2013N8句

August 0182013

 空蝉の薄目が怖い般若湯

                           須藤 徹

若湯とは僧侶が使う隠語で「酒」を表すという。この句は「飲む」という題詠句会で出された句だったと思う。俳句で兼題と言えば名詞か季語が多いのだか、この時は川柳人との合同句会で「題詠での動詞をどう扱うか」で両者の差異を探ろうと試みた。掲句では「飲む」を僧侶が飲む酒とその行為へ転嫁している。空蝉の「薄目」に見られることがお釈迦様の半眼に見られているような後ろめたさを感じさせる。「般若湯」の一語に隠れて「飲む」行為が隠されているわけで、それをどう読み解くかが鍵と言える。須藤さんの句は俳句への知識と自らの思想に裏打ちされた言葉が多く、おいそれと近づくのを許さない雰囲気があった。しかし、句会では私をはじめ多くの若手俳人が「般若湯」の意味を解せず、「銭湯の名前かと思った」という意見もあって大笑いになったが、そんな発言もおおらかに受け止めてくれる人だった。東京へ来て数知れぬ恩を受けたが、この数年言葉を交わす機会もなく逝ってしまわれたことに悔いが残る。『荒野抄』(2005)所収。(三宅やよい)


August 0282013

 赤と青闘つてゐる夕焼かな

                           波多野爽波

焼け空がだんだんと広がって行く。青空の方が、少なくなって行くが、そのさまを「闘つてゐる」と喩えた。表現に若さが感じられるが、緊張感のある作品である。一方、山口青邨に、「初空の藍と茜と満たしあふ」という句があるが、こちらの方は、おおらかな情景。両者の作風の違いもうかがえて面白い。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


August 0382013

 美術館より白日傘黒日傘

                           浦川聡子

み手それぞれの中に浮かぶ絵画の色彩と、ひとつまたひとつと開いてはゆっくりと行く日傘の白と黒、その対比が美しい。美術館より、ということは、作者はこれから美術展に行くところで、少し離れたところから出てくる日傘を見ているのだろうか。それとも、美術展を見終わって、その余韻の中で自身も日傘を開きつつ歩き出したのだろうか。いずれにせよ、白と黒を詠むだけで限りない彩りを感じさせる句だな、と印象深かったのだが、今回読み直したところ集中の前後の句から見て、秋それも深まった頃の作と思われる。それならきっと遠景、秋日傘に色濃く日が差し深い空の青に紅葉や黄葉が映えてますます美しい。分類は夏季になると思われ、立秋前の最後の一句とした。『眠れる木』(2012)所収。(今井肖子)


August 0482013

 たぬき寝の負ナイターを聞けるらし

                           水原秋桜子

本で初めてプロ野球のナイター試合が行われたのが昭和23年。秋桜子は、一高野球部の三塁手だったのでナイターを詠んだ句も多く、手元の『水原秋桜子集』(1984・朝日文庫)には16句所収されています。ナイター俳句の初出は、「ナイターの負癖月も出渋るか」で昭和34年。各球場にナイター設備ができ始め、それと歩調を合わせてTVナイター中継も始まり、電化の力によってプロ野球は一気に大衆化していきます。子どもも大人も野球ファンは、シーズン開幕と同時に一喜一憂の生活が始まり、秋桜子も、「ナイターのいみじき奇蹟現じたり」と喜んだり、「ナイターや論議つきねど運尽きて」とへこんだり。どちらかというと負け試合の句が多く、敗北の屈託が句作に向かわせるのでしょう。さて、掲句。ラジオで試合開始から聞き始めているわけですが、試合展開はジリ貧で勝ち目がない。そのまま不貞寝してしまっている態を家人は「たぬき寝」とみてるだろうな、と自嘲してみせる、敗者の屈託。(小笠原高志)


