土曜の午前中はZouX最終編集。なるべく午後に発行すべく…。(哲




2013ソスN1ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1212013

 大空に月ぶら下がり雲凍てぬ

                           池上浩山人

そらく半月と動かない凍雲、冴え冴えとした景である。凍つる雲と、その雲を照らすほどではない寒々とした月、その二つが一対の景をなして広々とした真冬の空と大気を感じさせている。儒子を父に持ち儒学にも明るかった作者であると知ると、中七から下五にかけて確かに漢詩的な印象だ。また、ぶら下がる、という表現は、伝統的な美と格調を重んじたという作風とはやや違っているようにも思えるが、古書修理の職人であった作者の、まさに見たまま感じたままの言葉であり、滲むことも強く光ることもない冬の半月の形のありのままを表していると言える。今日は今年最初の新月、先週末の真夜中に見た半月を思い出している。『新日本大歳時記 冬』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


January 1112013

 寒燈の一隅を占め塑像の掌

                           黒田櫻の園

の園は金沢在住の俳人。戦後澤木欣一らと「風」を創刊。「馬酔木」の主要同人としても活躍した。この作句時は39歳。安東次男に次いで寒雷集の次巻頭を占めている。「寒雷」創刊からまだ三年、楸邨の出自である「馬酔木」から多くの若い俊英が投句していたことがうかがえる。前書きに「H氏アトリエ一句」。櫻の園は大学の歯学部を出たが、絵画、焼物の絵付、加賀友禅の絵柄などの製作デザイナーとしてその名を知られた。専門以外の分野に異才を放ったその後の傾向がこの句にも出ている。「寒雷・昭和十八年三月号」(1943)所載。(今井 聖)


January 1012013

 目が見えて耳が聞こえて冬の森

                           山田露結

が多いのが森、森より木が少ないのが林。と小学校のときに漢字を習ったときに教わった覚えがある。本当のところはどうなのだろう。夏の間あんなにも生い茂っていた葉をすっかり落としてしまった冬の森、青空もあらわに、遠くの音もすぐ近くに聞こえる気がする。冬の澄み切った大気に五感も研ぎ澄まされ、自分の目が見えて、耳が聞こえることが今更のように意識される。目が見えて、耳が聞こえる主体は勿論人間である自分なのだろうが、森それ自体が耳をすまし目を見開いているようだ。冬の森と「わたし」の感受性が共鳴しているのだろう。森の中には冷たい大気のように腹を空かせた猛禽類もいて聞き耳をたてているかもしれない。と勝手な想像はどんどん膨らんでゆく。「歩道橋より氷海を見下ろせる」「あゝこれも中古(ちゅうぶる)の夢瀧涸るる」『ホームスイートホーム』(2012)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます