気がつけば、一月もあと1週間。日脚が伸びてくるのは嬉しいが。(哲




2013ソスN1ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2512013

 冬並木袴の黒を触れ帰る

                           小西甚一

治山田からの投句。作者は1915年生まれで2007年没。楸邨より十歳も年下だが楸邨が晩学だったため、東京文理科大では能勢朝次の担任クラスの同級生であった。氏は35歳で日本学士院賞を受賞し後年には文化功労者となるなど国文学者として名を成したが、俳句は早くからこの年上の同級生に師事。戦後もずっと「寒雷」に拠った。昭和五十年前後、上京して東京句会に現れ句会後の居酒屋で川崎展宏さんと酔っ払いの激論を交わしていたのも記憶に新しい。生真面目に対応する甚一さんにつっかかっていたのはもっぱら展宏さんの方であったが。この当時氏は28歳、文理科大学国文科研究科に在学中。袴を穿いて通学していたことがうかがえる。こういう句を見ると真摯な学徒としての日常を感じる。大戦争の戦時中ですらこの落ち着きである。学園紛争くらいで大騒ぎせず僕も若いうちにもっと勉強しておけばよかったと思うことしきりである。「寒雷・昭和十八年三月号」(1943)所載。(今井 聖)


January 2412013

 その息の白いたましひつぽいかたち

                           佐山哲郎

の冷たい空気に吐く息が白っぽく見えるのは冬ならではの現象。その息の形が魂っぽく見えるってどんな形だろう。漫画の吹き出しのようでもあるが、はぁーと全身でため息をついて脱力したのかもしれない。そういえば昔、少年雑誌のグラビアに掲載されていた心霊写真にエクトプラズマ現象を写したものがあり、男の人の口から魂がとろーんと出ていて、おどろおどろしく怖かった。「その息」と限定しているわけだから、特定の人の白息がよっぽど太く、白く見えたのだろう。タバコで吐きだす煙にも。愛煙家によって個性があるように白息にも人によって特徴があるかもしれない。今日は出勤時に駅のプラットホームで電車を待つ人が吐く息に注目してみよう。『娑婆娑婆』(2011)所収。(三宅やよい)


January 2312013

 冬凪や鉄塊として貨車憩ふ

                           木下夕爾

とした冬のある日、風がない穏やかな日になったりすることがある。それが冬凪。寒中の凪を「寒凪」と言い、北海道あたりの寒さ厳しいなかでの凪はとくに「凍凪」と呼ばれる。吹雪であろうが、風雨であろうが、機関車に引かれて貨車は走りつづける。しかし、冬凪で停車しているときは貨車としてではなく、黒々とした単なる鉄の塊となって、ホッとしているようにも見えたりする。今はじっくり憩っているのだ。どんな天候にもかかわらず走っているときは貨車そのものだけれども、停車して憩っているときは鉄の塊と化している。「鉄塊」としてとらえた観察は鋭いし、中七はこの句のポイントになっている。貨車の静と動が対比的に見えてくるようにも感じられる。「貨車」のままで憩っているわけではなく、鉄の塊と化してしばし憩っているというわけだ。憩っていても鉄塊であり、貨車は決して緩んでいるわけではないことを理解させてくれる。夕爾には、他に「汽笛の尾ながし片側町の冬」「冬濤とわかれ大きく汽車曲る」などがある。『菜の花集』(1994)所収。(八木忠栄)




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