東京三鷹、昨日の最高気温35.7度。ZouXレイアウト遅々として…。(哲




2013N713句(前日までの二句を含む)

July 1372013

 まみゆるは易し涼風ある限り

                           上迫和海

松遊子に〈涼しさは淋しさに似て夜の秋〉があるが、涼し、と、淋し、はどこか通じるものがある気がする。涼風の中にいるとき人は、なんとなく遠い目をしてそこに身をゆだねる。心地よい中に、どこか遠くへ誘われるような心地がするからだろうか。掲出句、作者にどんな思い出があるのかはわからないが、深い哀悼の心と愛情、穏やかな中に静かな決意のようなものも感じられる。二度と会うことはできないけれど、ここに来てこうして涼風の中にいると、その人の声が聞こえるような気がしてくるのだ。涼風の一つの姿がそこにある。『句集 四十九』(2012)所収。(今井肖子)


July 1272013

 言葉出雲となり麦のびをる

                           入沢春光

治16年、鳥取県日野郡生まれ。俳句を鳥取中(現鳥取西高)の先輩である子規門の坂本四方太の指導を受ける。その後河東碧梧桐が鳥取を訪れたの契機に「新傾向俳句」に参加。自由律の句を作った。中学一年上級の尾崎放哉とも親交を結ぶ。後年は村長、県会議員などを歴任し地元の政治家として活躍。酒豪として知られ宴席で食べた河豚の毒にあたって44歳で亡くなった。詩人の入沢康夫は親戚筋。あぎゃんこと、そぎゃんこと(あんなこと、そんなこと)。だんだん(ありがとう)など出雲弁も独特。米子で長く暮らした僕は出雲弁を話していた。同窓会などあると今でもみんな出雲弁だ。ああ懐かしい。『広江八重桜と山陰の明治俳人』(1992)所載。(今井 聖)


July 1172013

 暗算の途中風鈴鳴りにけり

                           村上鞆彦

の頃は町中を散歩していても風鈴の音を聞かない。風鈴を釣る縁側の軒先もなくなり、風鈴の音がうるさいと苦情が来そうで窓にぶら下げるにも気を遣う。風鈴の音を楽しめるのは隣近所まで距離のある一軒家に限られるかもしれぬ。気を散らさぬよう暗算に集中している途中、風鈴がちりんと鳴る。ほとんど無意識のうちに見過ごしてしまう些細な出来事を書き留められるのは俳句ならではの働き。宿題を広げた座敷机、むんむんと気温が上がり続ける夏の午後、かすかな微風に鳴る風鈴の音にはっと顔を上げて軒先に広がる夏空を見上げる。掲句を読んで昔むかし小学生だった自分と、宿題に悩まされつつ過ごした夏休みの日々を久しぶり思い出した。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます