週間予報を見ると、そろそろ梅雨から抜け出られそうなのだが。(哲




2013ソスN6ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2962013

 お面らの笑みて祭を売れ残る

                           坊城俊樹

どもの頃、お祭りは数少ない楽しみのひとつだった。お小遣いとは別にもらえる、当時は直径二十五ミリと大きかった五十円玉を握りしめて、夜店の出ているお地蔵さんまでの道を歩いている時のなんと幸せだったことか。必ず買うのは、ハッカパイプと水風船、綿あめを妹と半分ずつ食べながら歩いていると、いつか夜店の端に着いてしまう。お面はそのあたりに売られていたような気がする。当時、欲しいと思った記憶はないのだが、セルロイドの匂いと白くて細いゴムの記憶はある。掲出句の、お面ら、には、慈しみと郷愁が入り交じる。祭りの翌日、ハッカパイプにお砂糖を入れてみても何の味もせず、ねだって買ってもらったお面は、ぼんやり笑いながら畳の上にころがっていたことだろう。『日月星辰』(2013)所収。(今井肖子)


June 2862013

 はしれ雷声はりあげて露語おしう

                           古沢太穂

ず「はしれ雷」がいいな。俳人は季語を気にして歳時記を携行する。「それ季語の傍題(副題)にあるから大丈夫」なんていう会話は日常だ。例えば梅雨という季語なら、僕の持っている文庫本の歳時記には走り梅雨や梅雨夕焼など傍題が11個並んでいる。その中から自分の句に合う傍題を選んでくる。それは既製服を選んでくるということだ。たった17音しかない詩形のまあ5音を、吊ってある棚から選んでくる。言葉との格闘、ひいては自己表出の戦線を自ら狭めていることにならないか。「はしれ雷」は新鮮、斬新。この作者の個人的な言葉になっている。「おしう」は「教う」。旧文法で現代仮名遣いは太穂さんの特徴。マルクス主義の信奉者でその党派の人。古典の教義で現在を変えようとした太穂さんらしい選択だ。『古沢太穂』(1993)所収。(今井 聖)


June 2762013

 太る妻よ派手な夏着は捨てちまへ

                           ねじめ正也

ばさんを漫画に描くときにはむっちりした二の腕とたっぷりした贅肉をつけた体型で口のあたりにくっきりとした法令線を入れればそれらしくなる。パターンの描き方だが自分がその年齢になってみると何を食べてもすぐ太ってしまうのに閉口している。掲句の妻も中年過ぎてムクムク太ってきて若い頃似合っていた派手な色柄の夏着が似合わなくなったのだろう。花模様や大柄な模様は身体の肉付きをことさらたっぷり見せてしまうから厄介だ。この頃は昔ほど服装に年代層の差はなくなってきたように思うが、若い頃買ったものは型も古びており、何よりその服を着ていた若い頃の顔や体型との落差がありすぎて哀しい。端からその様子を見ている夫が「捨てちまへ」とかける言葉は妻に対する愛情なのだ。『蠅取リボン』(1991)所収。(三宅やよい)




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