凍結した道をそろりそろり歩いて買い物へ。今日はもう少し遠出。(哲




2013ソスN1ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1712013

 いくたびも名を呼び冬の星増やす

                           月野ぽぽな

書きに「コネチカット銃乱射に倒れた子供たちの冥福を祈り」とある10句のうちの最終に置かれた句。12月14日にアメリカで起きた20人の児童を含む26人が犠牲になった事件を悼んでの連作である。この事件で連想されるのは2001年6月に起こった池田小学校の事件だが、当時中学校に勤めていた私は突然教室を襲う暴漢に対処する訓練を受けた。そのとき生徒の立場で最後尾の列に座っていた私は教室後部のドアをいきなりあけて飛び込んできた暴漢役の先生が手に持つ武器で「あっ」という間もなく刺されていた。訓練だとわかっていても襲われた瞬間の恐怖は忘れられない。子供たちはどんなにか怖く痛かったことだろう。恐怖のうちに凶弾に倒れた子供たちを思うと、何ともいえない心持になる。この「何ともいえない」心持ちを俳句に託し読み手へ差し出すまでの道筋は遠い。言葉は正直なので薄っぺらな同情や偽善は炙り出されてしまう。連載された10句そして、掲句からは理不尽な凶弾に命を奪われた子供たちに対する作者の憐憫がひしひしと感じられる。俳句でこうした事件を詠む困難さに躊躇する前に暖かな感情を込めた言葉が動く作者の在り方に深く敬服する。『里』(2012/12月号第3巻第17号 通巻第117号)所載。(三宅やよい)


January 1612013

 阿武隈や朝靄に溶く白き息

                           増田明美

美は言うまでもないけれど、日本を代表する元マラソン・ランナー。引退するまでの13年間に日本最高記録を12回、世界最高記録を2回更新した逸材である。現在はスポーツ・ジャーナリストとして活躍中だ。この人のマラソンを主としたスポーツ解説は押し付けがましくなくて、とてもていねいでわかり易い。いつも安心して聴いていられる。彼女は現在も毎日一時間はジョギングを欠かさないという。「走って俳句を作る“ジョギング俳句”を楽しんでいます」という。冬の早朝、福島県阿武隈川の堤防を走っているのだろう。厳しい寒気のなかでせわしなく吸う息・吐く息が、刻々と朝靄にまじり合う。吐く息が朝靄に溶け合って白くなって行く、という早朝の健やかな光景である。熱心に走っている本人は決してラクではないだろうけれど、どこかしら張り切って楽しんでいる表情も見えてくるようだ。金子兜太はこの句を秀逸と評価して、「体に柔らかい美がたまっていると思った」「言葉が自ずから美しく響いてくる」と評言している。明美は「カゼヲキル」という小説も刊行した才人である。他に「エプロンで運ぶサラダは春キャベツ」という女性らしい句もある。『金子兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)


January 1512013

 一つ足し影の枝垂るる繭飾り

                           榎本好宏

日1月15日は小正月。15日というと一月も半分も過ぎてしまったという焦燥を募らせる頃だが、元日の大正月に対して小正月は古くから豊作を占う行事など華やかに行われる日だった。掲句の繭飾りもそのひとつで、木の枝に繭の形に丸めた餅を吊るして五穀豊穣を願う。地域により使う木もさまざまで、餅以外にも縁起物などにぎやかに装飾する場所もあるが、おそらく掲句は、柳や水木など、しなやかな枝にごくシンプルに飾り付けられているものだろう。明るい冬の日が差し込む座敷で、耳たぶほどのやわらかさにこねた団子をひとつずつ丸めては、枝に付ける。ひとつ加えるごとに、まるで稲穂が実るように枝垂れていく繭玉の漆黒の影が冴え冴えと畳に伸びる。五穀豊穣。古来から人々が願ってやまなかった祈りの言葉のなんと美しいことだろう。この繭飾りに付けた餅は、その夜、お飾りを焼く左義長の火であぶって食べると、一年風邪をひかないといわれ、子どもたちの遊びに還元される。生活の祈りは、どれも楽しみと手を取り合って、人々の生活に根付いていた。〈注連縄の灰となりけり結び目も〉〈餅間といふ月の夜の続きけり〉『知覧』(2012)所収。(土肥あき子)




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