午後、余白句会。兼題は「鴬」「枕(要季語)」。春遠からじ。(哲




2013N216句(前日までの二句を含む)

February 1622013

 早春や目つむりゐても水光り

                           越後貫登志子

春と浅春の違いが話題になった。季感はほとんど同じなので、あとは感覚の違いということだったが、浅春は、春浅し、で立っておりたいてい、浅き春、春浅し、と使われる。浅き春は、春まだ浅いということでやや心情的、言葉として早春よりやわらかい、などなど。確かに個々の感覚なのかもしれないが、この句に詠まれている水のきらめきは、まさに早春のものだろう。風に冷たさが残っていても、そこに春が来ていることを感じさせてくれる。耀く水面を見ていた作者、目を閉じてもその奥にまだ春光が残っている。この句の隣に〈早春の馬梳かれつつ日に眠る〉(小池奇杖)とあり、春は空から日ざしから、と言うけれどほんとうだな、とあらためて思うのだった。『草田男季寄せ 春・夏』(1985)所載。(今井肖子)


February 1522013

 ねずみの仔凍てし瞼の一文字

                           平山藍子

の鼠の仔は死んでるのかな。生きたまま発見されたけど「凍てし」は寒い外気を喩える比喩なのか。どちらにしても鼠の仔が哀れだなあ。寒鴉なんか季語だし、鴉の孤影とかいってよく詠まれるけど、哀れを詠んでも余り物を少しやろうとかは考えないのだろう。はいはいそれはもっともです。害鳥ですからね。近くの公園で犬を連れて歩いていると近所の爺さんが家を出たり入ったりしてこちらをうかがっている。「犬の糞は持ち帰ること」と公園に貼ってあるのでこちらの所業を見張っているのかなと思い立ち去ってふりかえるとその爺さん、辺りを気にしながら公園のつがい鳩に餌をやっていた。公園には「鳩に餌をやらないで」とも書いてあるのでこちらの眼を気にしていたのだった。こんな爺さんを僕は好きだ。じゃあ、お前、ごきぶりとか蚊はどうなんだといわれると考えてしまうけど。鼠の仔もよく見ると可愛いよね。「寒雷・昭和45年3月号」(1974)所載。(今井 聖)


February 1422013

 中年やバレンタインの日は昨日

                           小西昭夫

レンタインは昨日だったのか!と後から思うぐらいだからチョコレートのプレゼントはなかったのだろう。バレンタインデーと言っても楽しいのはお目当ての彼氏がいる若い人たちばかり。大方の中年男性は職場で義理チョコを差し出されて初めて気づく日だろう。義理チョコをもらっても食べるのは奥さんか子供。ホワイトデーのお返しは買った方がいいかな、返す必要もないか、なんて頭を悩ますのも気重である。「中年や遠くみのれる夜の桃」と西東三鬼を思わせ初句の出だしではあるが、今の中年はこの句が醸し出すエロスからも遠く、冴えない現実を送っているのだ。「ゴミ箱につまずくバレンタインの日」(東英幸)なんて句もあり、そんなお父さんたちが空手で家に帰ってきても「チョコレートは?」なんて聞かないように。『季語きらり』{2011}所載。(三宅やよい)




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