関東地方の水不足が心配になってきた。天はもう少し公平な降雨を。(哲




2013ソスN7ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2472013

 河童忌に食ひ残したる魚骨かな

                           内田百鬼園

日七月二十四日は河童忌。芥川龍之介は昭和二年のこの日に自殺した。龍之介の俳号が「我鬼」だったところから「我鬼忌」とも呼ばれる。百鬼園(百けん)は漱石の門下だったけれども、俳句は虚子に師事した。「自分が文壇人かどうか疑わしい」としたうえで、「文壇人の俳句は、殆ど駄目だと言って差支えない」と書いており、漱石の俳句については「そう高く買っていない事は、明言し得る」としている。また龍之介の句についても「あまりいいと思っていない」と率直に書いている。もっとも「文壇人の俳句」に限らず「俳人の俳句」にも、ピンからキリまであることは言うまでもない。龍之介の俳句に対しては厳しいけれど、それはそれとして昭和九年から十三年にかけて、毎年「河童忌」の句を六句作り、『百鬼園俳句』(1943)に収めている。「河童忌の夜風鳴りたる端居かな」(昭九)、「河童忌の夕明りに乱鶯啼けり」(昭十三)、それらに先がけて、昭和七年に田端の自笑軒で「膳景」と前書きして詠まれたのが掲句である。膳のものをすべてたいらげたわけではなく、食べ残した魚の骨にふと心をとらわれ、改めて故人を偲んだということだろう。魚は何であってもかまわない。美食家の百けん先生といえども、すべてけろりと食べ尽したのでは、龍之介への気持ちは届かなかったかもしれない。龍之介に対する深い心がこめられている。『内田百けん俳句帖』(2004)所収。※「百けん」のけんは門に月です。機種依存文字につき表示できません。(八木忠栄)


July 2372013

 蟻の列吸はるるやうに穴の中

                           柿本麗子

は仲間の匂いをたどることで巣へ戻ることができるという。炎天下の一団が与えるイメージは、ルールを守り、ひたすら働き続け一生を終えるような、悲壮感にあふれる。くわえて、その身体の小ささと、漆黒であることも、切なさを倍増させているように思える。点は破線となり、密集し直線となって、巣穴へと続く。掲句の中七「吸はるるやうに」によって、蟻の列のゴールは得体の知れないおそろしげな暗黒の地底となった。童謡「おつかいありさん」とは対極にある蟻の素顔を見てしまったような気持ちにとらわれる。またこのたびあらたに、道を見失った蟻の列はDeath Spairalと呼ばれる弧をひたすら描くことや、働き蟻がすべてメスだということを知った。調べるほどにやるせなさは増すばかりである。『千の祈り』(2013)所収。(土肥あき子)


July 2272013

 生前の天体淡きまくわ瓜

                           松下カロ

者の別の句に「薄命の一人ぬけゆく端居かな」がある。むろん、実景ではない。端居からぬけたって、その人が薄命かどうかなんて、誰にもわかりはしない。これは端居している何人かの状態を思い描くとき、作者の心が、その何人かのうちでいちばん先に落命する人がいる、そのことを痛ましく感じるということだ。それが誰かはわからないが、必ず先に逝く人はいるのだから、作者はいつもその誰かに心が動く。気質に近い人生観のあらわれだと言っておく。掲句はこのことがもっとはっきり表現されたもので、亡くなった誰かを回想しながら、その人が存命だったころの環境を天体として捉えたものだ。お盆の供え物の「まくわ瓜」のように淡いみどり色の環境。やさしくもあるが、強固ではないそれが思い浮かぶ。甘美ではあるが、崩れやすい。そんな世界にこの人は生きていたのだ。と、作者は痛ましく感じ、しかしどこかでいささかの羨望の念も覚えている。俳誌「儒艮 JUGON」(2号・2013年8月)所載。(清水哲男)




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