はるかかなたからよろよろと近づいてくる、待ちかねたバスが陽炎のようにゆらめいて見えてきた。♪田舎のバスはおんぼろ車/タイヤは泥だらけ窓は閉まらない……という、のどかな歌がかつてあったけれど、この場合、田舎のバスに限定することはない。にじむ汗を拭いながら、遠くからようやく姿を見せてやってきたバスに、ホッとしているのだろう。それにしても、見えているのにゆらめいているから、スピードはじっさい遅く感じられる。「はるかゆらめいてみゆ」の平仮名表記が、陽炎のように見えるバスのさまを表わしているところが憎い。汗だくの炎暑の真夏ではなくて、まだ「薄暑」の頃だから、掲句はきれいにおさまっている。この季語の使い方について、金子兜太は「とぼけて、はぐらかして、横からそっと差し出したような季語」と評している。他に「鬼灯を鳴らせば紅(べに)のころがりぬ」がある。俳号は茶子。猫の句を集めた句集『猫のしっぽ』がある。「俳句αあるふぁ」(1994年7月号)所載。(八木忠栄)


May 2252013

 老いてなお浮雲の愁いおお五月

                           伊藤信吉

齢をどんなに重ねても、人の思いは浮雲のように行方定まらないものかと思われる。自分でも齢を重ねるにしたがって、そのあたりのことはますます頷けるような気持ちがしている。若者の愁いにせよ、高齢者の愁いにせよーー人はまともに生きているかぎり、愁いがなくなることはないのかもしれない。信吉は九十五歳で亡くなったが、掲句は亡くなる二年前の作である。「老いてなお」という表現に、作者の深い思いや苛立ちといったものが感じられる。けれども諦念はしていない。「おお五月」という結句に「老い」を易々とは受け入れない、きっぱりとした気持ちが強く感じられて、むしろすがすがしいし、健やかである。私は伊藤さんに頻繁にお会いしたわけではないけれど、飾らず構えない、さっぱりとしたお人柄だった印象が残っている。エッセイでご自分の句を「演歌俳句」と書いたことがある。生前唯一の句集に『断章四十六』がある。1936年〜2003年までの俳句を収めた全句集『たそがれのうた』(2004)があり、掲句はそこに収められている。晩年の句に「上州ぞ吹くぞさびしいぞ空っ風ぞ」がある。上州群馬の人だった。(八木忠栄)


May 2952013

 夏柳奥に気っ風(ぷ)のいい主人(あるじ)

                           林家たい平

川啄木の歌ではないけれど、今の時季の柳は葉が青々と鮮やかで目にしみるようだ。冬枯れの頃は葉が枯れ落ちてしまい、幽霊も行き場を失うような寒々しい風情。「気っ風のいい主人」とは、八百屋か魚屋あたりだろうか? まあ、どちらでもいいが、さかんに風にゆられている店先の柳の動きと呼応して、店の奥で立ち働く主人にもそれなりの勢いが感じられる。落語家の着目だから、主人は江戸っ子なのかもしれない。「奥」といういささかの距離感が、句に奥行きを与えている(ダジャレじゃないよ)。「気っ風」とか「ご気性(きしょう)」などという言葉は、若い俳人にはもはや縁遠いものだろう。句会で〈天〉をとった句だという。改めての合評会で、たい平が「えーとどなた(の句)でしたっけ」などとトボケて(?)いるのは愛嬌。たい平は「笑点」だけでなく、ラジオのパーソナリティーとしてもなかなかのもの。伸びざかりの明るい中堅真打で、こん平の弟子。高座での田中眞紀子の声帯模写に、たびたび度肝を抜かれたことがある。武蔵野美術大学造形学部出身の変わり種。他に「夏痩せの肩突き刺して滝の糸」がある。俳号は中瀞(ちゅうとろ)。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


June 0562013

 緑陰に置かれて空の乳母車

                           結城昌治

が繁った木陰の気持ち良さは格別である。夏の風が涼しく吹き抜けて汗もひっこみ、ホッと生きかえる心地がする。その緑陰に置かれている乳母車。しかも空っぽである。乗せてつれてこられた幼児は今どこにいるのか。あるいは幼児はとっくに成長してしまって、乳母車はずっと空っぽのまま置かれているのか。成長したその子は、今どこでどうしているのだろう? いずれにせよ、心地よいはずの緑陰にポッカリあいたアナである。その空虚感・欠落感は読者の想像力をかきたて、妄想を大きくふくらませてくれる。若い頃、肺結核で肋骨を12本も除去されたという昌治の、それはアナなのかもしれない。藤田貞利は「結城昌治を読む」(「銀化」2013年5月号)で、「昌治の俳句の『暗さ』は昭和という時代と病ゆえである」と指摘する。なるほどそのように思われる。清瀬の結核療養所で石田波郷と出会って、俳句を始めた。波郷の退所送別会のことを、昌治は「みな寒き顔かも病室賑へど」と詠んだ。『定本・歳月』(1987)所収。(八木忠栄)


