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July 0272013

 紙袋に子犬をもらひ日日草

                           小谷延子

年1月に12年飼っていた三毛猫を亡くし、しばらく味気ない生活を送っていたが、先月、三毛と白黒の姉妹を引き取った。2匹は一向に緊張する様子もなく、移動中もキャリーバックのなかでもくんずほぐれつ動き回る。そんな様子を思い出し、掲句にまず驚いたのは紙袋である。猫だったらそれはもうたいへんな事態になることは必至であろう。おそらくこの子犬、血統書などとは縁遠く、生まれちゃったからもらってくれない?という願いのもとに作者の手に渡ったのだろう。それも、たまたま立ち寄った行きがかり上という気配すらある。しかし、日日草の斡旋によって、双方にとって幸せな出会いだったことがわかる。紙袋のなかでじっと不安そうにしている子犬も、すぐに飼い主になつき、新しい散歩道で新しい友達に出会うことだろう。暑さに強く、次々と鮮やかな花を咲かせる日日草が、子犬の健やかな成長を象徴している。『楓の実』(2013)所収。(土肥あき子)


July 0972013

 帆を張れば船膨らみし青葉潮

                           河原敬子

日、日本丸の総帆展帆(そうはんてんぱん)を見に行く機会があった。青空の下、一時間ほどかけて乗組員たちの掛け声とともに29枚すべての帆を広げた帆船は、見ているものの誰もが息をのむ美しさだった。それはまるで、大きな蝶が羽化しているさまを目の当たりにしているような、帆船が帆船として息を吹き返しているような、なんとも不思議な時間が海の上に流れていた。かつてはその姿の美しさから「太平洋の白鳥」と称されたとの説明を読み、そのとき感じたどこと言えない胸のわだかまりがなんであるかに気づいた。それは、船が繋留されたままであるという不自然さだった。太平洋の白鳥は岸に繋がれたまま羽を広げていたのだ。動物園に飼われた雄々しい動物を見るときに感じる胸の痛みであった。総帆展帆して帆を風に膨らませても進むことは叶わないのだ。いつか大海に浮かぶ帆船の本当の美しさを見ることはできるだろうか。〈サングラス外しほんたうの海の色〉〈花の名を後ろ送りに尾瀬の夏〉『恩寵』(2013)所収。(土肥あき子)


July 1672013

 飛石に留め石苔の庭涼し

                           鳥井保和

本の庭園の美しさは植栽であり、水であり、そして石も大きな役割を持つ。庭石や蹲(つくばい)、石灯籠、石橋、石畳、どれも日本人の感性が導き出した実用と鑑賞の美である。留め石は関守石、極石、踏止石とも呼ばれ、茶道の作法では露地の飛石や敷石の上に置かれる。安定のよい丸い石に黒の棕櫚縄を十文字に掛けたもので、初めてみたときはなんのいたずらかと思うような可愛らしい姿だが、しかしこの石には、ここから先入るべからず、の問答無用の強い意思を持つ。「立入禁止」の四文字より、どれほど簡素で、粋で、そして美しいものであろうか。また、岐路では一方を塞ぐことで、正しい道を案内する意味も持たせることができる。掲句の下五、「庭涼し」が水をたっぷりと打った露地に馥郁とした風を誘っている。『星天』(2013)所収。(土肥あき子)


July 2372013

 蟻の列吸はるるやうに穴の中

                           柿本麗子

は仲間の匂いをたどることで巣へ戻ることができるという。炎天下の一団が与えるイメージは、ルールを守り、ひたすら働き続け一生を終えるような、悲壮感にあふれる。くわえて、その身体の小ささと、漆黒であることも、切なさを倍増させているように思える。点は破線となり、密集し直線となって、巣穴へと続く。掲句の中七「吸はるるやうに」によって、蟻の列のゴールは得体の知れないおそろしげな暗黒の地底となった。童謡「おつかいありさん」とは対極にある蟻の素顔を見てしまったような気持ちにとらわれる。またこのたびあらたに、道を見失った蟻の列はDeath Spairalと呼ばれる弧をひたすら描くことや、働き蟻がすべてメスだということを知った。調べるほどにやるせなさは増すばかりである。『千の祈り』(2013)所収。(土肥あき子)


July 3072013

 水を打つ曲りさうなるこゝろにも

                           笙鼓七波

辞苑によると打ち水とは「ほこりをしずめたり、暑さをやわらげたりするため、道や庭先などに水を撒くこと」とある。夏休みの夕方、水を打つ音が聞こえると、ふわっと空気がゆるみ、土や草木が香り立つ。夕立の匂いとも違う、やわらかい水の匂いを覚えている。打ち水には少々のこつがあり、ひとところに水が溜まるようではいけない。平らに平らに水を広げるようにして撒く。きらきらと太陽の光を弾きながら、放物線を描く水には見とれるような美しさがある。作者は打ち水によって生き返る庭や草花をみながら、わが身にも一滴の打ち水を与えて、心をしゃんと立て直したのだ。いっせいに打ち水をすれば、気化熱によって真夏の気温を2度下げられるという。7/23から8/23まで打ち水強化月間だそうなので、いざと腰をあげてみれば、東京の暮らしではまず柄杓がないことに気がついた。『花信風』(2013)所収。(土肥あき子)


August 0682013

 みんみんや子に足し算の指足らず

                           入部美樹

休みといえば宿題が思い出されるほど、課題には手を焼いた。算数や漢字のドリルを始め、読書感想文、絵日記、工作と、小さいながらよくやったものだ。繰り上がりや繰り下がりなどの計算と出会うのは小学一年生だろうか。初めての夏休みになんとも痛ましいことだが、いつかは乗り越えなければならない数字の概念の壁でもある。「指を使っちゃいけないといったでしょ」と若い母は繰り返し、子どもは幼い手をぎゅっと握りしめる。多くの母親は、わが子を愛するあまり、折々ほかの子と比較してそのわずかな差に押しつぶされそうになる。みんみん蝉の執拗な鳴き声が、思わず声を荒げてしまった母の後悔のように尾を引いて響く。子どもはみんな、ゆっくりゆっくり大人になればいい。『花種』(2013)所収。(土肥あき子)


August 1382013

 うぶすなや音の遅るる揚げ花火

                           村上喜代子

と光の関係を理解してはいても、夜空に広がった花火を目にしてから、その光が連れてくる腹の底に響くような音に身をすくめる。鉦や太鼓など大きな音が悪霊を追い払うとされていたことから、花火には悪疫退散の意味も込められていたことがうなずける。歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」の「両国花火」を見るとその構図はおどろくほど暗い。時代は安政5年。安政2年の大地震のあと、初めて開催された花火だといわれる。画面の半分以上が占められる夜空には鎮魂も込めて打ち上げられた花火の、火花のひとつひとつまで丁寧に描かれている。花火に彩られた夜空は、ふたたび漆黒の沈黙を広げる。それはまるで、なつかしい記憶をよみがえらせたあと、大切に保管するための重い蓋を閉じるかのように。〈三・一一赤子は立つて歩き初む〉〈ひぐらしは森より蝉は林より〉『間紙』(2013)所収。(土肥あき子)


August 2082013

 峰雲のかがやき盆は過ぎたれど

                           茨木和生

秋とは本当に名ばかりだと毎年のように思うが、俳句の世界ではその後はどんなに猛暑が続いても「残暑」「秋暑し」で乗り切らねばならない不自由が続く。そのなかで掲句の直球が心地よい。たしかにまごうことなき見事な峰雲がもくもくと出ているのだ。峰雲や入道雲とも呼ばれる通り、山に見立てられたり、大きな入道のかたちになぞらえたり、昔から親しんできた積乱雲は、雲のなかでももっとも背が高く、ときには成層圏にまで達することがあるという。若いときには8月といえば夏以外のなにものでもなく、夏が短いとさえ思っていたが、年を重ねるにつけ、夏の長さに辟易するようになってきた。掲句の下五の「過ぎたれど」には、「もう堪忍してよ」という弱音がちらりと感じられて面白い。ところで先日、積乱雲は海の上に出ているものか、山の向こうに出ているものか、と意見が分かれた。そして、それはふるさとの風景に大きく左右されていることに気づかされたのだった。〈青空のくわりんをひとつはづしけり〉〈くれなゐの色のいかにも毒茸〉『薬喰』(2013)所収。(土肥あき子)


