今年も球春到来、秋まで楽しもう。選手名鑑を入手せねば。(哲




2013ソスN3ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2932013

 天皇も老斑もたす桜かな

                           田川飛旅子

初読んだときはなんて世間的常識に乗った句だろうと思ったのだった。周知のごとく天皇は敗戦までは「現人神」であられた。負けたら「人間」になられた。その「常識」を踏まえて人間なんだから老斑も持たれるのだと詠んだ。俗臭ぷんぷんの述懐だなあと。最近はこの句が違ってみえてきた。田川さんは大正3年生まれ。昭和15年に応召。海軍大尉に昇進後、海軍少将橋本信太郎の娘信子さんを娶る。その義父は戦隊司令官として重巡羽黒に乗艦しペナン沖にて戦死。田川さんは職業軍人ではなかったが、軍幹部に見込まれた軍国日本のエリートの立場でもあった。そういう世代や立場の人にとって「天皇」という存在がどのように「現人神」であったかということについては戦後生まれの人間の理解と想像を超えるところがある。田川さんは東大出だが、当時の知識人としてそういう「常識」といかに折り合いをつけていたのだろうか。兵は死に瀕したとき天皇陛下万歳ではなく「お母さん」と叫んだというのも「戦後民主主義」によってつくられた意図的な「俗説」臭い。お母さんではなくて「天皇陛下万歳」と心から叫んだ兵も多かったはずである。それは軍国教育による悲劇(喜劇)と言ってしまっていいのか。「天皇の老斑」の問題は今も終わっていないように思える。『邯鄲』(1975)所収。(今井 聖)


March 2832013

 もう春の月と呼んでもいい親しさ

                           中西ひろ美

晩、犬の散歩で東の空を見上げる。冬の月は寒々とした空に鋭く光って、冴え冴えとしており峻厳と言った形容が似合う。その月がぼんやりと湿気を帯びた空気に黄色味が強くなり雪洞のような温かみが感じられるようになるとコートを脱いで身軽に歩ける春の夜の訪れである。「外にも出よ触るるばかりに春の月」の中村汀女の句が懐かしく思い出される。3月に入って、昼は初夏のような陽射し照らされ、夜は冬の寒さに震えたりとジェットコースターのような気温の変化に悩まされている。今か今かと開花準備をしていた桜もさぞとまどったことだろう。この頃は着膨れないで犬の散歩に出かけられるようになった。今宵は満月、やさしい春の月が浮かぶ空を見上げながら掲句をほろりと呟いてみたい。『haikainokuni@』(2013)所収。(三宅やよい)


March 2732013

 春潮や渚に置きし乳母車

                           岸田劉生

もとにある歳時記には、「春潮(しゆんてう)」は「あたたかい藍色の海の水。たのしくゆたかな、喜びの思いがある」と説明されている。陽気が良くなり、春の海の表情もようやく息を吹き返して、どこかしらやわらいでくる。暖かさあふれる渚に置かれた乳母車にやわらかい陽がこぼれ、乗っている赤ん坊も機嫌良くねむっているようにさえ感じられる。穏やかな春のひとときである。橋本多佳子の名句「乳母車夏の怒濤によこむきに」とは対照的な世界と言える。劉生は言うまでもなく「麗子像」でよく知られた画家だが、詩や俳句、小説までも残している。「五、七、五、七、七などの調子の束縛はそれ自身が一つの美を出す用材になる。手段になる。ここでは縛られることが生かされる事になる」と書いている。俳句においても、「縛られること…云々」には私も同感である。鵠沼、京都などに住んだ後、鎌倉に転居してから掲句や「大仏へ一すじ道や風かほる」が「ホトトギス」「雲母」などに入選している。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます