2013N5句

May 0152013

 砂けむる大都の空の鯉のぼり

                           田村泰次郎

の時季列車の窓から、その土地その土地でのんびり空高く泳いでいる鯉のぼりを眺めるのは心地良い。思わず見とれてしまう。土地によって景色もそれぞれ違うわけだから、窓辺でのどを潤すビールも一段とおいしく、うれしいものに感じられる。都会で隣接した家の鯉のぼりを、四六時中見せつけられるのはあまりありがたくはないし、うれしい気持ちはいつまでもつづくものではない。掲句は中国からの黄砂とは限らないけれど、舞いあがる砂けむりのなかで、大きな口をあけて泳ぐ鯉のぼりは哀れである。(「江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し、口先だけで中はからっぽ」→関係ないか。)しかも大都だから、当時のこととはいえ背景は初夏の緑というより、ビルの林立する都会の味気ない背景が想像される。今や、大都はコンクリートで固められてしまって、砂けむりもそんなに舞いあがらない。そういう空で泳ぐ鯉のぼりこそ哀れか? 初夏の空で果敢に泳いでいる鯉のぼりに、泰次郎は眼を細め、改めて大都にもめぐってきた季節をとらえている。今や、♪ビルより低い鯉のぼり……である。泰次郎の他の句に「たちまちにひらいてゐたり夜の薔薇」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 0252013

 ウーと出てマンボと続く潮干狩

                           佐山哲郎

ういう俳句の良さを伝えるのは難しい。まず「ウー、マンボ!」とマラカス両手に軽快に身体を揺する曲の出だしを知らないと、このワクワク感が読み手に伝わらないだろう。頭の中で鳴り響くマンボのリズムにのって熊手とバケツを提げ、ズボンをまくり上げて海に入ってゆく。開放感にあふれた気分に青い海と空が眩しい。映画の1シーンとして背後にこの曲を流してみれば昔懐かしい日本映画と言った雰囲気。これから潮干狩りを思うたび私の中ではこの曲が流れそうである。「マンボ五番「ヤア」とこどもら私を越える」川柳の中村富二の句にあるが、こちらも同じ曲を主題にしていると考えられる。いずれもレトロな昭和の記憶を引き出す句である。『娑婆娑婆』(2011)所収。(三宅やよい)


May 0352013

 木魚ぽんぽんたたかれまるう暮れて居る

                           尾崎放哉

覚の作品。「まるう暮れて」がこの句の眼目。放哉は酒で身をもちくずし最後は寺男をして死んだ。放哉が幼少から青年期まで暮らした鳥取市立川町は近くに中川酒造という大酒造会社があって放哉はその脇を通って鳥取一中に通った。その通学路は寺の多い道である。鳥取市は池田藩三十二万五千石の城下町なので古い寺は多くそれは城周辺に集中している。鳥取一中は城跡にあったのだ。放哉にとって酒と寺との縁は生涯続いた。『大空』(1926)所収。(今井 聖)


May 0452013

 夏近し湖の色せる卓布かな

                           佐藤郁良

布はテーブルクロス、ベランダに置かれた丸いテーブルを覆っているのだろうか。気がつくとすっかり新緑の季節、日ごと音を立てて濃くなる若葉に、夏が来るなあ、とうれしくなるのは、毎年のことながら慌ただしい四月が過ぎて一息つく今時分だ。湖は海よりも、おおむね静けさに満ちており、その色はさまざまな表情を持っている。湖の色、と投げかけられて思い浮かぶのはいつか見た読み手それぞれの湖、木々の緑や空や風を映して波立つ水面か、山深く碧く眠る透明な水の耀きか。連休遠出しないから楽しみはベランダで飲む昼ビール、などと言っていてはこういう句は生まれないなあ、とちょっぴり反省。『星の呼吸』(2012)所収。(今井肖子)