August 2782013

 いなびかり満たす塩壼砂糖壼

                           花谷和子

の句、切れるのだろうか。上五の「いなびかり」で切ると、雷による稲光のなかで、塩壼に塩を、砂糖壼に砂糖を満たす。日常の行為でありながら、稲光に照らされたことによって、どこか満たされない思いの代償としてのふるまいに見えてくる。と、ここまで書いてふと気づく。やはりこの句、一章なのではないか、と。すると塩壼、砂糖壼がいなびかりで満たされているというのである。こちらの方が断然面白い。どちらも真っ白でさらさらな形態ながら、味覚としてはまったく逆の性質を持つ。雷が稲を実らせるという信仰から「稲妻」という言葉は生まれた。その伝でいくと、稲光によって塩壼砂糖壼の中身はそれぞれふさわしいものへと姿を変えていくように思えてくる。〈ちから抜く森よいずこも木の実降り〉〈過去は過去透きとおるまで百合根煮て〉『歌時計』(2013)所収。(土肥あき子)


September 0392013

 秋の日に干す沖海女の命綱

                           桑原立生

女には「磯海女」と「沖海女」があり、磯海女は比較的浅い海を潜るため一人でも可能だが、沖海女は船で沖に出てからの作業なので、船を操り、合図を送る相手が必要となる。海女は海中の作業のなか、呼吸の限界で浮上の合図を船上へと送り、合図を感じたらパートナーは命綱を一気に引き上げる。20メートルにもなるという命綱を引き上げるには、わずかなタイミングが命取りになるため、命綱の多くは家族が担当するという。文字通り命をつなぐ綱の実物は驚くほど華奢である。透き通るような秋の日差しのなか、干されるなんのへんてつもないロープの名が命綱だと知った瞬間、それはかけがえのないものとなる。へその緒という命綱で母とつながっていた彼方の記憶が、ふと脳裏をよぎる。『寒の水』(2013)所収。(土肥あき子)


September 1092013

 羊羹の夜長の色を切りにけり

                           川名将義

暑がどれほど長い尾を引いていようと、日がずいぶんと短くなったことだけは確かだ。本日の東京の日の出は午前5時20分、日の入りは午後5時56分と、夏至の頃と比べると日の出は一時間遅く、日の入りは一時間早くなった。実際にもっとも夜が長くなる冬至だが、夜長という言葉はこの時期のほんの少し前とのギャップが思わせるもので、夜そのものに抱くイメージもさみしさより懐かしさを募らせるものだ。掲句は羊羹を前にして、夜長の色という。たしかに切り分けるときのねっちりとした手応えと、漆黒というより小豆の赤みを凝縮した暗色に覚える安らぎは、長い夏を終えたというひとごこちが思わせるものだろう。いつもは敬遠している強烈な甘さも、長い夜を楽しむための濃いお茶とともに、一切れ欲しくなる夜である。『海嶺』(2013)所収。(土肥あき子)


September 1792013

 高稲架やひとつ開けたるくぐり口

                           染谷秀雄

穂の波が刈り取られ、乾燥させるために稲架を組む。5段も組めば大人の身長はゆうに越え、規則正しく組まれた黄金の巨大な壁が出来あがる。一面の青田も、稲穂も、そして稲架もあまりに広大すぎると、まるでもとからそこにあったかのように景色に溶け込んでしまうが、高稲架にくぐり口を見つけた途端、ここを行き来する人の生活が飛び込んでくる。この広大なしろものが、すべて人の手によるものであったことに気づかされる。ひ弱な苗から立派な稲穂になるまでの長い日々が、そのくぐり口からどっと押し寄せてくる。苦労や奮闘の果ての人間の暮らしが、美しく懐かしい日本の風景として見る者の胸に迫る。〈月今宵赤子上手に坐りたる〉〈鳥籠に鳥居らず吊る豊の秋〉『灌流』(2013)所収。(土肥あき子)


September 2492013

 星の座の整つてくる虫しぐれ

                           前田攝子

月末、天文愛好家が「天体観測の宝庫」と賞賛するあぶくま高原に星を見に行った。昼の暑さはまだ夏のものだったが、山から闇がしみだしてくるような午後7時を回る頃には気温もすっかり下がり、長袖でなくては寒いほどだった。細やかな星のきらめきのなかで天の川に翼をかけたはくちょう座が天体から離れると、秋のくじら座が姿をあらわす。爽やかな空気のなかで、星たちは冴え冴えと輝きを増し、大きな部屋に描かれた天井絵を掛け替えるように、天体の図柄が変わる。秋の役者が揃ったところで、虫しぐれが地上でやんやの喝采をあげる。星座に虫の名を探してみるとひとつきり、それもハエ。なんとも残念なことだ。名前のない小さな星たちを集めて、秋の空にすずむし座やこおろぎ座を据えて、地上と天上の大合唱の間に身を置く空想を今夜は描いてみよう。〈舵取も荷積みも一人秋高し〉〈水に置きたき深秋の石ひとつ〉『晴好』(2013)所収。(土肥あき子)