August 0582013

 息を吸い息吐くことも戦なり

                           暮尾 淳

悼句である。詠まれている伊藤信吉は、2002年8月3日に97歳で没した。作者はその伊藤と公私ともに親しく兄事した詩人だ。句は、次第に呼吸困難におちいってゆく伊藤の様子を描いているが、呼吸など意識したこともなかった私などにも、この句が少しわかりかけてきた。いかにもこの句が言うような「戦(いくさ)」は、そう遠い日のことではなかろうと、身体が先に納得しているような気がする。というのも、近年徐々に脚が弱ってきて、だんだん一歩一歩を意識させられるので、いずれはそれが呼吸器にも及ぶであろうと、身体が覚悟しているような気分があるからだ。いずれにしても、ほとんどの人がいつかは己の一呼吸一呼吸を意識させられるようになる。ああ、人間は呼吸して生きているのだ。とう変哲もない理屈に納得するときが、最期のときだとは……。盛夏の候、元気な人は元気なうちに人生を楽しんでおくべし、である。句集『宿借り』(2012)所収。(清水哲男)


August 0682013

 みんみんや子に足し算の指足らず

                           入部美樹

休みといえば宿題が思い出されるほど、課題には手を焼いた。算数や漢字のドリルを始め、読書感想文、絵日記、工作と、小さいながらよくやったものだ。繰り上がりや繰り下がりなどの計算と出会うのは小学一年生だろうか。初めての夏休みになんとも痛ましいことだが、いつかは乗り越えなければならない数字の概念の壁でもある。「指を使っちゃいけないといったでしょ」と若い母は繰り返し、子どもは幼い手をぎゅっと握りしめる。多くの母親は、わが子を愛するあまり、折々ほかの子と比較してそのわずかな差に押しつぶされそうになる。みんみん蝉の執拗な鳴き声が、思わず声を荒げてしまった母の後悔のように尾を引いて響く。子どもはみんな、ゆっくりゆっくり大人になればいい。『花種』(2013)所収。(土肥あき子)


August 0782013

 あくせく生きて八月われら爆死せり

                           高島 茂

和二十年の昨日、広島市に原爆が投下され、三日後の九日に長崎市に原爆が投下されたことは、改めて言うまでもない。つづく十五日は敗戦日である。二つの原爆忌と敗戦忌が日本の八月には集中している。掲句の「八月」とはそれらを意味していて、二つの「爆死」のみならず、さらに広く太平洋戦争での「戦死」もそこにこめられているだろう。二つの「原爆」の深い傷は今もって癒えることはない。三・一一以降セシウムの脅威はふくらむばかりである。それどころか、今まさに「安全よりお金を優先させる」という、愚かしい政治と企業の論理が白昼堂々とまかり通っている。「あくせく生き」た結果がこのザマなのであり、「爆死」の脅威のなかで、フクシマのみならずニッポンじゅうの市民が、闇のなかを右往左往させられている。そのことをあっさり過去形にしてしまう権利は誰にもない。戦中戦後を「あくせく生き」た市民たちにとって、死を逃がれたとはいえ「爆死」状態に近い日々だったということ。茂は新宿西口の焼鳥屋「ぼるが」の主人だった。私も若いころ足繁くかよった。ボリウムのあるうまい焼鳥だった。主人と口をきくほど親しくはなかったが、俳人であることは知っていた。壁に蔦がからんだ馴染みの古い建物そのままに営業していることを近年知って驚き、私は一句「秋風やむかしぼるがといふ酒場」と作った。かつて草田男や波郷もかよったという。文学・芸術関係の客が多く独特の雰囲気があった。茂の句は他に「ギター弾くも聴くも店員終戦日」がある。「太陽」(1980年4月号)所載。(八木忠栄)


August 0882013

 日の丸の白地に赤がかなしけれ

                           長澤奏子

いむかし「白地にあかく/日の丸そめて/ああ美しい/日本の旗は」と歌った思い出がある。今ネットで調べるとこの歌は明治44年作になっている。作られた時代背景を思うと、1910年の日韓併合の翌年になる。朝鮮半島を足掛かりに大陸へ出てゆく体制を作るうえでも国旗、国歌、国への忠誠をより強化する意図があったのだろう。日の丸の意味はその人の抱える経験、思想、信条によってもさまざまな意味に解釈されるだろう。本来、日の丸の赤は太陽を象徴しているそうだ。戦後廃されたが、昭和16年に作られた上記の一番に続く二番は「勢い見せて/ああ勇ましい/日本の旗は」日本の勢いにまかせて大陸に渡った155万以上の人たちは終戦とともに置き去りにされた。作者の場合は幼児期に上海に渡り、昭和21年3月に長崎に引き揚げ、その後は広島で暮らしている。「かなしけれ」と静かに呟いてはいるが、7歳での引き揚げ体験には筆舌に尽くしがたい思いがあっただろう。日の丸の赤があの戦争で流された血で染まっているように思える。『うつつ丸』(2013)所収。(三宅やよい)


August 0982013

 金魚玉とり落しなば鋪道の花

                           波多野爽波

魚玉は、玉状に造られたガラス器に金魚を入れ、軒先などに吊して涼を楽しむもの。この句、金魚玉を実際に落としたわけではない。「とり落し」+「な」+「ば」であって、「な」は完了の助動詞の未然形。「もし、落としてしまったら」という順接の仮定条件である。光景としては、金魚玉を提げて、鋪道を歩いているのだろうか。その時、ふと、淡い強迫観念のような心情が過ぎったのである。もし、この金魚玉を落としてしまったら、割れてしまい、金魚は、鋪道の花のようになるであろうと。作者の美意識と繊細な感受性が表れた作品である。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


August 1082013

 アルバムは燃やしてしまえ遠花火

                           樋口由紀子

者はひとり部屋の中で遠花火を聞いている。かすかな中に時折確かに響くその音に、昔家族で見た花火のことなど思い出されるのだろう。遠花火の音をきっかけによみがえってくる数々の記憶が、失ったものへの追慕となってやりきれない感情と共に、燃やしてしまえ、という強い言葉を生む。その口調の強さと遠花火の静けさとの対比が、作者の慟哭を際立たせているようにも思える。掲出句の数句前に〈父が逝く籠いっぱいに春野菜〉とある。しばらく時が経って季節が動いた頃ふと感じる淋しさ、娘にとって父親はやはり特別な存在なのだと、亡くしてみてわかるこの頃である。『樋口由紀子集』(2005)所収。(今井肖子)


August 1182013

 乾坤のこの一球ぞ甲子園

                           松本幸四郎

台上で見得を切る幸四郎、その人の句です。歌舞伎はもとより、演劇・映画でご活躍中ですが、なかでも、蜷川幸雄演出「リア王」の凋落ぶりと、デビット・ルヴォー演出「マクベス」の陰影のある演技が印象的です。もちろん、代表作「ラ・マンチャの男」は圧倒的ですが、この方の演技は、声が低くなった時も、はっきりと伝わってくる滑舌のよさと節回しの巧みさにあると感じてきました。聞くところによると大のジャイアンツファンで、球場に足を運ばれることもあるそうです。掲句は『仙翁花』(2009)に所収されている「甲子園六句」の中の一句。すり鉢状の球場で、四万人を超える視線は投手の投げる一球に、打者の打つ一球に、野手が捕獲する一球に、一点集中して注がれています。ふだんは舞台上で観客の視線を一身に浴びている作者が、甲子園球場では、マウンド場に向けて熱いまなざしを注いでいる。観客を熱くさせる役者であり続けるためには、まず、自身が熱い観客でなくてはならないということでしょう。今夏も甲子園から、千両役者が生まれることを祈ります。(小笠原高志)


