三月。桜が咲く頃に友人の十三回忌。死者はいつまでも若い。(哲




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March 0132013

 雪国やしずくのごとき夜と対す

                           櫻井博道

喩は詩の核だ。喩えこそ詩だ。しずくのごとき夜。絞られた一滴の輝く塊り。「対す」は向き合っているということ。耐えているんだな、雪国の冬に。この「や」は今の俳人はなかなか使えない。「や」があると意味が切れると教えられているから「の」にする人が多いだろうな、今の人なら。「の」にするとリズムの流れはいいけど「対す」に呼応しての重みが失われる。そういう一見不器用な表現で重みを出すってのを嫌うよね、このところは。こういうのを下手とカン違いする人がいる。そうじゃないんだな。武骨な言い方でしか出せない野太さってのがある。やっぱり巧いんだな、博道さん。「寒雷・昭和38年7月号」(1963)所載。(今井 聖)


February 2822013

 大空にしら梅をはりつけてゆく

                           山西雅子

戸の偕楽園では2月20日から「梅まつり」が始まる。梅の香に着実に近づいている春を感じることができることだろう。いつも散歩で通りかかる近所の家のしら梅も見ごろである。「白梅のあと紅梅の深空あり」の飯田龍太の句にあるごとく本来は白梅より紅梅の花期はやや遅いようだ。しら梅の姿そのものが早春の冷たさのようでもある。カンと張り切った青空に五弁の輪郭のくっきりとしたしら梅を見上げると「はりつける」という形容が実感として感じられる。それだけでなく一輪一輪ほころんでゆくしら梅を見つめての時間の経過が「ゆく」に込められており、日々しら梅を見つめ続ける作者の丁寧なまなざしが感じられる。毎年、青梅の吉野梅林を見にゆくのだけど今年はいつが見頃だろうか?楽しみだ。『沙鴎』(2009)所収。(三宅やよい)


February 2722013

 坐りだこ囲炉裏に痛し稗の飯

                           高村光太郎

襲で家を焼かれ、敗戦直前から花巻近郊の山小屋で、敢えて孤愁の日々を過ごした光太郎の暮らしぶりを偲ばせる句である。「独居自炊孤坐黙念」の七年間を送ったという。今日の一部文人たちによる「山小屋へ出かけてのくらし/仕事」とはワケがちがう。「ペンだこ」ではなく「坐りだこ」が、山での暮らしぶりと詩人の決意のほどを物語っている。小屋に坐りつづけている暮らしだから、「坐りだこ」が囲炉裏の板の間ではきつくこたえる。しかも鍋で煮て食べるのは白米ではなく、稗の飯である。稗や粟も忘れられつつある昨今。オーバーな表現というわけではない。骨太の男が黙念と囲炉裏の板の間に坐って稗の飯を食べる、その寒々しさ。戦争協力詩を書いた光太郎にとって、それはつくづくニッポンの寒々しさであり、痛さそのものであったと思われる。「焼け残った父光雲譲りの道具で囲炉裏を切り、煮炊、夜は炬燵にして寒さをしのいだ。電気、水道のない生活」(内藤好之)だった。光太郎が残した俳句は六十余句だと言われるが、「短詩形のもつ一種独特な詩的表現は、小生自身の詩作に多くの要素を与へてくれます」と中村草田男への手紙に書いている。他に「百燭に雉子の脂のぢぢと鳴る」がある。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)




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