二月。誕生月にして後期高齢者への仲間入り月。やれやれです。(哲




2013ソスN2ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0122013

 枯園に音なきときぞ猫きたる

                           八木林之助

後「鶴」に投句。石田波郷に師事。鶴賞を受賞し波郷門の重鎮となった。1921年生まれで1993年没。この句の当時21歳。寒雷集二句欄に能村登四郎、森澄雄らと並んで出ている。同じ号の楸邨の句に「幾人(いくたり)をこの火鉢より送りけむ」がある。音をさせて出てくる猫ではなく、音が消えたときに出てくる猫。繊細な感覚が生かされている。「ぞ」を用いた句も最近とんと見ない。いつか使ってみたい。「寒雷・昭和十七年三月号」(1942)所載。(今井 聖)


January 3112013

 グリム読む天井に出し雪の染み

                           石井薔子

の頃は「青空文庫」で昔懐かしい童話が手軽に見つけられる。この句に触発され、さっそくグリム童話の「白雪姫」を電子書籍版でダウンロードしてみた。何と日本語訳は菊池寛になっている。「むかしむかし、冬のさなかのことでした。雪が鳥の羽のようにヒラヒラと天からふっていましたときに、ひとりの女王さまがこくたんのわくのはまった窓のところにすわってぬいものをしておいでになりました」と物語は始まる。寝床に入って暗い天井を見ながら母親に読んでもらった童話の数々。天井にしみ出した雪の染みが動物に見えたり、魔法使いの顔になったり、ぼんやりと見つめるうちに深い眠りに引き込まれてゆく。絶え間なく降り積もり雪は雪国では死活問題だろうが、東京に住む私にとっては別世界の象徴でもある。雨の染みではなく「雪の染み」なればこそグリム童話が似つかわしいのだろう。『夏の谿』(2012)所収。(三宅やよい)


January 3012013

 一月の死へ垂直な独楽の芯

                           高岡 修

の初めの「一月」を「正月」と呼ぶと、両者が与えるイメージは同じ月でありながら、ニュアンスはだいぶちがってくる。「正月」だと、かなり陽気でくだけた楽しいイメージを放つ。まさに年の初めの「めでたさ」である。ところが「一月」とすると、どこかしら年の初めの厳粛な緊張感を伴った寒々しさが感じられる。おもしろいと思う。それゆえに「一月の死」は考えられても、「正月の死」はちょっと考えにくい。この場合の「一月の死」は、さまざまな受け取り方が考えられるだろうが、私は「形而上的な死」という意味合いとして、この句がもつ時空を解釈したい。死、それとは対極的に勢いよく回る独楽は、まっすぐにブレることなく静止しているかのように勢いよく回っている。しかし、その垂直な芯はやがてブレてゆらいで、必ず停止するという終わりをむかえることになる。つまり死である。一月の「1」という数字と、回っている独楽の芯の垂直性とが重なって感じられるーーというのは読み過ぎだろうか? 明日で一月は終わる。同じ句集には、他に「春の扉(と)へ寝返りを打つ冬銀河」がある。『果てるまで』(2012)所収。(八木忠栄)




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