August 1282013

 窓開けて残る暑さに壁を塗る

                           平間彌生

秋を過ぎてから、尋常でない天気がつづく。猛烈に暑いか、猛烈な降雨か。テレビなどでその理屈は知りえても、この異常な状態を招来している根本的な要因は、さっぱりわからない。東京あたりでは、いやまあその暑いこと。一昨日の武蔵野三鷹地区での最高気温は。38.3度。止むを得ず買い物に出たが、眩暈がしそうな炎天であった。ドイツから里帰りしている娘などは、「東京の残暑に会ひに来たやうな」(浅利恵子)と言っている。掲句の暑さも尋常ではないな。壁を塗るのには時間がかかるから、このときにほんの思いつきで作業をはじめたわけじゃない。何日も前から計画して、いざ実行となったわけだが、ある程度の暑さは覚悟の上ではあるものの、塗りはじめてみると汗が止まらない。むろん、心のどこかで「しまった」とは思うのだけれど、作業を中止するわけにも行かず、そのまま塗りつづけている。これ以上何も説明されなくても、読者にもこの暑さがボディブローのようにじわりじわりと効いてくる。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 1382013

 うぶすなや音の遅るる揚げ花火

                           村上喜代子

と光の関係を理解してはいても、夜空に広がった花火を目にしてから、その光が連れてくる腹の底に響くような音に身をすくめる。鉦や太鼓など大きな音が悪霊を追い払うとされていたことから、花火には悪疫退散の意味も込められていたことがうなずける。歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」の「両国花火」を見るとその構図はおどろくほど暗い。時代は安政5年。安政2年の大地震のあと、初めて開催された花火だといわれる。画面の半分以上が占められる夜空には鎮魂も込めて打ち上げられた花火の、火花のひとつひとつまで丁寧に描かれている。花火に彩られた夜空は、ふたたび漆黒の沈黙を広げる。それはまるで、なつかしい記憶をよみがえらせたあと、大切に保管するための重い蓋を閉じるかのように。〈三・一一赤子は立つて歩き初む〉〈ひぐらしは森より蝉は林より〉『間紙』(2013)所収。(土肥あき子)


August 1482013

 金魚売りの声昔は涼しかりし

                           正宗白鳥

在でも下町では金魚売りがやってくるのだろうか? 若いときに聞いた「キンギョエー、キンギョー」という昼下がりのあの売り声は妙に眠気を誘われた。今も耳の奥に残っているけれど、もう過去の風物詩になってしまった。クーラーのない時代の市井では、騒音も猛暑日も熱中症も関係なく、金魚売りののんびりとした声がまだ涼しく感じられたように思う。そう言えば、少年時代の夏、昼過ぎ時分になると自転車で鈴を鳴らしながら、アイスキャンデー売りのおじさんがやって来た。おじさんは立ち小便した手をそのまま洗うことなく、アイスボックスの中からとり出して、愛想笑いをしながら渡してくれた。それはおいしい一本五円也だった。風鈴売りもやって来たなあ。さて、車谷弘の『わが俳句交遊記』(1976)によると、昭和二十九年八月の暑い日、向島で催された作家たち(久保田万太郎、吉屋信子、永井龍男他)の句会に誘われた白鳥は、佃の渡しから隅田川を遡って出かけ、初めてのぞむ句会で一句だけ投じた。それが掲句である。披講のとき、小さな声で「白鳥……それはぼくだよ」と名乗った。林房雄が「うん、おもしろいな」と言ったという。「金魚売り」の句と言えば、草間時彦に「団地の道はどこも直角金魚売」がある。(八木忠栄)


