センター試験、国語の平均点が過去最低。小林秀雄で苦戦したか。(哲




2013N29句(前日までの二句を含む)

February 0922013

 春の空後頭部から水の音

                           岩崎康史

月の空は、秋の高い空とはまた違った青さを見せて美しいが、時にゆるゆると霞んだ春の空になる日もある。先週末、雨がぱらついた時は久しぶりにやわらかい土の匂いが漂って、立春の日の空はぼんやりと春めいた色をしていた。掲出句、もう少し春が深まって暖かさを感じる頃だろう、ただ、立春の日の淡い空の色が、昨年の夏に読んだこの句を思い出させた。俳句初心者の高校生が初めての吟行で作った句だ。後頭部から水の音、は、春の池が自分の後ろにある感じ、と本人は言っているが、頭の中で水音がしているようにも思える。それは、せせらぎの音なのか魚が跳ねる音なのか鳥の羽が水面を打つ音なのか。いずれにしても、水音を後ろに感じながら、春の空、と視線を広々とした空へ誘っているのがいい。読者も作者同様、空を見上げ深く一つ息をして、音や光やさまざまな春のざわめきを感じることができるのだ。今井聖『部活で俳句』(2012・岩波書店)所載。(今井肖子)


February 0822013

 枯並木蒼天の北何もあらぬ

                           阿部しょう人

者は1900年生まれ1968年没。52年より俳誌「好日」を主宰。著書である俳句の手引き書「俳句 四合目からの出発」はさまざまの例句をあげて欠点を指摘する「べからず集」として話題を呼んだ。この句、新京大同広場の前書きがある。新京は満州国の首都で長春を改名したもの。敗戦の後はまた長春に戻った。「蒼天の北何もあらぬ」が島国に住むものにとっては想像を絶するほどの広大さを思わせる。「何もなし」にすれば字余りは避けられるのに「何もあらぬ」と置いた強い詠嘆を感じさせる効果。枯木立ではなくて枯並木と置いた工夫。どちらも類型を嫌う配慮が見える。才を感じさせるのに十分な手際である。「寒雷・昭和十七年三月号」(1942)所載。(今井 聖)

お断り】作者名「しょう」、正しくは竹冠に肖です。


February 0722013

 ふりそそぐひかり私の逆上がり

                           徳永政二

かった冬を抜け、ようやく立春を迎えた。これからは一日一日日が長くなり、日差しは明るさを増してゆくだろう。本格的な春がどんどん近づいてくる。「光の春」はロシアで使われていた言葉らしいが、緯度の高い国々に住む人たちにとって春は希望そのもの。降り注ぐ光に春を待つ気持ちが強く反応し、この言葉が生まれたのだろう。鉄棒を握って「えいっ」とばかりに足を振り上げて回る逆上がり。まぶしい青空がうわっと顔に降りかかりくるっと回転する。逆上がりが苦手な私はなかなか回転出来なかったので、あおむけの顔に日の光を存分に浴びた覚えがある。眩しい日差しと手のひらの鉄の匂い。もうすぐ春がやってくる。掲句は川柳フォト句集のうちの一句。『カーブ』に引き続き、写真と川柳のセンスあるコラボレーションがふんだんに楽しめる。「春がくる河馬のとなりに河馬がいる」「あの人もりっぱな垢になりはった」『大阪の泡』(2012)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます