April 112013
まっさらなノートを下ろす花の雨
陽山道子
何も書いていないまっさらなノートの1ページ目を開いて書き始めるのはいつでも少し緊張する。学生時代友達のノートを借りて、余白の白も清潔に整然と並んだ几帳面な文字列に圧倒された思い出がある。私の場合いつだって綺麗に使おうと思って書き始めるのに、2ページ、3ページと使ううち乱雑になってゆく字と無原則な書き込みにノートはボロボロになっていった。使うことと汚すことが同義であるような私にとっておろしたてのノートはいつだってまぶしい存在だ。掲句は目の前に開くまっさらなノートと柔らかに降り続ける花の雨の取り合わせが素敵だ。ノートと同様、これから始まる新しい学年、新しい学校での生活に初々しく緊張している心持が想像される。白いページに字を記していく後ろめたいような、もったいないような気持ちが花びらを散らす雨の情感に通じるようだ。せめて、しめやかに花を散らさぬよう降っておくれ、花時の雨ほど降り方が気にかかる雨はない。『おーい雲』(2012)所収。(三宅やよい)
June 032013
人の世の芯まで愛す小玉葱
陽山道子
料理の付け合わせに使われる小玉葱。普通の玉葱よりも柔らかくて、甘味も濃い。形状もいかにも可愛らしいから、小玉葱が嫌いな人はあまりいないだろう。作者は「人の世」もそのようであり、小玉葱が芯まで美味しいように、人の世も芯まで愛し得ると述べている。……とはいうものの、あまりそんなに理屈のかった句として読んではつまらない。小玉葱の球体から地球のそれ、さらには「人の世」と連想して、「みんな、良いなあ」と、機嫌よく思ったよ、ということだろう。作者の、そんなおおらかな心情を読み取って、読者が少しハッピーな気分になれば、句は成功である。なお小玉葱のことを「ペコロス」と言うが、この命名は日本独自のものであり、由来は不明だと「ウィキペディア」に出ている。『おーい雲』(2012)所収。(清水哲男)
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