October 01102013

 誰にでも付いて行きたいゐのこづち

                           小寺篤子

のこづち(牛膝)はどこにでもよく見られる草で、茎が牛の膝に似たことからこの名が付いた。秋には小さな種子で覆われ、衣服や動物にところかまわず付着する。ゐのこづち、せんだんぐさ、おなもみ、の3種がくっつく選手権不動の上位と思われる。なにしろ、くっつくことを主にして進化を遂げた形態なのだ。誰かに付いていくことで勢力範囲を広げるというのは完全な他力本願である。しかし、個人的には迷惑でしかないこの強引な方法も、掲句のように「付いて行きたいのでこうなりました」と言われれば、なんとなく愛嬌も感じられる。いきあたりばったりが臨機応変と言い換えられるように、他力本願もまた「あなたを信じています」という一途な思いに変身し、ゐのこづちのひと粒ひと粒がけなげな姿に見えてくるから不思議である。『薔薇の風』(2013)所収。(土肥あき子)


October 08102013

 鹿鳴くや思いの丈といふ長さ

                           桑原立生

人一首でおなじみ〈奥山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき〉にあるように、秋は鹿の繁殖シーズンであり、妻を求める声をあげる。しかし、以前ごく近くで聞いたラッティングコールは、百人一首で想像していたものよりずっと激しいものだった。自然界において愛の成就は、常に縄張りをめぐるたたかいと同時進行していくのだから、求愛の声が猛々しくなるのは仕方ないことだろう。思いの丈とは、恋慕の相手に対する情熱をオブラートに包んだ言葉だ。長々と鳴く鳴き声を「思いの丈」という人間の情になぞらえたとき、鹿は一瞬にして恋する獣として映し出される。歯をむきだしにする野生をひそめ、一頭の妻を求める牡鹿の切ない姿がそこに現れるのだ。〈逆上がりできて木の実をこぼしけり〉〈ねんねこを覗けば見つめ返さるる〉『寒の水』(2013)所収。(土肥あき子)


October 15102013

 終の家と思へば匂ふ榠樝の実

                           井上ひろ子

ままな一人暮らしのときは、たびたび引越しを重ねていた。それは気分転換のひとつでもあり、新しい洋服を買うような気軽さだったが、結婚して現在の家に移ってからは18年間ずっと同じ家に住んでいる。居心地が良いこともあるが、引越しそのものが面倒になったのだ。長く生きていればいるほど、荷物は増える。それを整理し、分類し、始末する労力と割かれる時間がどうにも惜しくなったのだ。作者は今の家を見上げ、ふと、もう引っ越すことはないだろうな、と思う。それは年齢から余生の数字を換算する行為でもある。青空に貼り付くように実る鮮やかな果実が、この地に根をおろした自分の姿とも重なり、ひときわ愛おしく濃く匂うのだろう。『偏西風』(2013)所収。(土肥あき子)


October 22102013

 稲雀ざんぶと稲にもぐりけり

                           大島雄作

道で迷っても雀を見つけることができれば人里が近いのだと安心するという話しの通り、雀は昔から人間と生活をともにしてきた。実った稲を食べるための害鳥でありながら、害虫を捕食する益鳥でもあり、長らく共生関係を築いてきた。歌や民話にたびたび登場するのは身近な鳥であるとともに、その可愛らしい容姿によるところも大きい。実際の雀は人間に対して臆病で、用心深いというが、雀同士は相当のおしゃべりで遊び上手だ。欣喜雀躍という言葉がある通り、ちゅんちゅんと鳴きながら、飛び跳ねる姿はなんとも無邪気で楽しそうだ。掲句は一面の波打つ稲田に雀たちが賑やかに出入りしている。きっと稲穂を波頭に見立てた波乗りごっこが開催され、母雀に「遊びながら食べてはだめ」などと叱られているに違いないのだ。〈鷹柱いっぽん予約しておかむ〉〈ここからの山が正面更衣〉『春風』(2103)所収。(土肥あき子)


October 29102013

 長き夜の外せば重き耳飾

                           長嶺千晶

中身につけているときには感じられないが、取り外してみてはじめてその重さに気づくものがある。自宅に帰って、靴を脱ぐ次の行為は、イヤリング、腕時計の順であろう。化粧や服装などと同様、女の身だしなみであるとともに外部との武装でもあることを考えれば、昼間はその重みがかえって心地よいものに思えるのかもしれない。装飾品を取り外しながら、ひとつずつ枷を外していく解放感と同時にむきだしになることの心細さも押し寄せる。深々としずかな闇だけが、女の不安をやわらげることができるのだ。『雁の雫』(2013)所収。(土肥あき子)


