2013N728句(前日までの二句を含む)

July 2872013

 月とてる星高々と涼しけれ

                           原 石鼎

和16年の作。55歳。この数年、数々の病で入退院をくり返し、この年の五月、松沢病院を退院して、神奈川県二宮の新居に入ります。自身は、病と幻聴に苦しみ、かつての後輩たちは、「京大俳句事件」で検挙され、軍靴が高鳴る中、掲句が生まれています。げんざいと違って、冷房や扇風機のない時代の納涼は、避暑地に行くか、夜を待つしかなかったでしょう。『枕草子』の「夏は夜。月のころはさらなり。略。雨など降るもをかし」には、月と雨の情景を愛でているのと同時に、すずやかな肌の心地に一日の熱を冷ますひとときを読みとります。石鼎が、「涼しけれ」と詠嘆の助動詞で切っているのも、肌の実感です。また、これを「けり」ではなく已然形の「けれ」にすることで、炎熱の余韻を伝えています。月を眺め、高々にある星をみつめる遠きまなざしには、昼間の余熱をクーリングダウンさせながら、幻聴から逃れられている静かな時があります。『原石鼎全句集』(1990)所収。(小笠原高志)


July 2772013

 石といふもの考ふる端居かな

                           上野 泰

リラ豪雨の去った後のベランダに椅子を出して、まだ濡れている風にぼんやり吹かれながら、これもまあ端居と呼べないこともないな、と思った。でもやはり、縁側に蚊遣りをたいて団扇片手に遠くを見ていた記憶の中の祖母の姿が、本来の端居なのだろう。掲出句は、昭和四十七年の作。本来の端居と思われるが、石か。以前知人から、ヒトの興味は歳を重ねるに従って動から静に変わっていき最後は石にたどりつく、と聞いたことがある。翌四十八年に亡くなった作者、〈天地の一興月見草ひらく〉〈蜥蜴駆け大地太古をなせりけり〉〈五月闇神威古潭をすぎにけり〉など同年の句の中にあると、ふとその横顔を見たような気になるのだった。『城』(1974)所収。(今井肖子)


July 2672013

 波のなき水をひろげて錦鯉

                           鷹羽狩行

の短い詩形の中で、言葉の通念的な組み合わせはまさに陳腐な情緒しかもたらさないはずなのだが、そうはならない「奇跡」もときに起こる。波と水、水と鯉、錦鯉の華麗。これらは予定調和のつながりであり、錦という言葉であらかじめ説明されている装飾的華麗さである。その類型的詩興しかもたらさないはずの組み合わせが「なき」と「ひろげて」で手品のように新鮮な風景を構成する。「なき」と「ひろげて」は知の力。風景を知の力で再構成するのだ。澄んだ水の中の鯉の鰭のうごきが克明に見えてくる。こういう句をみると俳句の可能性、「写生」ということの可能性を信じないわけにはいかない。どんな大差がついた試合でも九回の裏のツーアウトまで大逆転の可能性は残されている。『十七恩』(2013)所収。(今井 聖)




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