August 1582013

 水際に兵器性器の夥し

                           久保純夫

のところ必要があって戦争に関する書籍を30冊余り読んだ。戦地から帰還できた人達の背中には遠い異国で戦死した人々の無念が重くのしかかっている。戦線の攻防は川や海で、繰り広げられる。戦闘が終わった水際に、戦死者の身体や武器が夥しく投げ捨てられている。戦いの終わったあとの静寂を戦死者の局部と打ち捨てられた武器の並列で言い放つことで、名前も過去も剥ぎ取られ横たわっている骸と水漬く兵器がなんら変わりのないことをえぐりだす。前線で命を落とすのは大上段から号令を発する上層部からは遠い名のない人間ばかりである。今回、さまざまな記録を読んでいたく考えさせられたが、幼い頃山積みにされた戦死者を写真で見たときのおびえをいつまでも忘れたくないと思う。『現代俳句一00人二0句』(2003)所載。(三宅やよい)


August 1682013

 夕焼の中に危ふく人の立つ

                           波多野爽波

焼けの中に立っている人の存在感を、「危ふく」と捉えた。実際には、立っていた人は、危なっかしげであったのではあるまい。「危ふく」感じたのは、作者自身の主観。危うかったのは、作者自身の精神状態であったのではないか。波多野爽波の作品には、しばしば、不安感を表出したものが見られる。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


August 1782013

 去る時が来る爽涼の滝の前

                           松尾隆信

涼は、爽やか、の傍題で初秋。滝は夏季だが、この句には初秋の風が吹いている。かなり長い時間を、滝の飛沫を浴びながら過ごしていた作者である。滝を間近で見続けていると不思議な感覚にとらわれる。一点を見ていると水の勢いが感じられるが、上から下へ水の動きを目で追っていると、白い水の塊が意外にゆっくり落ち続けていて、引きこまれそうになる。そして落ち切った水は何事もなかったかのように、一枚の静かな流れとなって滝を後にして行くのだ。滝からの涼風とは別の風に、季節が移って来ていることを感じている作者なのだろう。『美雪』(2012)所収。(今井肖子)


August 1882013

 月光を胸に吸い込む少女かな

                           清水 昶

さんの『俳句航海日誌』(2013・七月堂)が上梓されました。2000年6.13「今は時雨の下ふる五月哉」に始まり、2011年5.29「遠雷の轟く沖に貨物船」に終わる927句が所収されています。日付順に並ぶ一句一句が、海へこぎだすサーフボートのように挑み、試み、言葉の海を越えていこうとしています。所々に記された日誌風の散文は、砂浜にたたずんで沖をみつめるのに似て、例えば「現代詩が壊滅状態にある現在、俳句から口語自由詩を再構築する道が何処にあるのかを問わなければ、小生にとって一切が無意味なのです。」という一節に、こちらもさざ波が立ちます。句集では、「少年」を詠んだ句が10句、「少女」が7句。少年句は、「湧き水を汲む少年の腕細し」といった少年時代の自画像や「少年の胸に負け鶏荒れ止まず」といった動的な句が多いのに対し、少女句は、「ゆうだちに赤い日傘の少女咲く」「草青む少女の脚の長きかな」というように、そのまなざしには遠い憧憬があります。なかでも掲句(2003年8.19)は憧憬の極みで、少女は月光を吸って、胸の中で光合成をしているような幻想を抱きます。少年の動物性に対する少女の植物性。少女を呼吸器系の存在として、その息づかいに耳を遣っているように読んでしまうのは的外れかもしれません。ただ、この一句に翻弄されて、言葉の海の沖の向こうに流されました。ほかに、「『少年』を活字としたり初詩集」。(小笠原高志)


August 1982013

 秋暑しあとひとつぶの頭痛薬

                           岬 雪夫

んなにも暑さがつづくと、月並みな挨拶を交わすのさえ大儀になってくる。マンションの掃除をしにきてくれている女の人とは、毎日のように短い立ち話をしているが、最近ではお互いに少し頭をさげる程度になってしまった。会話をしたって、する前から言うことは決まっているからだ。出会ったときのお互いの目が、それを雄弁に語ってしまっている。こうなってくると、なるべく外出も避けたくなる。常備している薬が「あとひとつぶ」になったことはわかっているが、薬局に出かけていくのを一日伸ばしにしてしまう。むろん「あとひとつぶ」を飲みたいときもあるけれど、炎暑のなかの外出の大儀さとを天秤にかければ、つい頭痛を我慢するほうを選んでしまうのだ。こんなふうにして、誰もが暑さを避けつつ暑さとたたかっている。この原稿を書いているいまの室温は、34度。こういうときのために予備の原稿を常備しておけばよいのだが、それができないのが我が悲しき性…。「俳句」(2013年8月号)所載。(清水哲男)


