March 262013
花人となりきれぬまま戻りけり
今井肖子
今年は例年より早い開花となり、東京の桜もたちまち盛りとなった。花人(はなびと)とは、桜を愛でる人のことだ。咲き初めから、花が散ったのちの桜蕊が落ちるまで、歳時記は桜を追い続ける。桜の美しさに身も心もゆだねることができて、初めて花人といえるのだろう。掲句は花見の宴の帰りなのか、また満開の桜並木を通り抜けた時の心持ちだろうか。中七の「なりきれぬまま」で、読者は花人の境地に至らなかった原因に思いを馳せる。桜は時折、妙に生きものめいた感触を放つ。一途に咲く様子は見る者の身をすくませ、魅入られることに躊躇を感じさせる。咲き競う勢いのなかで、取り残されたような心細さも覚えるものだ。花人となる機会に恵まれながら、ただごとならない美のなかで、惑わされることを拒んでしまった作者の心に今わずかな後悔も生まれている。〈その幹に溜めし力がすべて花〉〈花も亦月を照らしてをりにけり〉『花もまた』(2013)所収。(土肥あき子)
March 312013
休日を覆ひ尽くしてゐる桜
今井肖子
満開の桜並木の全体を、構図の中に納め切っています。花の下にいる休日の人々は花に覆い尽くされ、俯瞰した視点からは桜ばかり。一句は、屏風絵のような大作になっています。「桜」を修飾している四文節のうち三文節が動詞で、意味上の主語である「桜」は、「覆ひ+尽くして+ゐる」という過剰な動詞によって、大きく、絢爛に、根を張ることができています。なるほど、桜を描くには形容詞では負けてしまう、動詞でなければ太刀打ちできない名詞であったのかと気づかされました。句集には、掲句同様、率直かつ大胆な構図の「海の上に大きく消ゆる花火かな」があります。蕪村展、ユトリロ展、スーラ展、探幽展からモチーフを得た句も並び、中でも前書きにモネ展の「春光やモネの描きし水動く」は、睡蓮の光を見つめるモネの眼遣いを追慕しているように読み取れます。こういうところに、作者の絵心が養われているゆえんがあるのでしょう。『花もまた』(2013)所収。(小笠原高志)
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