May 0552013

 傾城の朝風呂匂ふ菖蒲かな

                           炭 太祇

月五日の今日は立夏。端午の節句に菖蒲(しょうぶ)の葉を入れて浴する風習は、今も続いています。邪気を払い、心身を清める菖蒲湯は室町時代からあるようで、江戸時代には俳句にも詠まれています。作者・炭太祇(たんたいぎ)は、京都島原の遊郭内に不夜庵を結び、蕪村と交わり多くの佳吟を残しています。掲句の「傾城」(けいせい)は、遊郭のこと。ここへの出入りが頻繁になりすぎると城が傾くといういわれから、遊郭の別称となりました。廓(くるわ)は字のごとく城郭のように四方を囲まれた幕府公認の遊里。江戸時代は諸大名臣下の単身赴任も多く、また、政治的な暴徒を一挙に取り締まれる治安の意味もありました。そんな、お上の意図なんぞにはお構いなしの掲句の風情は呑気です。菖蒲の香る朝風呂に入っているのは、夜通し和歌、俳諧、歌舞、音曲、色道に遊び通した粋人、お大尽でしょう。同時に、そんな極楽とんぼにあやうさをもかぎとって傾城となるのでしょう。以下蛇足。平安時代の旧暦五月は田植えの時期なので、田に生命を宿すために、宮中では情交を控えていました。ただし、五月五日だけは 例外で、女たちが積極的に男を招待し、人形などを飾ってもてなす風習があったことを「源氏物語」では伝えています。げんざい、それは五月人形にかたちを変えて伝わっていますが、武蔵府中の「くらやみ祭」など、各地で五月五日に行われる例大祭にもそんな艶やかな名残があるのかもしれません。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


May 0652013

 もう着れぬ青い服あり修司の忌

                           桑田真琴

山修司の忌日は1983年5月4日である。あれからもう三十年が経ったのか。掲句の作者の年譜からすると、そのときの作者は二十歳そこそこの若さだった。そんな日々に着ていた青い服がまだ残っており、それはどこかで当時の修司を愛読した気分につながっていて、甘酸っぱい若き日々のあれこれを思い起こさせる。しかし、その服が「もう着れぬ」ように、修司も作者の心には生きているが、現実的によみがえることはないのである。青春は過ぎやすし。いまにしてこの感慨が、五月の風のように胸元を吹き過ぎていく。葬儀は亡くなってから四日後の9日に、青山斎場でいとなまれた。上天気の日で、気持ちの良い葬儀だった。「あらゆる寺山作品のなかで、ベストはこの葬儀だったね」と、寺山の歌人としての出立に立ち会った杉山正樹は言っていた。「他者の死は、かならず思い出に変わる。思い出に変わらないのは、自分の死だけである」(修司「旅路の果て」より)。『上馬処暑』(2013)所収。(清水哲男)


May 0752013

 合歓の花老いても老いても母なりし

                           岸波征美子

歓(ねむ)は、シダのように平たく開いた葉が、夕暮れになるとぴたりと閉じ、葉の気配をまるでなくしてしまう不思議な木である。一方、ブラシの先がふんわりと色づくような花は眠ることなく、夜の間も甘い香りを放ち続ける。光ある間の疲れを癒すように眠る葉と、取り残されるように漂う香りに、作者は老いた母の姿を思う。私事になるが、先月静岡に暮らす母が転倒した拍子に膝を骨折した。約三ヶ月の入院生活が強いられることとなり、だいぶ意気消沈している様子に、このところ以前よりも多く会いに戻っている。先日は私が13歳の夏休みに川へ自転車ごと落ちたときの話しになった。このとき幸い骨折はしなかったものの、私の膝には今も醜い傷が残る。「あんたは昔っからそそっかしかった」と言ってから、現在自分の置かれた状況に気づいて笑い合った。母との話題は、会うたびに過去へとさかのぼる。お互いこれからのことは怖くて触れられないのかもしれない。掲句では中七のリフレインが、これから重ねる月日の長からんことを切に祈る気持ちにも触れる。そして娘もまた、生涯娘なのである。折々で「あの時の母の年齢になったのだ」と、ときには驚愕しながら生きていく。母は今日、76歳になった。『合歓の花』(2013)所収。(土肥あき子)


May 0852013

 五月雨や庭を見ている足の裏

                           立川左談次

談次は1968年に談志の弟子になった、立川流の古参。五月雨の時季、OFFの芸人が無聊を慰めているという図かもしれない。自画像か否か、どちらでもかまわない。雨の日はせかせかしないで、のんびり寝そべって足の裏で雨の庭をただ眺めている、そんな風情はむしろ好もしい。それが芸人ならなおのこと。足の裏に庭を眺めさせるなんて、いかにも洒落ている。そのとき眼のほうはいったい何を見ていたのだろうか? 「足の裏」が愛しくてホッとする。錚々たる顔ぶれがそろう「駄句駄句会」の席で、左談次はさすがによくしゃべり、毒舌も含めてはしゃいでいる様子である。ちなみに、この句に向けられたご一同の評言を列挙してみよう。「よそに出しても通用する」「いかにも怠惰な男の句です」「『浮浪(はぐれ)雲』みたい」「毎日寝ているひとじゃないと詠めない」「足の裏がいい」「この表現が落語に生きたらすごい」「古い日本人共通のノスタルジーだ」……みなさん勝手なことを言っているようだけれど、ナルホドである。左談次の俳号は遮断鬼。句会では、他に「三月の山おだやかに人を呑み」がある。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


