「漫画サンデー」が半世紀の歴史に終止符を打つことに。(哲




2013N212句(前日までの二句を含む)

February 1222013

 鞦韆にこぼれて見ゆる胸乳かな

                           松瀬青々

こを書くとき、折々今日は何の日か確かめる。七十二候や一般的な行事以外でも、なかなか面白い発見をすることもある。そして、今日2月12日はブラジャーの日。1913年、アメリカでマリー・フェルブ・ジャコブが現在の形に近いブラを発明、特許取得。世界初のブラジャーはハンカチをリボンで結んだだけという単純なものだったという。そして下着メーカー、ワコールがこの日を制定した。女性にとっては必需品でも、男性には謎の多い蠱惑的なしろものだろう。掲句、上五「鞦韆」に「ふらここ」のルビあり。同義の「ブランコ」より大人っぽく、「しゅうせん」より軽やかだ。健康的な女性のはつらつと弾む胸は、男性ならずとも目を引きつける。ふらここの描く弧からこぼれるような胸乳を想像するとき、性的な魅力を超越した屈託のない美しさを感じる。春をつかさどるといわれる佐保姫が霞の衣をまとい、たわむれに鞦韆を漕いでいるかのように。『松苗』(1939)所収。(土肥あき子)


February 1122013

 旗立てて古りし傷撫づ建国日

                           長かずを

後の祝日風景で、もっとも変わったのは、ほとんどの家で国旗を掲げなくなったことだろう。戦前は、田舎の隅々にいたるまで、国旗掲揚は普通のことだった。最近では官庁などのお役所や、バスなどの交通機関くらいでしか見られない。この句の作者はそんな風潮に抗しているのか、あるいは昔ながらの習慣が捨てられずに、玄関脇に国旗を立てている。そして立てた国旗を見上げながら、無意識のうちにかつて受けた古傷の痕を撫でている自分に気がついた。この傷は、むろんお国のために戦った際の傷でなければならない。とはいえこの句には、建国記念の日を心から祝っているのでもなければ、そのかみの戦争を呪っているわけでもあるまい。国旗の掲揚と戦争による古傷との取り合わせは痛々しいが、作者当人はことさらに何かを訴えたいのではなく、逆にそんな時代を生きてこざるを得なかった宿命を諦観している。言うならば、この諦観はいつの時代にも私たち庶民の心情を支配してきたのであり、そのことがまた生き抜くための知恵であったことに思い当たる。哀しいかな、それが現実というものだと思う。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


February 1022013

 軍港へ貨車の影ゆく犬ふぐり

                           秋元不死男

いですね。今年は梅の開花が二週間ほど遅れているそうですが、先月末、谷保天満宮の梅林に探梅しに行くと、百本ほどの梅の木の中で、三本ほど、花が開いているものがありました。それも、一本の中で二輪、三輪ほどの開花ですから、一分咲き未満です。天神様お墨付きの梅は、永い間春のブランドの座を保っていますが、梅と違って犬ふぐりは、河川敷のグランド隅に見つける花です。誰にも気づかれずに踏みつけられることもある花ですが、無所属の自由さがあり、春を一番に知らせるこの野の花が好きです。球春も、犬ふぐりとともにやってきます。掲句のように、犬ふぐりは何かの脇に咲いていて、けっして主役にはならず、また、群生するところを見かけません。軍港へ向かう貨車は、金属の物体を運び、鉄路の音を立てて、重くゆっくり移動しています。この時、作者は、鉄路の音を耳にしながらも、影の動きの中に、はっきり犬ふぐりを見つめています。影だから、犬ふぐりは踏みつけられることはない。それを喜んでいると読むのは僭越でしょう。ただ、昭和十八年二月十日夜、迎えに来た妻とわが家へ帰る時の「獄を出て触れし枯木と聖き妻」「北風沁む獄出て泪片目より」「寒燈の街にわが影獄を出づ」(「瘤」)の句にもあるように、京大俳句事件で新興俳句の弾圧に連座し、二年間、獄中生活を送った身です。掲句の鉄路の音に、不吉で不条理なものを感じつつ、しかしそれは音の無い影の移動に変換されて、作者は、青紫の小さな花一輪に、ささやかな春を見い出しています。『秋元不死男全句集』(1980・角川書店)所収。(小笠原高志)




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