七月もおしまい。8月7日は立秋。でも、これからが夏本番也。(哲




2013ソスN7ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3172013

 かたつむり口に這わせて微笑仏

                           ジェームズ・カーカップ

句は「Stone face of Buddha/on his gently-smiling lips/a snail is crawling」。カーカップはかつて東北大、日本女子大、他で英語を教えた親日家で知られたイギリスの詩人、劇作家で、連作詩「海の日本」がある。頭の運動にハイクを作ったという。原句を直訳すれば「ブッダの石の顔、そのやさしく微笑している唇の上をかたつむりが這って行く」となる。石仏の唇の上を這うかたつむり、石仏と微笑ーー三者の硬軟の取り合わせがポイントである。おもしろいというか、幾分なまぐさい。読んでいるほうも思わず微笑したくなるような光景である。掲句のスタイルに和訳したのは、俳句の国際化に貢献し、世界の俳句に詳しい佐藤和夫の試訳である。カーカップには「一日にリンゴ一個は医者いらず」という諺をもじって、「一日一つハイクを作れば医者いらず」と言っていたという。中原道夫の句集『蝶意』を英訳(共訳)している。かたつむりと言えば「舞へ舞へかたつぶり、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏みわらせてん……」という『梁塵秘抄』のうたがよく知られている。佐藤和夫『海を越えた俳句』(1991)所載。(八木忠栄)


July 3072013

 水を打つ曲りさうなるこゝろにも

                           笙鼓七波

辞苑によると打ち水とは「ほこりをしずめたり、暑さをやわらげたりするため、道や庭先などに水を撒くこと」とある。夏休みの夕方、水を打つ音が聞こえると、ふわっと空気がゆるみ、土や草木が香り立つ。夕立の匂いとも違う、やわらかい水の匂いを覚えている。打ち水には少々のこつがあり、ひとところに水が溜まるようではいけない。平らに平らに水を広げるようにして撒く。きらきらと太陽の光を弾きながら、放物線を描く水には見とれるような美しさがある。作者は打ち水によって生き返る庭や草花をみながら、わが身にも一滴の打ち水を与えて、心をしゃんと立て直したのだ。いっせいに打ち水をすれば、気化熱によって真夏の気温を2度下げられるという。7/23から8/23まで打ち水強化月間だそうなので、いざと腰をあげてみれば、東京の暮らしではまず柄杓がないことに気がついた。『花信風』(2013)所収。(土肥あき子)


July 2972013

 横にして富士を手に持つ扇かな

                           幸田露伴

士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して、「俳句」(2013年8月号)が「富士山の名句・百人百句」(選・解説=長谷川櫂)を載せている。掲句は、そのなかの一句だ。ゆっくり読み下していくと、富士山を横抱きにするなどは、どんな力持ちかと思えば、なあんだ扇に描かれた富士山だったのかという馬鹿馬鹿しいオチになっている。作り方としては都々逸と同じだ。長谷川櫂はこの句を「江戸文化にあこがれた文人の句」として紹介し、江戸時代の人々は富士に仲間のような親しさを覚えていたと書く。それが明治期になると富士は大日本帝国の象徴となってしまい、この句のような通俗性とは無縁の存在として「君臨」するようになった。そうした風潮へのいわば反発としてこの句をとらえると、馬鹿馬鹿しさの向うに、露伴の切歯扼腕的な息遣いが漏れてくるようで、面白い。世界遺産登録に大喜びしているいまどきの風潮のなかにこの句を放り込んでみると、そこにはまた別の皮肉っぽいまなざしが浮んでくる気がする。「富士山に二度登る馬鹿」と言ったのは、いつごろの時代の人だったのか。私は二度登った。(清水哲男)




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