May 0952013

 この顔を五月の風にあづけけり

                           三吉みどり

葉風、薫風。五月は湿気も少なく、柔らかなみどりの若葉が心地よい風を送ってくれる。四季折々風や雨に名前が付いているが、この季節の風ほど気持ちよく匂いやかな風はないように思う。吹く風に「顔をあづける」のだから爽やかな風に思う存分頬を打たせているのだろう。新緑の道をゆく爽快さが感じられる。「この顔」「五月」と頭韻を踏むなだらかなリズムがさらりと吹き抜けてゆく五月の風のようだ。夏に向かう明るさをはらんだこの時期を思う存分満喫しているさまが想像できる。「手をたたきましよ鯉が来る夏が来る」「ガラス器に淡き影ある夏はじめ」等も季節を先駆けるみずみずしい気分に満ちた句である。『花の雨』(2011)所収。(三宅やよい)


May 1052013

 蜘蛛の子の散りたる後の蜘蛛と月

                           加藤楸邨

じ号の楸邨発表句に「すれちがふ水着少女に樹の匂ひ」がありそちらの方に眼を取られてこの句を見過ごしていたのだった。この句、子に去られたあとの親蜘蛛に思いを致している。蜘蛛に感情などあろうはずもない。子を産み育てるのは本能だ。しかし、子がたくさん去ったあとの親蜘蛛の孤独がこの句のテーマ。蜘蛛をおぞましい対象として捉える「通念」への抵抗も感じられる。「もののあはれ」とはこういうことなんだろうなとあらためて思った。「寒雷・350号記念号」(1962)所載。(今井 聖)


May 1152013

 新緑やのけぞる喉に日のまだら

                           榎本 享

休の中頃、水の広がるひたすら広い公園で一日を過ごした。新緑の中で心地よい時間だったが、日の暮れかける頃に不思議な疲れを感じたのは、終日ひんやり渡っていた強めの風のせいかもしれない。明るいけれど不安定な五月だが、この句の新緑は、もう少し夏を実感できる頃合だろう。のけぞる、なのだから、上を向いている。ただ新緑を仰いでいて、そこに木洩れ日がゆれ動いているというだけでは、のけぞる、が強すぎるだろう。ひと休みして、ごくごくと水を飲んでいる喉だとすれば、日のまだら、に滲んで光る汗が見えて、景色が動き出す。『おはやう』(2012)所収。(今井肖子)


May 1252013

 おもいきり泣かむここより前は海

                           寺山修司

983年5月4日。寺山修司が逝ってから三十年が経ちました。俳句、短歌、詩、脚本、劇団主宰、映画監督、競馬評論、批評。「ぼくの職業は寺山修司です。」このマルチ表現者の出発が俳句であったこと、そして、寺山の句作は十五歳から十九歳の間に限られ、「二十歳になると、憑きものが落ちたように俳句から醒めた」事実はランボーのようです。掲句は無季ですが、昭和27年1月刊の自選句集「べにがに」所収なので、青森の冬の海を情景としているのかもしれません。しかし、俳句は読み手のものでもあるので、それぞれの場所の好きな季節をイメージして読んでいいと思います。私は、波打ち際、砂と海、人と海、といった境界に着眼します。これは、人間と自然という境界でもありながら、人の流す涙が、あたかも川の流れのように海に注いでいく情景です。波打ち際に立って泣くとき、心に流れる泪川は瞳という河口から海へ注いでいく、そこに浄化作用(カタルシス)を感じていく。十七歳の寺山には、そんな思いがあったかもしれません。後年、寺山は、自身の少年時代の句作について、「一連の句に共通しているのは翳りのなさである。それは、私の単独世界であるよりは、『少年の世界』の一般的な表出にすぎなかった」と自己省察しています。つづけて、「それでも、そこにはまさしく私のアリバイがあったような気がするから不思議なものである。青森の田園の片隅にとりのこされた一人の少年は、いまも『次の一句』を思いうかべて瞑想にふけっていることだろう。そして、彼をおいてけぼりにしてきた、もう一人の私だけが年をとり、豚箱入りし、離婚をしたり、賭博や酒に耽溺したりしてきたのである。」これは、映画『田園に死す』で、坊主頭の中学生の私と映画監督になった私とが、田圃の中で将棋を指している一シーンに重なります。『寺山修司俳句全集』(1986)所収。(小笠原高志)


