昨朝急に悪寒がして激しい腰痛。今朝はケロリ。何だったのか。(哲




2013ソスN2ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2422013

 暮雪飛び風鳴りやがて春の月

                           水原秋桜子

書に、「八王子は天候の急変すること多し」とあります。作者は、昭和二十年の東京空襲で自宅・病院・学校を焼失し、八王子市中野に転居。掲句は、昭和二十四年の作です。八王子は、東京から内陸へ約40km、奥多摩山地のふもとで、東側は平地、西側は盆地のような地形ですから、都心とは気温・気候は違って、冬は3℃くらい低く、夏は3℃くらい暑い内陸型の気候で、前書のとおり、たしかに天候が急変することの多い土地です。関東地方は、立春を過ぎてから一度まとまった雪が降って、それからようやく春を迎えることが多く、これはたぶん、西風から東風に切り変わる時の現象でしょう。ですから掲句は、春一番ならぬ春を告げる暴風雪。暮れ時から夜にかけて、街の色彩がモノクロの闇へと移り変わる中、雪の白が斜めにドローイングしているようです。また、「ボセツ・トビ・カゼ」と濁音が連なり、吹雪を音標化しています。五七五は、動・動・静へと納まって、春の月は澄み、清らかです。昭和二十四年の心持ちとして読むのは方向違いでしょうが、叙景そのものから、人と時代の背景を推測する寄り道も、俳句には許されているように思われます。以下蛇足。森進一さんに歌っていただきたい句です。森進一さんの声は、吹雪、風鳴り、しぶきの声です。森進一さんの声を聴くとき、その濁音は、じかに鼓膜をふるわせます。尺八のむら息もそうですが、日本の耳は、噪音を求めているところがあります。「水原秋桜子集」(1984・朝日文庫)所収。(小笠原高志)


February 2322013

 白梅に立ち紅梅を見て居りぬ

                           上迫しな女

年は梅が遅いという。近所の梅園は先週の日曜日で二三分咲きだったが植木市も立って、人がずいぶん出ていた。毎年のことだがまだまだ寒く、じっと佇んでいたりお弁当を広げたりしている人はあまりいないが、焼きそばや甘酒はよく売れていて、屋台の前のテーブルは満席。その真ん中にほぼ満開の紅梅がひょろりと立っていたが、見上げる人もほとんどなく香りも焼きそばにかき消され、なんだか気の毒だった。掲出句の紅梅は梅園の隅にくっきりと濡れたように立つ濃紅梅だろうか、遠くからそれをじっと見ている作者である。青みがかったり黄みがかったり、さまざまにほころんでいる白梅の近景と一点の紅梅の遠景が、一句に奥行きを与えると同時に、梅見らしいそぞろあるきの感じを醸し出している。『旅の草笛』(2001)所収。(今井肖子)


February 2222013

 二度呼べばかなしき目をす馬の子は

                           加藤楸邨

浜横須賀道路は横須賀に近づくにつれて左右が山。夜は車の数も極端に少ない。路側の灯だけが等間隔に続いていく。走っていていつも思うのはこの山には狸や狐や猪など野生動物が今この時も住んでいるのだろうかということ。ときどき「動物注意」の看板が出てくるから轢かれて死んだりするのも居てそれなりに動物は生息しているのだろう。何を食べているんだろう。冬だと飢えているのだろうな。個人的に飼ったことのある動物は犬、猫、雀、栗鼠(シマリス)、烏。(雀と烏は野鳥なので飼育は禁じられている。両方とも巣から落ちたのを拾ってきて傷が癒えたら野に帰したのである)それから住まいが家畜試験場の中にあったので鶏と豚。栗鼠を除いてはほんとうに賢かった。雀でも鶏でも喜怒哀楽はちゃんとある。雀にいたっては朝寝ているこちらの髪の中に入り込んで起こしにきた。今でもラブラドール犬の梅吉と一緒にベッドで寝ている。こんな句を読むといろんな奴らとの交流を思い出して胸が熱くなる。「角川文庫・新版・俳句歳時記」(1984)所載。(今井 聖)




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