二言目にはアメリカを持ち出す内閣が、何で主権を祝えるのだ。(哲




2013ソスN4ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0542013

 肛門が口山頭火忌のイソギンチャク

                           ドゥーグル・J・リンズィー

うか、肛門イコール口の生物もいるんだ。それが山頭火の生き方と重なる。なんて大胆で微妙な比喩だろう。山頭火の風貌や生き方、その短所も長所もひっくるめての肛門イコール口だ。こういう句はアタマの発想では出てこない。言葉から発する連関では出てこない。実際のイソギンチャクを目の前にして、じっと見て、見尽くして出てくる発想だ。もちろん知識も動員されている。この句を見たら芭蕉も子規も茂吉もうなずくに違いない。虚子はどうかなあ。『平成名句大鑑』(2013)所載。(今井 聖)


April 0442013

 花冷の醤油の瓶にかこまれをり

                           ねじめ正也

京の桜はそろそろ終わりか、早々と開花したわりに、三月下旬の気温が低かったおかげで花持ちがよかった。一升瓶に入った醤油がずらり置かれている情景を考えると食料品店だろう。日銭を稼ぐのが基本の商売だから世の中が花見で浮かれていようが商売を休むことはない。何だか今日はやけに冷えるなと帳場に座って手をこする。回りは真っ黒のショウユビンがずらりと並んでいる。「花冷え」というはかない美しさを持った言葉とずっしりと重量を持った日常が静かに一体化してゆくようだ。自分を軸に営まれる現実の生活と俳句の季語の織りなす世界が重なってゆけば日々の生活が豊かになる。逆に言えば観念としての季語に肉付けするのは時代を生きるそうした個々の生活感情と言えるかもしれない。作者は詩人で作家であるねじめ正一氏の父君、掲句が収録されている句集には清水哲男さんが解説を書いている。『蠅取リボン』(1991)所収。(三宅やよい)


April 0342013

 花ぐもり机に凭れ空ろなる

                           五所平之助

之助は映画「マダムと女房」「煙突の見える場所」などで知られる名監督。若い頃には身辺に文学青年が多く、「柏舟」という俳号で句会によく顔を出し、先輩に可愛がられたという。脚本を書き、映画をつくるうえで俳句から多くを学んだ、と述懐している。「ぼくの映画には必ず季節感をとり入れた」とも語っている。ところで、今年の桜の開花は例年よりもかなり早くて、東京では三月末以前にもう満開をむかえた。花ぐもりで外気はまだ寒ささえ感じられるのだろうが、花見に出かけることもなく書斎で机に凭れて、しばし空ろな気持ちになっている。花の宴をよそに、静かな書斎で身をやすめて、花見の様子に思いをめぐらしているのかも知れない。それもまた花見どきの人の心のありようを表わしている。年々歳々、花見に出かけて行ってもバカ騒ぎをすることにも飽きて、缶ビールを飲みながら何とはなしに、しばし「空ろ」の時間に身をあずけている自分に気づくことがある。平之助には句集『わが旅路』(1979)がある。他に「花明りをんな淋しき肩を見す」がある。(八木忠栄)




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