May 1352013

 糸底にサンドペーパー緑さす

                           ふけとしこ

い間茶碗などを買ってないから、すっかり忘れていた。新しい陶器類を求めると、糸底がざらついているものがあって、そのまま使うとテーブルを傷つけたり、重ねた他の食器を引っ掻いてしまうことがある。「糸底」とは「本体をろくろから糸を使って切り離すところから」陶器の底を言う。「糸尻」とも。そのざらつきを滑らかにするために、サンドペーパー(紙やすり)で糸底を磨くのである。気の利いた店ならば買ったときに磨いてくれるが、句の場合はどうだったのだろうか。「緑さす」とは若葉影が映ることだから、新緑の美しい屋外の陶器市での情景かもしれない。いずれにしても、真新しい陶器の肌に若葉の色彩が微妙に写り込んで細かく揺れている。もうそれを見ているだけで、「夏は来ぬ」の清々しくも初々しい感情がわいてくるのである。「ほたる通信II」(2013年5月)所載。(清水哲男)


May 1452013

 薫風一枚ペーパーナイフに切られけり

                           中尾公彦

路樹の緑が日に日に濃くなり、木もれ日がきらきらと跳ね回る季節となった。梅雨の前のひとときは花の香りを含んだ風のなかで、清潔な明るさに包まれる。薫風とは、山本健吉によると「水の上、緑の上を渡って匂うような爽やかさ感ずる夏の南風」とある。生気溌剌たる風の触手が、触れたものの香りを掬いとって大気へと放つというわけだ。掲句では、ペーパーナイフを使う所作に、薫風も切り分けているのだとふと自覚する。愛用者は「切り屑が出ない」「書類まで切ってしまう失敗がない」などの長所を挙げるが、机上に常備しているのは少数派だと思われる。とはいえ、ペーパーナイフには特化を極めたものの美しさがある。ステンレス製、木製、象牙や水牛の角などさまざまな素材からなり、持ち手のカーブや装飾など、手になじむ心地よさを追求した結果の、もののかたちである。開封するという目的だけに作られたシルエットの美が、麗しい季節を最大限に引き立る。『永遠の駅』(2013)所収。(土肥あき子)


May 1552013

 バスはるかゆらめいてみゆ薄暑かな

                           白石冬美

うした光景は一目瞭然であろう。いよいよ暑くなってきた時季、はるかかなたからよろよろと近づいてくる、待ちかねたバスが陽炎のようにゆらめいて見えてきた。♪田舎のバスはおんぼろ車/タイヤは泥だらけ窓は閉まらない……という、のどかな歌がかつてあったけれど、この場合、田舎のバスに限定することはない。にじむ汗を拭いながら、遠くからようやく姿を見せてやってきたバスに、ホッとしているのだろう。それにしても、見えているのにゆらめいているから、スピードはじっさい遅く感じられる。「はるかゆらめいてみゆ」の平仮名表記が、陽炎のように見えるバスのさまを表わしているところが憎い。汗だくの炎暑の真夏ではなくて、まだ「薄暑」の頃だから、掲句はきれいにおさまっている。この季語の使い方について、金子兜太は「とぼけて、はぐらかして、横からそっと差し出したような季語」と評している。他に「鬼灯を鳴らせば紅(べに)のころがりぬ」がある。俳号は茶子。猫の句を集めた句集『猫のしっぽ』がある。「俳句αあるふぁ」(1994年7月号)所載。(八木忠栄)


May 1652013

 たけのこに初めてあたる雨がある

                           中西ひろ美

けのこの伸びるのは早い。「竹の子がほめてほめてと伸びてゆく」という紀本直美の句があるけど、本当にとどまるところを知らない伸び方である。地面からちょいと頭が見えかけたものでも掘りさげるとかなり大きなサイズのたけのこになる。掘り起こしたら早めに料理しないと日が経てばたつほどエグミが出てくる。堀ったばかりのタケノコを刺身のように薄く切って食べるのが一番旨いというがまだ試したことはない。暗い地下からほっこり頭を出したタケノコに当たる雨は若葉雨だろうか。土の匂いとたけのこに降り注ぐ柔らかな雨を思うと読む側の心持もしっとりとしてくる。ぽこっと芽を出したたけのこをじっと見つめている作者のまなざしの優しさが伝わってくる句だ。「古い匂いも出てくるこどもの日」「京都までおいで一通の若葉」『haikainokuni@』(2013)所収。(三宅やよい)


