March 152013
田打ち花歩かされては牛買はれ
柴田百咲子
俳号ひゃくしょうしと読む。牛を市場で次々と歩かせて見せて値が付き買われていく。田打ち花は辛夷の花の俗称。田打ちの頃に咲くからということでついた呼び方だろう。この季語が活き活きとはたらいていることは田打ち花を「花辛夷」と置き換えてみるとよくわかる。「花辛夷歩かされては牛買はれ」。歩かされては買はれの「哀感」だけが強調されてツボどころを心得た巧みな句になる。花辛夷をうまく斡旋しましたねという感じ。言い換えれば巧みさだけが目立つ句。田打ち花とすることでその地に生きる実感が湧いて見えてくる。楸邨は歳時記を「死んだ言葉の陳列棚」と言った。陳列棚から選んできて句に嵌めこむという「操作」には、表現と自分とののっぴきならない関係が生じない。そのとき、その瞬間の自然に触れて得られた感動が表現の核になるべきだと。百咲子さんはまぎれもなく楸邨理念の実践者だ。「寒雷」(1972・9月号)所載。(今井 聖)
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