洗濯物を干してたらバランスを失って転倒。油断大敵火がボーボー。(哲




2013ソスN7ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1672013

 飛石に留め石苔の庭涼し

                           鳥井保和

本の庭園の美しさは植栽であり、水であり、そして石も大きな役割を持つ。庭石や蹲(つくばい)、石灯籠、石橋、石畳、どれも日本人の感性が導き出した実用と鑑賞の美である。留め石は関守石、極石、踏止石とも呼ばれ、茶道の作法では露地の飛石や敷石の上に置かれる。安定のよい丸い石に黒の棕櫚縄を十文字に掛けたもので、初めてみたときはなんのいたずらかと思うような可愛らしい姿だが、しかしこの石には、ここから先入るべからず、の問答無用の強い意思を持つ。「立入禁止」の四文字より、どれほど簡素で、粋で、そして美しいものであろうか。また、岐路では一方を塞ぐことで、正しい道を案内する意味も持たせることができる。掲句の下五、「庭涼し」が水をたっぷりと打った露地に馥郁とした風を誘っている。『星天』(2013)所収。(土肥あき子)


July 1572013

 山に石積んでかへりぬ夏休

                           矢島渚男

い返してみれば、夏休みは、それがあること自体が重荷であった。戦争の余韻がまだ生活のなかに染みついていた時代であり、夏休みといっても、手放しの解放感が味わえるわけではなかった。ましてや暮していたのが本屋もないような山奥の農村とあっては、およそ娯楽に通じる施設があるはずもなく、学校が休みになった時間だけ、家での手伝い仕事が増える勘定だった。だが、それだけを重荷というのではない。いちばんの重荷は、夏休みを夏休みらしく過ごせないことが、あらかじめ定められていたことだった。学校からはいっちょまえに宿題や自由研究の課題が示されていたし、教師たちは口をそろえて、夏休みらしい成果をあげるようにと私たちを激励したものだった。が、そんな成果へのいとぐちさえ見いだせないというのが、子供たちの生活実態であり、それが高じて焦りや劣等感にもつながっていき、長期休暇の成果達成は慢性的な強迫観念のようにのしかかっていたのだった。いまこの句を読んで、そんなことを思う。この積まれた石は、子どもの成果達成への憧れを見事に象徴している。夏休みらしいことが何ひとつできずにいる子どもの焦燥感が、この空しい石の集積である。子どもは、大人よりもよほどおのれの悲しみのありかを知っている。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)


July 1472013

 七月のなにも落さぬ谷時間

                           秋元不死男

月は、花も散らない。木の葉も落ちない。蝉の脱け殻が落ちてくるには少し早すぎる。梅雨が明け、雨も降らない。空は雲もなく晴れていて風もなく、谷の斜面の樹木は、濃い緑の葉を繁らせている。動くもののない谷間の時間は静止している。秒針が動いて、日が傾いて時の経過を知るわけですが、なにも落ちてくるものがない真昼の谷間では、静止画の中に入れられたような感覚に陥って、時間の迷子になった気持ちなのかもしれません。あるいは、なにも落とさぬ樹木や生物に、生命の緊張を感じとり、谷の空間に平衡が保たれている状態を谷時間としたのかもしれません。七月は、一年の中でも中間に位置します。植物や動物と、空と地形とが、あるバランスをとっていて、俳人は、偶然にもその中点に立つことができた。谷時間とは、そのような立ち位置に居て、初めて感得できる言葉なのかもしれません。詩の言葉であり、哲学の、自然科学の言葉のようでもあります。詩と哲学と自然科学の中点。なお、前書に「秩父・高麗郷」とあります。昭和五十年、七十四歳の作。二年後第四句集『甘露集』(1977)に所収するも、刊行を待たずに永眠されました。(小笠原高志)




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