May 1752013

 夏座敷母と見知らぬ人のおり

                           西橋朋子

の句の仕掛けは同性としての母に感じる性的な匂い。それを読者に暗示するところにある。それ以外の表現の動機は考えにくい。そこが魅力。父だと会社の同僚でも来ているのか、そんなのは面白くもなんともない。母だからいいのだ。母に客があってたとえば同性のほんとうに只の「見知らぬ人」だったとしたら作者は何を言いたくて書いたのか不明になる。そんな只事のどこに「詩」を見出せようか。まさか座敷ワラシでもあるまい。同じ趣旨の寺山修司の句に「暗室より水の音する母の情事」がある。これを読んだ寺山の素朴なお母さんが怒ったという逸話があったような。俳句はもちろんフィクションでかまわないが寺山のように書くと仕掛けが顕わになる。これみよがしと言ってもいい。「見知らぬ人のおり」ぐらいが俳句性との調和かもしれない。情事なんていうよりもこちらの方がもっと淫靡な感じもある。『17音の青春2013』(2013)所載。(今井 聖)


May 1852013

 蟻のぼるブロンズ像の長き脚

                           田口紅子

ょうど目の高さにブロンズ像の脚がある。そこを忙しなくのぼったりおりたりしている蟻、ついじっと見入ってしまう気持ちはよくわかる。地面を歩いている蟻ならまだ餌を運んでいたり捜したり、脇目もふらずかなりのスピードで歩いているのも納得だが、ブロンズ像である。蟻にしてみればそそり立つ絶壁、なぜここをのぼろうという気になったのか、自らを追い込みたいのか、案外楽しいのか、風の匂いの降ってくる方へひたすら近づこうとしているのか。そんなことを思いながら先日近所の神社へぶらりと行った折、狛犬の台座の石の隙間に蟻が餌を引きこんでいるのを発見、これも巣なのかな、と思いながらこの句を思い出した。ブロンズ像の顔のでこぼこに、風通しのよいひんやりとした足触りの隠れ家でもあるのかもしれない。『土雛』(2013)所収。(今井肖子)


May 1952013

 猫一族の音なき出入り黴の家

                           西東三鬼

和三十五年の作品です。三鬼は、昭和二十三年に大阪女子医大病院歯科部長に就任し、同三十一年辞職、神奈川県三浦郡葉山に転居し、同三十七年、胃がんで亡くなるまで、晩年の六年間を専門俳人として生きます。掲句を作ったとき、すでに病を得て病床に伏しがちだったなら、実景写生の句でしょう。病床の視点と猫の視点はほぼ同じ高さ20 cmくらい。猫たちは、葉山の港で魚をあさり、たらふく食べて、黴くさい病人が伏している家に寝に帰る。しかし、そんな作者の背景を知らずに読むと、江戸川乱歩の幻想譚のような妖しい世界に引きずられていきます。掲句は七七五の破調です。この調べが、低い視点がソロソロ続くピアニシモをかすかに奏でているようです。「猫一族」というからには、親子、兄弟、祖父母等の大家族、少なくとも五匹以上の一族でしょう。字余りも、一族の多さを含意しています。この五匹以上の猫一族が、時折、出入りする。時には隊列を組んで、順番に入ってくる。この様子を形容する言葉がみつかりません。壮観というスケールではなく、賑やかという音もなし。猫は、静かなる生き物です。猫の歴史は、ヒトが農耕を始めた歴史と重なります。穀類を狙うネズミの天敵として飼われ始め、げんざいは、家族の一員として愛されています。ペット化された猫でも、いまだ、その野生味は失われていません。気ままに外出し、体の三倍以上のジャンプを見せます。人に飼われていようとも、そのマイペースな生態は、人の暮らしの中に完全には従属しない、種の矜持があります。身長20cmの視点を連ねて、ソロソロソロソロ出たり入ったりする猫の館。掲句は、地上20cmの幻想譚として読むこともできます。加えて、「黴の家」のにおいがつたわってくるところに、人の世界とは別のもう一つの世界が実在することを示してくれています。『西東三鬼集』(1984・朝日文庫)所収。(小笠原高志)


