土肥あき子・村上保『あそびの記憶』が明治書院より刊行されました。(哲




2013ソスN4ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1342013

 霾天の濃きがうすきに動きくる

                           近藤美好女

和九年の作なので混じりけのない?黄沙、それも相当本格的である。これを書いている今日、気象庁の黄沙情報図を見ると、北海道の一部を除いて日本列島全体が黄色く覆われているが、窓から見える東京の空は白く霞んでいて薄曇り、あまり実感はない。掲出句、濃きがうすきに、の漢字とひらがなに黄沙の色の違いがよく見えて、二つの助詞が遠近感をはっきり表している。そして、霾天の、と大きく表現することで、頭上に広がる空の彼方からより濃い砂埃がゆっくりと押し寄せてくる光景が目に浮かび、むずむずぞわぞわ恐ろしい。この句を引いた『ホトトギス雑詠選集 春の部』(1987・朝日新聞社)の作者の地名欄は、黄海道。朝鮮半島の中ほどの地と知れば、黄沙の臨場感も肯ける。(今井肖子)


April 1242013

 花茣蓙やいたこに渡す皺の札

                           柏原眠雨

寄せともいうイタコは死者の声を伝える職業だ。どうしても死者に会いたいとき、声を聞きたいときに人はイタコを訪れる。花茣蓙に坐っているのはイタコとその客の両方だ。亡くなった人にどうしても聞いてみたいことってあるような無いような。もう絶対聞けないってのが科学的常識だからそんなことはハナから諦めるんだろうな、ふつうは。真実は墓場までもっていくと公言してそのとおり沈黙したまま亡くなった政治家や右翼の大物がいた。永久に明るみに出ない国家間の密約など政治の大悪事がゴマンとあるような気がする。そんなのも当人を呼び出して聞いてみたい。死者を呼び出すにも金がいる。地獄の沙汰も金次第というが、イタコにも生活がある。『平成名句大鑑』(2013)所載。(今井 聖)


April 1142013

 まっさらなノートを下ろす花の雨

                           陽山道子

も書いていないまっさらなノートの1ページ目を開いて書き始めるのはいつでも少し緊張する。学生時代友達のノートを借りて、余白の白も清潔に整然と並んだ几帳面な文字列に圧倒された思い出がある。私の場合いつだって綺麗に使おうと思って書き始めるのに、2ページ、3ページと使ううち乱雑になってゆく字と無原則な書き込みにノートはボロボロになっていった。使うことと汚すことが同義であるような私にとっておろしたてのノートはいつだってまぶしい存在だ。掲句は目の前に開くまっさらなノートと柔らかに降り続ける花の雨の取り合わせが素敵だ。ノートと同様、これから始まる新しい学年、新しい学校での生活に初々しく緊張している心持が想像される。白いページに字を記していく後ろめたいような、もったいないような気持ちが花びらを散らす雨の情感に通じるようだ。せめて、しめやかに花を散らさぬよう降っておくれ、花時の雨ほど降り方が気にかかる雨はない。『おーい雲』(2012)所収。(三宅やよい)




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