August 2082013

 峰雲のかがやき盆は過ぎたれど

                           茨木和生

秋とは本当に名ばかりだと毎年のように思うが、俳句の世界ではその後はどんなに猛暑が続いても「残暑」「秋暑し」で乗り切らねばならない不自由が続く。そのなかで掲句の直球が心地よい。たしかにまごうことなき見事な峰雲がもくもくと出ているのだ。峰雲や入道雲とも呼ばれる通り、山に見立てられたり、大きな入道のかたちになぞらえたり、昔から親しんできた積乱雲は、雲のなかでももっとも背が高く、ときには成層圏にまで達することがあるという。若いときには8月といえば夏以外のなにものでもなく、夏が短いとさえ思っていたが、年を重ねるにつけ、夏の長さに辟易するようになってきた。掲句の下五の「過ぎたれど」には、「もう堪忍してよ」という弱音がちらりと感じられて面白い。ところで先日、積乱雲は海の上に出ているものか、山の向こうに出ているものか、と意見が分かれた。そして、それはふるさとの風景に大きく左右されていることに気づかされたのだった。〈青空のくわりんをひとつはづしけり〉〈くれなゐの色のいかにも毒茸〉『薬喰』(2013)所収。(土肥あき子)


August 2182013

 秋刀魚の目ひたすら遠し三尾買う

                           岡本敬三

三さんが私たちの余白句会に、何回かゲスト参加した時期があった。参加されなくなってしばらく経つなあと思っていたら、六月三日に亡くなったとの報に驚いた。以前は酒乱気味だったと聞いていたが、お会いした頃は目立ちたがらず、句会でも静かな存在だった。店先の秋刀魚であろう、その目に向けられたまなざしは静かに慈愛に満ちていて、「おいしそうに輝いているから買おう」という気持ちは、ここには働いていない。掲句を引用して、清水哲男は「秋刀魚を買うというごく普通の行為にしても、その底に、死んだ魚の目のありように触発されたからだと述べずにはいられない」とコメントしている。「一尾」ではなく、せめて「三尾」買ったところになぜかホッとできる。秋刀魚の「ひたすら遠」い目に惹かれて買ったのであろう。他に「君はただそこにいるのか茄子の花」という句があり、私には「茄子の花」に敬三自身が重なって感じられる。合掌。「ににん」51号(2013)所載。(八木忠栄)


August 2282013

 父と姉の藪蚊の墓に詣でけり

                           澤 好摩

盆には連れ合いの実家のある広島に帰り山のふもとにある先祖代々の墓所に詣でるのが習いだった。田舎の墓は都会の墓と違い藪蚊が多い。周辺の草を抜き、花を供え線香をあげる間も大きな藪蚊が容赦なく襲いかかってくる。掲句の墓もそんな場所にある墓なのだろうか。この句の情景を読んで明治28年に東京から松山に帰って静養した子規が、久しぶりに父の墓参りをしたときに綴った新体詩「父の墓」の一節を思った。「見れば囲ひの垣破れて/一歩の外は畠なり。/石鎚颪来るなへに/粟穂御墓に触れんとす。/胸つぶれつつ見るからに、/あわてて草をむしり取る/わが手の上に頬の上に/飢ゑたる藪蚊群れて刺す」故郷を離れてしまうと係累の墓を訪れることもままならず、久しぶりに訪れた墓の荒れた様は心に甚くこたえるものだ。遠くにある墓を思うことは故人を思うことでもある。今年の盆も墓参りに行けなかった。草刈もせず、お供えもしないまま過ぎてしまった。と、苦い思いを噛みしめている人もいることだろう。『光源』(2013)所収。(三宅やよい)