May 2052013

 三十分のちの世恃む昼寝かな

                           加藤静夫

者によっては、大袈裟な句と受け取る人もいるだろう。「三十分のちの世」などと言っても、「現在の世」とほとんど変わりはないからである。たまには三十分の間に大きな地震が起きたりして、世の中がひっくり返るような騒ぎになるかもしれないが、そうした事態になることは稀である。私たちは三十分どころか二十四時間後だって、今と同じ世の中がつづくはずだと思っている。今も明日の今頃も、ずうっと先の今頃も、世に変わりはないはずだと無根拠に信じているから、ある意味で安穏に生きていけるのだ。しかし、だからこそ、なんとか三十分後の世が変わってくれと恃(たの)みたくなる気持ちの強くなるときがある。たとえば私などは原稿に切羽詰まったときがそうで、どうにも書きようがなく困り果てて、ええいままよとばかり昼寝を決め込むときがある。まさに三十分後の世に期待をかけるわけだが、たまには思わぬアイディアが湧いてきたりして、効果があったりするのだから馬鹿にできない。でも、よくよく考えてみれば、この効果は「世」が変わった結果ではなく、自分自身が変わったそれなのだけれど、ま、そのあたりは物は考えようということでして……。『中肉中背』(2008)所収。(清水哲男)


May 2152013

 万緑のなかを大樹の老いゆけり

                           佐藤たけを

歩コースにある鬼子母神の大銀杏は、黄落はもちろん見事だが、この時期の姿もことのほか美しい。幹はいかにも老樹といった風格ではあるが、その梢から無数に芽吹く若葉青葉は若木となんら変わりなく瑞々しく光り輝く。万緑には圧倒されるパワーを感じるが、掲句によって、その雄々しく緑を濃くする新樹のなかに老木も存在することにあらためて気づかされる。屋久杉やセコイヤなどの木の寿命は数千年に及ぶというから、100歳で長寿という人間から見ればほとんど不老不死とも思える長さだ。鼠も象も一生の心拍数は同じといわれるが、もし大樹に鼓動があるとしたら、どれほどゆっくりしたものになるのだろうか。今度幹に手のひらを当てるときには、きっとゆっくりと打つ心音に思いを馳せることだろう。青葉若葉に彩られ、大樹はまたひとつ、みしりと樹齢を重ねてゆく。〈一斉に水の地球の雨蛙〉〈うつくしき声の名のりや夏座敷〉『鉱山神』(2013)所収。(土肥あき子)


May 2252013

 老いてなお浮雲の愁いおお五月

                           伊藤信吉

齢をどんなに重ねても、人の思いは浮雲のように行方定まらないものかと思われる。自分でも齢を重ねるにしたがって、そのあたりのことはますます頷けるような気持ちがしている。若者の愁いにせよ、高齢者の愁いにせよーー人はまともに生きているかぎり、愁いがなくなることはないのかもしれない。信吉は九十五歳で亡くなったが、掲句は亡くなる二年前の作である。「老いてなお」という表現に、作者の深い思いや苛立ちといったものが感じられる。けれども諦念はしていない。「おお五月」という結句に「老い」を易々とは受け入れない、きっぱりとした気持ちが強く感じられて、むしろすがすがしいし、健やかである。私は伊藤さんに頻繁にお会いしたわけではないけれど、飾らず構えない、さっぱりとしたお人柄だった印象が残っている。エッセイでご自分の句を「演歌俳句」と書いたことがある。生前唯一の句集に『断章四十六』がある。1936年〜2003年までの俳句を収めた全句集『たそがれのうた』(2004)があり、掲句はそこに収められている。晩年の句に「上州ぞ吹くぞさびしいぞ空っ風ぞ」がある。上州群馬の人だった。(八木忠栄)


May 2352013

 鏡なすまひる石階をゆく毛虫

                           金尾梅の門

桜のころは毛虫が多くて、おちおち桜の木の下で遊べなかった。あの黒くもにゃもにゃした毛虫は今でも桜を食い荒らしているのだろうか。都会では桜並木の下でもあまり毛虫を見ないように思う。掲句、鏡なす昼の光に石段の照り返しが眩しい。何もかも動きを止めたような昼下がり、全身をくねらせながら石段を這ってゆく毛虫にふと目をとめたまま視線がはずせなくなったのだろう。もどかしいぐらいゆっくりした毛虫の動きが時間の長さを読み手に感じさせる。金尾梅の門(かなおうめのかど)古風な俳号を持つこの俳人は大須賀乙字に学んだ富山生まれの俳人だそうだ。『現代俳句全集』(1958)所載。(三宅やよい)