November 05112013

 眼帯の中の目ぬくし黄落期

                           角谷昌子

謝野晶子が「金色の小さき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」と詠んだように、銀杏を代表する鮮やかな黄色の落葉は、見慣れた場所を忘れさせるような美しさがある。まだ青みが残る頭上の空、赤く染まる地平線、そして舞い散る金色の落葉。まるでクリムトの世界に閉じ込められたような色づかいである。一方、掲句は一面の黄落のなかにいて、光りを遮断し刺激から守られた眼帯の奥にぬくみを感じる。そのあたたかさは眼帯のやわらかな布に守られたしずかに閉じたまなこの存在に行き当たる。この豪奢に舞い落ちる幾百枚の黄金の葉のなか、かくも穏やかなまなこをわが身が蔵していることの不思議を思うのである。『地下水脈』(2013)所収。(土肥あき子)


November 12112013

 合はす手の小さくずれて七五三

                           今瀬一博

年の七五三は11月15日だが、休日の都合もあり前後二週間ほど、要は11月中を目安に各地のお宮は賑わうようだ。「七つ前は神のうち」といわれ、なんとか七歳まで無事でいてくれれば、ようやくひと安心とされた時代の行事であるが、今も子どもの成長を祝う節目となって続いている。七歳までの通過儀礼として女児が三歳、男児が五歳の祝いをするが、掲句の柏手も覚束ない姿はもっとも幼い三歳を思う。言われるがまま合わせる手のわずかにずれている様子さえ、ほほえましく、その成長が胸に迫る。とはいえ、大人たちの熱い視線をよそに、当人にとってはなにがなにやら分からぬままに、着飾り連れ回されているように思っていることだろう。自分の三歳のときはどうであったかと振り返ると当然覚えているはずはないが、アルバムにはっきりと残されている。振り袖のまま近所の公園のぶらんこに乗って、母親が慌てて駆け寄る姿である。『誤差』(2013)所収。(土肥あき子)


November 19112013

 冬紅葉海の夕日の差すところ

                           本宮哲郎

上の冬紅葉と海に差し込む夕日までには大きな距離があり、そこを波濤がつないでいる。太陽が海に沈む景色は日本海のものであるから、おそらく荒々しい波だろう。それでこそ、冬紅葉の赤さが一層切なく、痛々しく映えるのだ。と、頭では分かっていても、どうも想像が追いつかない。太平洋側で生まれ育った身では太陽は海からのぼり、山へと沈むものだった。当初、夕日が赤々と染める海面の部位を紅葉と直喩されているのかと思った。おそらく穏やかな太平洋側の思考がそう思わせたのだ。きりきりと冷たい冬の日本海を実際に見たいと思いながら、寒さ嫌いゆえ今日まで体験していない。掲句のような寒さゆえに存在する美しさがほかにもたくさんあり、どれも見逃しているのだと思うと心から惜しい。重い腰をあげて今年こそ出かけてみようと思うのだ。『鯰』(2013)所収。(土肥あき子)


November 26112013

 茶の花や家族写真の端は母

                           齋藤朝比古

族写真では家族の誰かがタイマーで撮影する。撮影者を除いた家族は一列に並び、母は遠慮がちに端に位置する。撮影者はタイマーをセットしたのち、列の端に加わるのが最適だと考える。が、しかし、母たるものの思考はそうではない。戻ってきた撮影者に対して「さぁさぁあなたが真ん中に。ほらここに入りなさい」と身をゆずり、「お母さんもうそんなこといいから」といった押し問答の間に、無情にもシャッターはおりてしまう。今のような撮影状態が常時確認できるデジタルカメラではない時代、失敗した写真のどれもが現像されることとなり、思いがけないやりとりが目の当たりになることもある。茶の花もまた、目の位置にどんと咲くような花ではない。花ならばもっと真ん中に咲けばいいのに、と思う心が在りし日の母の姿に重なってゆく。『累日』(2013)所収。(土肥あき子)


