February 112013
旗立てて古りし傷撫づ建国日
長かずを
戦後の祝日風景で、もっとも変わったのは、ほとんどの家で国旗を掲げなくなったことだろう。戦前は、田舎の隅々にいたるまで、国旗掲揚は普通のことだった。最近では官庁などのお役所や、バスなどの交通機関くらいでしか見られない。この句の作者はそんな風潮に抗しているのか、あるいは昔ながらの習慣が捨てられずに、玄関脇に国旗を立てている。そして立てた国旗を見上げながら、無意識のうちにかつて受けた古傷の痕を撫でている自分に気がついた。この傷は、むろんお国のために戦った際の傷でなければならない。とはいえこの句には、建国記念の日を心から祝っているのでもなければ、そのかみの戦争を呪っているわけでもあるまい。国旗の掲揚と戦争による古傷との取り合わせは痛々しいが、作者当人はことさらに何かを訴えたいのではなく、逆にそんな時代を生きてこざるを得なかった宿命を諦観している。言うならば、この諦観はいつの時代にも私たち庶民の心情を支配してきたのであり、そのことがまた生き抜くための知恵であったことに思い当たる。哀しいかな、それが現実というものだと思う。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)
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