May 2452013

 「観入」を説きて熱砂に指を挿し

                           山口誓子

相観入とはどういうことか。この用語の発案者斎藤茂吉自身であろうとなかろうとどちらでもいいが誰かがその説明をしていて熱砂に指を差し込んだ。実相観入とは子規提唱の「写生」をその筆頭信奉者である茂吉が解釈したもので、視覚的な対象に自己を投入して、自己と対象とが一つになった世界を「写生」の本義とした短歌理論。当時は俳人も多くがこの理論に影響された。見えるものの中に自己を没入させる。その没入の説明がこの指先になるのであろう。一句「ひねる」という俳諧風流の俗の残滓から文学性を拾い上げようとする当時の俳人たちのエネルギーが伝わってくる。『構橋』(1953)所収。(今井 聖)


May 2552013

 薔薇呉れて聖書貸したる女かな

                           高浜虚子

きい朱色の折り鶴が描かれた表紙を開くと写真が載っている。喜壽の春鎌倉自邸の庭先にて著者、とあるその表情は穏やかだがちょっと不機嫌にも見え、男物にしては華奢な腕時計をした手首に七十七歳という齢が確かに感じられる。そんな『喜壽艶』(1950)の帯には、喜壽にして尚匂ふ若さと艶を失はぬ永い俳句作品の中から、特に艶麗なる七十七句を自選自書して、喜壽の記念出版とする、と書かれている。掲出句、自筆の句の裏ページの一文に「ふとしたことで或る女と口をきくやうなことになつた。その女は或とき薔薇を剪つてくれた。そしてこれを讀んで見よと云つて聖書を貸してくれた。さういふ女。」とある、さういふ女、か。薔薇を剪ってくれた時にあった仄かな気持ちが、聖書を読んでみよと手渡された時、やや引いてしまったようにも感じられるが、明治三十二年、二十六歳の作ということは、五十年経っても薔薇の季節になると思い出す不思議な印象の彼女だったのだろう。(今井肖子)


May 2652013

 百合落ちてスローテンポの風となる

                           服部千恵子

りそうでない句です。歳時記数冊で、百合の句数十にあたってみましたが、百合に「落ちる」という動詞を使った句はみつかりませんでした。花瓶や生け花に挿されている百合は、落ちる前にしおれて処分されるでしょうし、庭や野山の百合が落ちる場面を目にすることも稀な偶然です。百合にかぎらず、花が散る、落ちる瞬間を目にすることは実は稀なことで、ゆえに、散る桜に心ひかれるのかもしれません。掲句は、実景嘱目ではなく、虚構でしょう。それゆえ、読む側も自由に場を設定して楽しませていただきます。たとえば、お見合いの席で緊張している二人の会話はちぐはぐでかみ合わない。そのとき、今まで目に入ることもなかった床の間の白い百合の花弁が落下傘のようにゆっくりひらりと舞い落ちる。敏感になっている二人は、波紋のように広がるスローテンポの風を感じ、たがいに百合の匂いにつつまれる。ぎこちなかった二人が微笑し合う。ちょっと乙女チックに夢想しすぎました。なお、掲句は、「風人句会・十周年記念合同句集」(2002)所載。以下、作者のあとがきから抜粋します。「風人句会の良さは、なんといっても師匠のいないことでしょう。ひとりひとりが師匠であり、同時に弟子でもある。(略)師匠がいない良さは他にもあります。それはいろいろな俳人を師匠にできること。おかげで私ものびのびと俳句を作ってきました。(略)今日も私は『たんぽぽのぽぽのあたり』を探しているのです。」(小笠原高志)


May 2752013

 会ひたしや苗代時の田のどぜう

                           鳥居三朗

も会いたい。苗代時のよく晴れた日の田んぼには、いろいろな生きものが動き回っているのが見えて、子供のころには飽かず眺めたものだった。なかでものろのろとしか動けないタニシと、逆に意外にすばしこい動きをするドジョウとが、見飽きぬ二大チャンピオンだったような……。そんな生きものにまた会いたいと思うのは、しかしその生きものと会いたいというよりも、そうやって好奇の目を輝かしていたころの自分に会いたいということだと思う。そのころのドジョウと自分との関係を、そっくりそのまま再現できたらなあと願うわけだが、しかし厳密に言えば、それはかなわぬ願望である。彼も我もがもはや昔のままではないのだし、取り巻く環境も大きく変わっているからだ。なんの変哲もない句だけれど、この無邪気さは時の流れに濾過された心のありようを感じさせる。なお「どぜう」という表記は誤記だろう。ドジョウの旧かな書きは「どじゃう」でなければならない。「どぜう」は「駒形どぜう」などの、いわば商標用に作られた言葉である。「俳句」(2013年6月号)所載。(清水哲男)


