東京にも雪の予報。最高気温予想は3.0度。今冬最高の寒さかも。(哲




2013N26句(前日までの二句を含む)

February 0622013

 書を売つて書斎のすきし寒(さむさ)哉

                           幸田露伴

寒を過ぎたとはいえ、まだまだ寒さは厳しい。広い書斎にも蔵書があふれてしまい、仕方なく整理して売った。ようやくできた隙間にホッとするいっぽうで、寒い季節にあって、その隙間がいやに寒々しく感じられ、妙に落着かないのであろう。昨日までそこに長い期間納まっていて、今は売られてしまった蔵書のことが思い起こされる。その感慨はよくわかる。書棚に納められているどの一冊も、自分と繋がりをもっていたわけだもの。蔵書は経済的理由からではなく、物理的理由から売られたのであろう。理由はいずれにしろ、そこにぽっかりとできた隙間、その喪失感は寒々しいものだ。身を切られるような心境であろうし、同じようなことは多くの人が大なり小なり経験していることでもある。誰にとっても蔵書が増えるのは仕方がないけれど、じつに厄介だ。露伴は若くして俳句に親しみ多くの句を残しただけでなく、俳諧七部集の評釈でもよく知られている。他に「人ひとりふえてぬくとし榾の宿」がある。『蝸牛庵句集』(1949)所収。(八木忠栄)


February 0522013

 如月や閑と木の家紙の家

                           照屋眞理子

画「裏窓」の原作者ウイリアム・アイリッシュの小説で「日本の家は木と紙でできているので、一本のカミソリがあれば侵入可能」とあるのを見つけたときにはずいぶん驚いた。障子と襖を思えばおよそ間違いではないが、おそらく作家の頭には紙でできたテントのようなしろものが浮かんでいたのではないか。たしかに煉瓦の家に暮らす国から見れば、木の柱と紙の仕切りとはいかにも華奢に思えることだろう。子どもたちが襖や障子の近くで遊ぶことが禁じられていたのは、破いたり、壊したりしない用心だった。表千家の茶室で扁平な太鼓帯にするのは「壁土をこすって傷つけないように」と聞いて、細やかな作法はこの傷つきやすい日本家屋によって生まれたものだとあらためて思ったものだ。掲句に通う凛とした気配に、冴え渡る如月の空気のなかで、まるで襟を合わせたような神妙な面持ちの家屋を思う。そして、その中に収まるきれいに揃った畳の目や、磨かれた柱を日本に暮らすわたしたちは思い浮かべることができる。〈開かずの間いえ雪野原かも知れず〉〈この世にも少し慣れたかやよ子猫〉『やよ子猫』(2012)所収。(土肥あき子)


February 0422013

 立春の日射しへ雪を抛り上げ

                           大滝時司

日立春。「ちっとも春らしくないな」という人がいるけれど、立春は春のはじまる日なのであって、春ではない。灰色に塗りつぶした画用紙の隅っこくらいに、ぽつんと緑か黄色の点を打ち、この点を春と見立てた感じである。つまり、季節はまだまだ冬の色のほうが勝っているということだ。東京辺りでもそんな具合だから、北国は依然として冬の真っ盛りにある。毎日のように雪が降るし、除雪作業に追われる日々はつづいたままだ。でも逆に、そんな土地柄だからこそ、「春」という言葉には鋭敏なのである。立春と聞いて明るい心になるのは、雪の少ない地方の人よりも、だんぜん雪国の人のほうが多いだろう。この句には、その気分がよく出ている。珍しく晴れた立春の日射しに向かって、勢いよくスコップの雪を抛り上げる作者の動きは軽快だ。明日も明後日も除雪作業はつづいていくのだが、作者の心には早や雪解け水のように明るいものが流れはじめているのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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