ほろほろと花が散りはじめました。よい一日でありますように。(哲




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March 2732013

 春潮や渚に置きし乳母車

                           岸田劉生

もとにある歳時記には、「春潮(しゆんてう)」は「あたたかい藍色の海の水。たのしくゆたかな、喜びの思いがある」と説明されている。陽気が良くなり、春の海の表情もようやく息を吹き返して、どこかしらやわらいでくる。暖かさあふれる渚に置かれた乳母車にやわらかい陽がこぼれ、乗っている赤ん坊も機嫌良くねむっているようにさえ感じられる。穏やかな春のひとときである。橋本多佳子の名句「乳母車夏の怒濤によこむきに」とは対照的な世界と言える。劉生は言うまでもなく「麗子像」でよく知られた画家だが、詩や俳句、小説までも残している。「五、七、五、七、七などの調子の束縛はそれ自身が一つの美を出す用材になる。手段になる。ここでは縛られることが生かされる事になる」と書いている。俳句においても、「縛られること…云々」には私も同感である。鵠沼、京都などに住んだ後、鎌倉に転居してから掲句や「大仏へ一すじ道や風かほる」が「ホトトギス」「雲母」などに入選している。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


March 2632013

 花人となりきれぬまま戻りけり

                           今井肖子

年は例年より早い開花となり、東京の桜もたちまち盛りとなった。花人(はなびと)とは、桜を愛でる人のことだ。咲き初めから、花が散ったのちの桜蕊が落ちるまで、歳時記は桜を追い続ける。桜の美しさに身も心もゆだねることができて、初めて花人といえるのだろう。掲句は花見の宴の帰りなのか、また満開の桜並木を通り抜けた時の心持ちだろうか。中七の「なりきれぬまま」で、読者は花人の境地に至らなかった原因に思いを馳せる。桜は時折、妙に生きものめいた感触を放つ。一途に咲く様子は見る者の身をすくませ、魅入られることに躊躇を感じさせる。咲き競う勢いのなかで、取り残されたような心細さも覚えるものだ。花人となる機会に恵まれながら、ただごとならない美のなかで、惑わされることを拒んでしまった作者の心に今わずかな後悔も生まれている。〈その幹に溜めし力がすべて花〉〈花も亦月を照らしてをりにけり〉『花もまた』(2013)所収。(土肥あき子)


March 2532013

 ホームランあのすかんぽを越ゆるべし

                           上久保忠彦

んだ途端に、子どものころの田んぼ野球を思い出した。グラウンドなどという洒落た土地ではなく、稲の切り株が残ったままの田んぼで野球をやっていた。だから、どこまで飛んだらホームランかなどと、お互いに取り決めてからゲームに入る。作者が田んぼ野球をやっているかどうかはわからないが、いずれにしても立派なグラウンドじゃない。ホームベースからかなり離れたところに、スカンポが群生しているので、そこまで飛んだらホームランと決めていたのだろう。打席に立って、「あのすかんぽを越ゆるべし」と勇み立つ気持ちはよくわかる。すかんぽは「酸葉(すいば)」とも言い、紅紫色の茎を剥いてしゃぶると酸っぱい味がする。このどこにでもある植物を知らない人が増えてきたが、もはや酸葉をしゃぶるような時代ではないから止むを得ないか……。味の切れ目が縁の切れ目ということだ。さて甲子園の選抜がはじまり、プロ野球の開幕ももうすぐだ。球春到来のこの時期に、しかし私たちの田んぼ野球のシーズンは閉幕するのが常だった。田植えの時期が迫った田んぼは、野球遊びどころではなくなるからである。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)




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