目先の「カネ」への期待から投票する心理はわかる。が、一寸待て。(哲




2013ソスN7ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1872013

 真夏日の名画座冷えてゆくばかり

                           笠井亞子

天下を避けてふらりと入った名画座。話題の新作でもなく、もとより観客の数は少ない。外は焼けるような暑さなのに人気のない映画館の冷房はしんしんと冷えてゆくばかり。ホームビデオの普及で上映された新作を数か月遅れでビデオ屋に並んでいるのを借りてきて、ソファーに寝転がって見ることが多い。日々雑用に追われてなかなか映画館へ行けないが、他の観客とともに暗闇の中で大画面を見上げる映画館の雰囲気は捨てがたい。昔の映画は前編と後編に分かれていて、フィルム交換の時間にロビーに出てコーラを飲んだりトイレに並んだりと悠長なものだった。フィルムが切れたら映写技師が修復をして再開していたっけ。(こんな話をすると年がわかる!)いまやタブレット端末で、電車の中でも映画を見ることができる。銀座の名画座も閉館してしまった。やがて映画館そのものが消えてしまうかもしれない。掲句の「名画座」の響きに冷房の効きすぎた映画館へ一昔前の映画を見に行きたくなった。『東京猫柳』(2008)所収。(三宅やよい)


July 1772013

 この先を考へてゐる豆のつる

                           吉川英治

のように詠まれてみれば、豆にかぎらず蔓ものは確かに「さて、これからどちらの方向へ、どのように伸びて行こうか…」と思案しているようにも見える。また、作家としての英治自身の先行き、といった意味が込められているようにも読める。マメ科の蔓植物は多種ある。考えながらも日々確実に伸びて行くのだから、植物の見かけによらない前向きの生命力には、目を見張るばかりである。豆ではないが、わが家のプチ・モンステラなどは休むことなく、狭い部屋で日々その先へ先へと蔓を伸ばしていて、驚くやら感心するやらである。蔓ではないが、天まで伸びる「ジャックと豆の木」を思い出した。壮大な時代小説を書いた英治は多くの俳句を残したが、それにしても「豆のつる」という着眼は卑近でほほえましいし、「考へてゐる」という擬人化には愛嬌が感じられる。もちろんそのあたりは計算済みなのであろう。何気ないくせに、思わず足を止めてみたくなる一句である。ほかに「蝉なくや骨に沁み入る灸のつぼ」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 1672013

 飛石に留め石苔の庭涼し

                           鳥井保和

本の庭園の美しさは植栽であり、水であり、そして石も大きな役割を持つ。庭石や蹲(つくばい)、石灯籠、石橋、石畳、どれも日本人の感性が導き出した実用と鑑賞の美である。留め石は関守石、極石、踏止石とも呼ばれ、茶道の作法では露地の飛石や敷石の上に置かれる。安定のよい丸い石に黒の棕櫚縄を十文字に掛けたもので、初めてみたときはなんのいたずらかと思うような可愛らしい姿だが、しかしこの石には、ここから先入るべからず、の問答無用の強い意思を持つ。「立入禁止」の四文字より、どれほど簡素で、粋で、そして美しいものであろうか。また、岐路では一方を塞ぐことで、正しい道を案内する意味も持たせることができる。掲句の下五、「庭涼し」が水をたっぷりと打った露地に馥郁とした風を誘っている。『星天』(2013)所収。(土肥あき子)




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