December 03122013

 目閉づれば生家の間取り冬りんご

                           星野恒彦

から覚めてぼんやりしている時間に、ふと今居る場所がわからなくなることがある。目に入る情報でだんだんと現実をたぐり寄せるが、なぜかいつも幼い頃を過ごした実家の天井ではないことに不安を覚え、「ここはどこ?」と反応していることに気づく。人生の五分の一ほどしか占めていないはずの家の襖や天井の木目まで、今も克明に覚えているのは、そこが帰る場所ではなく、生きていく日々の全てを抱えていたところだったからだろう。元来秋の季語である林檎だが、貯蔵されたものは冬にも店頭に並ぶ。様々な果物の色があふれる秋ではなく、色彩のとぼしくなった冬のなかに置かれた鮮やかさに、作者の眼裏に焼き付いた生家がよみがえる。閉じられた目には、家族や友人の姿があの頃のままに描かれていることだろう。『寒晴』(2013)所収。(土肥あき子)


December 10122013

 やがて地に還る身をもて受ける雪

                           赤坂恒子

を愛してやまなかった研究者中谷宇吉郎は「雪は天から送られた手紙である」と書いた。同じ生い立ちでありながら、地面に叩きつけられるのが雨なら、雪はゆらりゆらりと軽やかに宙をさまよう。空から舞い降りる雪に触れると、清らかなものに生まれ変わることができるような気持ちがわきあがる。それは純白の雪の美しさとともに、すべてを白一色に覆い尽くしてしまう自然の力を畏れ、崇める心が働くからだろう。「雪ぐ」は「すすぐ」と読み、祓い清めるという意味を持つことを思うと、掲句の「やがて地に還る」とは、生物の逃れることのできない運命であるが、聖なるものの前でつぶやく懺悔の姿にも見えてくる。『トロンプ・ルイユ』(2013)所収。(土肥あき子)


December 17122013

 バカだなと目が言うホットウイスキー

                           火箱ひろ

ントリーの「ウイスキー入門」によると、ホットウイスキーは「あたたかいグラスから柔らかに香るウイスキーのおいしさは格別」「アウトドアで飲めば、暖をとるのにも効果的」とある。蜂蜜やシナモンなどを加え、お湯割りと言わないところがお洒落感を募らせる。寒い日に頬を明るく染めて、大きなマグカップで飲むホットウイスキーは、気心の知れた者同士がよく似合う。掲句の「バカだな」は声には出していないが、発しているも同然、しかも甘い言葉として。男が女に向かって言う「バカだな」も、女が男に向かって言う「バカね」も、どちらも言葉通りでないことをふたりはじゅうぶんに承知している。というわけで立派なのろけ句なのだが、ほんわかあったかい気分になるのは、やはりホットウイスキーの効果だろう。『火箱ひろ句集』(2013)所収。(土肥あき子)


December 24122013

 東京が瞬いてゐるクリスマス

                           茅根知子

リスマスイルミネーションの発祥は、森のなかで輝く星の美しさを木の枝にロウソクを点すことで再現しようとしたものだといわれる。日本では昭和6年「三越」の電飾がさきがけだという。現在では、人気スポットでは12月に入る前から光ファイバーやフルカラーLEDを駆使して、競い合うようにまたたいている。掲句は「東京が瞬く」と書かれたことで、東京自体があえかな光りをまとい息づいているように見えてくる。作者はクリスマスの喧噪からそっと離れ、スノーボールに閉じ込めたようなきらめく東京を、手のひらに収めるようにして飽かずに眺め続けるのだ。『眠るまで』(2004)所収。(土肥あき子)


December 31122013

 掛け替へし大注連縄の匂ひけり

                           小西和子

年末、出雲大社の神楽殿の大注連縄が掛け替えられたが、長さ13m、重さ5トン。最後はクレーン車に力を借りながら、大人30人ほどが大蛇の腹にまといつくようにして縒り合わせていた。6〜7年に一度という出雲大社は別として、神社の注連縄は毎年氏子が力を合わせて作り、掛け替えられるものだ。注連縄はその年に収穫された新藁で作られ、一本一本適した藁しべを選んでいくことから始まる。選ばれた藁しべで藁束を作り、縒り合わせるまで全て手作業の大仕事である。藁は、清潔すぎる木の香りとも、素朴すぎる土の香りとも違う、お日さまと風が静かに息を吹きかけたような豊かな香りを持つ。注連縄という神聖な場所の入口に張られるものからふっと漂う藁の香が、まるで来る年の幸を予感させるような清々しい気分にさせる。今年も残すところ今日一日。来年も引き続きよろしくお願いいたします。〈仕上げたる大注連は地につかぬやう〉『神郡宗像』(2013)所収。(土肥あき子)




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