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2013ソスN5ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1752013

 夏座敷母と見知らぬ人のおり

                           西橋朋子

の句の仕掛けは同性としての母に感じる性的な匂い。それを読者に暗示するところにある。それ以外の表現の動機は考えにくい。そこが魅力。父だと会社の同僚でも来ているのか、そんなのは面白くもなんともない。母だからいいのだ。母に客があってたとえば同性のほんとうに只の「見知らぬ人」だったとしたら作者は何を言いたくて書いたのか不明になる。そんな只事のどこに「詩」を見出せようか。まさか座敷ワラシでもあるまい。同じ趣旨の寺山修司の句に「暗室より水の音する母の情事」がある。これを読んだ寺山の素朴なお母さんが怒ったという逸話があったような。俳句はもちろんフィクションでかまわないが寺山のように書くと仕掛けが顕わになる。これみよがしと言ってもいい。「見知らぬ人のおり」ぐらいが俳句性との調和かもしれない。情事なんていうよりもこちらの方がもっと淫靡な感じもある。『17音の青春2013』(2013)所載。(今井 聖)


May 1652013

 たけのこに初めてあたる雨がある

                           中西ひろ美

けのこの伸びるのは早い。「竹の子がほめてほめてと伸びてゆく」という紀本直美の句があるけど、本当にとどまるところを知らない伸び方である。地面からちょいと頭が見えかけたものでも掘りさげるとかなり大きなサイズのたけのこになる。掘り起こしたら早めに料理しないと日が経てばたつほどエグミが出てくる。堀ったばかりのタケノコを刺身のように薄く切って食べるのが一番旨いというがまだ試したことはない。暗い地下からほっこり頭を出したタケノコに当たる雨は若葉雨だろうか。土の匂いとたけのこに降り注ぐ柔らかな雨を思うと読む側の心持もしっとりとしてくる。ぽこっと芽を出したたけのこをじっと見つめている作者のまなざしの優しさが伝わってくる句だ。「古い匂いも出てくるこどもの日」「京都までおいで一通の若葉」『haikainokuni@』(2013)所収。(三宅やよい)


May 1552013

 バスはるかゆらめいてみゆ薄暑かな

                           白石冬美

うした光景は一目瞭然であろう。いよいよ暑くなってきた時季、はるかかなたからよろよろと近づいてくる、待ちかねたバスが陽炎のようにゆらめいて見えてきた。♪田舎のバスはおんぼろ車/タイヤは泥だらけ窓は閉まらない……という、のどかな歌がかつてあったけれど、この場合、田舎のバスに限定することはない。にじむ汗を拭いながら、遠くからようやく姿を見せてやってきたバスに、ホッとしているのだろう。それにしても、見えているのにゆらめいているから、スピードはじっさい遅く感じられる。「はるかゆらめいてみゆ」の平仮名表記が、陽炎のように見えるバスのさまを表わしているところが憎い。汗だくの炎暑の真夏ではなくて、まだ「薄暑」の頃だから、掲句はきれいにおさまっている。この季語の使い方について、金子兜太は「とぼけて、はぐらかして、横からそっと差し出したような季語」と評している。他に「鬼灯を鳴らせば紅(べに)のころがりぬ」がある。俳号は茶子。猫の句を集めた句集『猫のしっぽ』がある。「俳句αあるふぁ」(1994年7月号)所載。(八木忠栄)




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