本日で今井聖氏の観賞担当が終了します。長期間のご協力に感謝。(哲




2013N726句(前日までの二句を含む)

July 2672013

 波のなき水をひろげて錦鯉

                           鷹羽狩行

の短い詩形の中で、言葉の通念的な組み合わせはまさに陳腐な情緒しかもたらさないはずなのだが、そうはならない「奇跡」もときに起こる。波と水、水と鯉、錦鯉の華麗。これらは予定調和のつながりであり、錦という言葉であらかじめ説明されている装飾的華麗さである。その類型的詩興しかもたらさないはずの組み合わせが「なき」と「ひろげて」で手品のように新鮮な風景を構成する。「なき」と「ひろげて」は知の力。風景を知の力で再構成するのだ。澄んだ水の中の鯉の鰭のうごきが克明に見えてくる。こういう句をみると俳句の可能性、「写生」ということの可能性を信じないわけにはいかない。どんな大差がついた試合でも九回の裏のツーアウトまで大逆転の可能性は残されている。『十七恩』(2013)所収。(今井 聖)


July 2572013

 ひまはりのこはいところを切り捨てる

                           宮本佳世乃

彩画教室に通っていた頃、ベテランの一人がすっかり枯れて頭をがっくり垂れたひまわりばかり描いているのを不思議に思った。大きな花びらもちりじりに干からびて黒い種子がびっしりと詰まったその姿に興味を引かれて描き続けているのだという。この人にとってひまわりの美は太陽の下でカンと頭をふりあげている姿ではなく、種をびっしり抱えながら干からびてゆく姿だったのだろう。美しさを感じるポイントが人それぞれのように「こはいところ」も人によって変わるかもしれない。ひまわりのどこがこわいのか、どこを「切り捨てる」のか、いろいろ探っているうち、具体的な部分ではな「ひまはり」の存在自体が「こはい」ように思えてきた。堂々とした向日葵の原型に対峙した句が「向日葵や信長の首切り落とす」(角川春樹)の句だとしたら、「ひまはり」の「こはいところ」にあえて向かい、切り捨てるこの句からは健気さが感じられる。『鳥飛ぶ仕組み』(2012)所収。(三宅やよい)


July 2472013

 河童忌に食ひ残したる魚骨かな

                           内田百鬼園

日七月二十四日は河童忌。芥川龍之介は昭和二年のこの日に自殺した。龍之介の俳号が「我鬼」だったところから「我鬼忌」とも呼ばれる。百鬼園(百けん)は漱石の門下だったけれども、俳句は虚子に師事した。「自分が文壇人かどうか疑わしい」としたうえで、「文壇人の俳句は、殆ど駄目だと言って差支えない」と書いており、漱石の俳句については「そう高く買っていない事は、明言し得る」としている。また龍之介の句についても「あまりいいと思っていない」と率直に書いている。もっとも「文壇人の俳句」に限らず「俳人の俳句」にも、ピンからキリまであることは言うまでもない。龍之介の俳句に対しては厳しいけれど、それはそれとして昭和九年から十三年にかけて、毎年「河童忌」の句を六句作り、『百鬼園俳句』(1943)に収めている。「河童忌の夜風鳴りたる端居かな」(昭九)、「河童忌の夕明りに乱鶯啼けり」(昭十三)、それらに先がけて、昭和七年に田端の自笑軒で「膳景」と前書きして詠まれたのが掲句である。膳のものをすべてたいらげたわけではなく、食べ残した魚の骨にふと心をとらわれ、改めて故人を偲んだということだろう。魚は何であってもかまわない。美食家の百けん先生といえども、すべてけろりと食べ尽したのでは、龍之介への気持ちは届かなかったかもしれない。龍之介に対する深い心がこめられている。『内田百けん俳句帖』(2004)所収。※「百けん」のけんは門に月です。機種依存文字につき表示できません。(八木忠栄)




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