みどりのそよ風。毎年この季節になると農家の忙しさを思い出す。(哲




2013ソスN5ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0652013

 もう着れぬ青い服あり修司の忌

                           桑田真琴

山修司の忌日は1983年5月4日である。あれからもう三十年が経ったのか。掲句の作者の年譜からすると、そのときの作者は二十歳そこそこの若さだった。そんな日々に着ていた青い服がまだ残っており、それはどこかで当時の修司を愛読した気分につながっていて、甘酸っぱい若き日々のあれこれを思い起こさせる。しかし、その服が「もう着れぬ」ように、修司も作者の心には生きているが、現実的によみがえることはないのである。青春は過ぎやすし。いまにしてこの感慨が、五月の風のように胸元を吹き過ぎていく。葬儀は亡くなってから四日後の9日に、青山斎場でいとなまれた。上天気の日で、気持ちの良い葬儀だった。「あらゆる寺山作品のなかで、ベストはこの葬儀だったね」と、寺山の歌人としての出立に立ち会った杉山正樹は言っていた。「他者の死は、かならず思い出に変わる。思い出に変わらないのは、自分の死だけである」(修司「旅路の果て」より)。『上馬処暑』(2013)所収。(清水哲男)


May 0552013

 傾城の朝風呂匂ふ菖蒲かな

                           炭 太祇

月五日の今日は立夏。端午の節句に菖蒲(しょうぶ)の葉を入れて浴する風習は、今も続いています。邪気を払い、心身を清める菖蒲湯は室町時代からあるようで、江戸時代には俳句にも詠まれています。作者・炭太祇(たんたいぎ)は、京都島原の遊郭内に不夜庵を結び、蕪村と交わり多くの佳吟を残しています。掲句の「傾城」(けいせい)は、遊郭のこと。ここへの出入りが頻繁になりすぎると城が傾くといういわれから、遊郭の別称となりました。廓(くるわ)は字のごとく城郭のように四方を囲まれた幕府公認の遊里。江戸時代は諸大名臣下の単身赴任も多く、また、政治的な暴徒を一挙に取り締まれる治安の意味もありました。そんな、お上の意図なんぞにはお構いなしの掲句の風情は呑気です。菖蒲の香る朝風呂に入っているのは、夜通し和歌、俳諧、歌舞、音曲、色道に遊び通した粋人、お大尽でしょう。同時に、そんな極楽とんぼにあやうさをもかぎとって傾城となるのでしょう。以下蛇足。平安時代の旧暦五月は田植えの時期なので、田に生命を宿すために、宮中では情交を控えていました。ただし、五月五日だけは 例外で、女たちが積極的に男を招待し、人形などを飾ってもてなす風習があったことを「源氏物語」では伝えています。げんざい、それは五月人形にかたちを変えて伝わっていますが、武蔵府中の「くらやみ祭」など、各地で五月五日に行われる例大祭にもそんな艶やかな名残があるのかもしれません。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


May 0452013

 夏近し湖の色せる卓布かな

                           佐藤郁良

布はテーブルクロス、ベランダに置かれた丸いテーブルを覆っているのだろうか。気がつくとすっかり新緑の季節、日ごと音を立てて濃くなる若葉に、夏が来るなあ、とうれしくなるのは、毎年のことながら慌ただしい四月が過ぎて一息つく今時分だ。湖は海よりも、おおむね静けさに満ちており、その色はさまざまな表情を持っている。湖の色、と投げかけられて思い浮かぶのはいつか見た読み手それぞれの湖、木々の緑や空や風を映して波立つ水面か、山深く碧く眠る透明な水の耀きか。連休遠出しないから楽しみはベランダで飲む昼ビール、などと言っていてはこういう句は生まれないなあ、とちょっぴり反省。『星の呼吸』(2012)所収。(今井肖子)




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