June 1262013

 かばやきのにほひや街のまひる照り

                           網野 菊

どきの下町であろうか、鰻屋が焼くあの「かばやきのにほひ」である。あたりに遠慮なく広がるおいしい香りはたまらない。かばやきのタレ作りは、その店その店で企業秘密とされる。味もさることながら、どうして独特な脂まじりの匂いがおいしいのだろうか? あの匂いをいやがる日本人は少ないと思う。焼鳥や秋刀魚を焼く匂いの比ではない。しかも街は夏のかんかん照りである。この「照り」が「にほひ」をいっそう引き立てている。ところで、鰻を扱った傑作落語はたくさんある。かばやきの匂いと言えば、ケチの噺のまくらとして登場するこんな小咄がある。ーーあるお店(たな)で昼どきになると、隣の鰻屋のかばやきの旨い匂いをおかずにして、そろっておまんまを食べる。月末に鰻屋が「嗅ぎ料」として勘定をもらいに来た。そこで主人は袋に入れた小銭をジャラジャラ鳴らして、その音だけを「嗅ぎ料」として支払った。どっちもどっちで、しかもじつにシャレているではないか。作家・網野菊を知る人は今や少ないだろうが、多くの俳句を残した。他に「短夜のはかなくあけし夢見かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 1962013

 梅雨ごもり眼鏡かけたりはずしたり

                           ジャック・スタム

文:shut in by rain / putting on my glasses / taking them off。故ジャック・スタムは知る人ぞ知る英文コピーライターで、俳人との交流も少なくなかった。ドイツ生まれのアメリカ人だったが、俳句は自ら英語と日本語で書いたほどの日本通。眼鏡はしょっちゅう曇るから、日に何度もはずしては拭かなければならない。まして梅雨どき、降りこめられて家から出られないときの鬱陶しさはかなわない。「かけたりはずしたり」の厄介さは、眼鏡をかけている人にとって梅雨どきならずともたまらない。「梅雨ごもり」などという古風な表現は、現代俳人の句にもあまり見られない。もっとも、梅雨であろうが、かんかん照りであろうが、現代人はこもってなんぞいないで、クルマでどこへでもスイスイ出かけるかーー。ジャックは趣味が幅広かった。十三年間親しく付き合って、俳句も手ほどきしたという江國滋は「(ジャックは)なんの因果か、日本語で俳句を作る趣味にとりつかれてしまった」と指摘しているが、句集には日本語と英語両表記の秀句がならぶ。1987年「日本語ジャーナル」誌の俳句コンクールで金賞を受賞した。他に「入梅の底を走るや終電車」「ひらがなでおいしくみえる鰻かな」もある。『俳句のおけいこ』(1993)所収。(八木忠栄)


June 2662013

 百丁の冷奴くう裸かな

                           矢吹申彦

書に「大相撲巡業」とある。俳句だけ読むと「お、何事ぞ!」と思うけれど、大相撲か、ナルホドである。夏のどこかの巡業地で出遭った実際の光景かもしれない。相撲取りの食欲とはいえ、「百丁」はオーバーな感じがしないこともないけれど、一つの部屋ではなく巡業の一行が一緒に昼食をとっているのだろう。二十人いるとしても一人で五丁食べるなら、「百丁」はあながちオーバーとは言えない。大きなお相撲さんたちがそろって、裸で汗を流しながらたくさんの冷奴を食べている。豪儀な光景ではないか。ユーモラスでもある。稽古でほてった裸と冷奴の取り合わせが鮮やかである。「百丁の冷奴」を受けた相撲取りたちの「くう裸かな」が、無造作に見えて大胆でおおらかである。申彦はよく知られたイラストレーターだが、俳句は三十歳をむかえる頃から始めたというから、今や大ベテラン。「詩心のない者は俳句を遊べても、俳句に遊べない」と述懐している。「遊べても……遊べない」そのあたりがむずかしい。俳句関連著書に『子供歳時記ー愉快な情景』がある。俳号は「申」から「猿人」。他に「想うこと昨日に残して鯵たたく」がある。「俳句αあるふぁ」(1994 年夏号)所載。(八木忠栄)




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