May 2852013

 青竹の天秤棒に枇杷あふれ

                           江見悦子

りたての青竹に下げられた籠にあふれんばかりの枇杷の色彩が美しい。枇杷の産毛がきらきらと光り輝いている様子まで目に見えるようだ。あるところに「わたしの好物」という文章を寄せるにあたり、迷いなく枇杷について書かせてもらったことがある。そこで枇杷色のことについて触れた。日本の伝統色でありながら馴染みが薄い色名であるが、そのふっくらとしたまろやかな語感にはいかにも枇杷全体が表れているようで、なんとか周知したいと願っている。掲句の夢のような景色に出会うためには中国太湖まで足を伸ばさねばならないようだが、しかし路地を枇杷売りが「びーわー」とのどかにやってくる枇杷色の夕暮れを想像させてもらっただけで幸せに胸はふくらみ、頬はゆるむ。ところで、ひとつの文章に同じ単語を繰り返さないというのは、作文の時間で習ったごく初歩的な禁忌であるが、枇杷好きが高じて今日の文章のなかには九つもの枇杷が登場してしまった。〈潮待ちの港に蝦蛄の量り売り〉〈月桃の葉に爪ほどのかたつむり〉『朴の青空』(2013)所収。(土肥あき子)


May 2952013

 夏柳奥に気っ風(ぷ)のいい主人(あるじ)

                           林家たい平

川啄木の歌ではないけれど、今の時季の柳は葉が青々と鮮やかで目にしみるようだ。冬枯れの頃は葉が枯れ落ちてしまい、幽霊も行き場を失うような寒々しい風情。「気っ風のいい主人」とは、八百屋か魚屋あたりだろうか? まあ、どちらでもいいが、さかんに風にゆられている店先の柳の動きと呼応して、店の奥で立ち働く主人にもそれなりの勢いが感じられる。落語家の着目だから、主人は江戸っ子なのかもしれない。「奥」といういささかの距離感が、句に奥行きを与えている(ダジャレじゃないよ)。「気っ風」とか「ご気性(きしょう)」などという言葉は、若い俳人にはもはや縁遠いものだろう。句会で〈天〉をとった句だという。改めての合評会で、たい平が「えーとどなた(の句)でしたっけ」などとトボケて(?)いるのは愛嬌。たい平は「笑点」だけでなく、ラジオのパーソナリティーとしてもなかなかのもの。伸びざかりの明るい中堅真打で、こん平の弟子。高座での田中眞紀子の声帯模写に、たびたび度肝を抜かれたことがある。武蔵野美術大学造形学部出身の変わり種。他に「夏痩せの肩突き刺して滝の糸」がある。俳号は中瀞(ちゅうとろ)。『駄句たくさん』(2013)所載。(八木忠栄)


May 3052013

 きすべらとべらべらきすと選り分けて

                           榎本 亨

すもぺらも瀬戸内でよく捕れる小魚。もうそろそろきす釣りは始まったろうか。夏に広島へ帰省した時には親戚一同で小舟を出して糸釣をした思い出がある。きすは銀色、ぺらは虹色の鱗を持つ小魚で天ぷらにしたり煮付けにするとおいしい。両方とも淡泊な味わいの白身魚だ。船の上で船頭さんが釣りたてのキスをさばいて船飯を作ってくれたが、その味は忘れられない。釣果を提げて家に帰ってからは大変。掲句のように「きすぺらぺと」より分けながら鱗を引いてさばいてゆく。このときばかりは、いい気になって次から次へ釣り上げていった昼間の楽しさが恨めしくなる。さばき終えた小魚を、煮て、焼いて、てんぷらにして大勢で賑わう食卓で夕飯が始まる。『おはやう』(2012)所収。(三宅やよい)


May 3152013

 帽灯をはずすと羽抜鳥めくよ

                           野宮猛夫

道に潜るための電球付きのヘルメットが帽灯。採炭の仕事を終えて頭からヘルメットを外すと髪がぺちゃんこになっていて、まるで羽抜鳥のように見える。当時はおしゃれな男性の髪はリーゼントが全盛だったろうから、余計に髪が後ろに突っ立って鳥に似てくる。労働、社会性、党派闘争というホップステップジャンプで導いたのはみんな高学歴エリートたちだ。実社会のみならず俳句の世界でもそうだった。「進歩的」エリートたちは最後のジャンプまで行かずステップまででリベラルを気取るか「わびさび」に引き返して勲章をもらう。野宮さんの作品はそんな意図から抜けている。労働のあとの髪を羽抜鳥に喩えるところからは党派的意図や教訓的箴言には跳ばない。実感そのものである。実はこの実感そのものというのが「詩」の本質なのだと強く思う。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)




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