August 2382013

 セルの袖煙草の箱の軽さあり

                           波多野爽波

ルは、薄い毛織物で作った初夏の「単衣(ひとえ)」。セルの袖に煙草を一箱入れているのだが、その重みを「重さあり」と言わずに、「軽さあり」と表現したところが、一句の見所。作者の軽やかな心も、涼しげなイメージも伝わってくる。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


August 2482013

 ふれて紙の表か裏か天の川

                           佐藤文香

、天の川を検索して出てくる画像と、子供の頃見ていた天の川の印象はかなり違う。満天の星空を仰いだ記憶の中の天の川は、川というより確かにミルキーウェイ、白くうすく流れていて、あの天の川の向こう側からこっちが透けて見えるかな、と思ったほどだった。そのうち天の川の向こう側、つまり裏側は無いのだ、と学習する。目に見えていながら実体がない、掲出句はそんな理屈を言っている訳ではないだろうが、メビウスの輪など持ち出すまでもなく、ひょいと返したパンケーキは裏が表に表が裏に、表と裏はあやうく不確かな存在である。たとえば水彩画の画用紙、少しざらっとした方が概ね表だが表裏は別として、指にふれたその感覚だけは確かなものなのだ。『俳句』(2013年8月号)所載。(今井肖子)


August 2582013

 稲づまや浪もてゆへる秋津しま

                           与謝蕪村

夏は全国的な酷暑でした。それに伴って雷も多く、各地では、花火が中止になる被害もありました。私も落雷のため、小田急線に三時間以上、車内待機の夜がありました。稲妻は、古代より、稲に命を宿すはたらきがあると信じられてきたので、稲の妻と呼び習わされてきましたが、近年の研究では、雷が大気中の窒素の反応を促して、作物の生育に有用な化合物を田畑に落とすという考察があり、古代人の直観力のすぐれていたことに驚きます。掲句の「ゆへる」は、垣を結いめぐらす意で、「秋津しま」は日本の総称です。蕪村は、稲光りが一瞬、日本列島を照らし、四方の浪が垣根を作るように静止した瞬間をとらえています。昨年、NHKスペシャルで、人工衛星から見た雷の映像を見ましたが、蕪村はすでに、想像の中で俯瞰していたんですね。「蕪村句集」(1992・岩波文庫)所収。(小笠原高志)


August 2682013

 鳥渡とは鳥渡る間や昼の酒

                           矢島渚男

句には「鳥渡」に「ちよつと」と振り仮名がつけてある。「鳥渡」も、いまや難読漢字なのだろう。私の世代くらいまでなら、むしろこの字を読める人のほうが多いかもしれない。というのも「鳥渡」は昔の時代小説や講談本に頻出していたからである。「鳥渡、顔貸してくんねえか」、「鳥渡、そこまで」等々。「鳥」(ちょう)と「渡」(と)で「ちょっと」に当てた文字だ。同じく「一寸」も当て字だけれど、「鳥渡」はニュアンス的には古い口語の「ちょいと」に近い感じがする。それはともかく、この当て字を逆手にとって、作者はその意味を「鳥渡る間のこと」として、「ちょっと」をずいぶん長い時間に解釈してみせた。むろん冗談みたいなものなのだが、なかなかに風流で面白い。何かの会合の流れだろうか。まだ日は高いのだが、何人かで「ちょっと一杯」ということになった。酒好きの方ならおわかりだろうが、こ「ちょっと」が実に曲者なのだ。最初はほんの少しだけと思い決めて飲み始めるのだけれど、そのうちに「ちょっと」がちつとも「ちょっと」ではなくなってくる。そんなときだったろう。作者は誰に言うとなく、「いや、『鳥渡』は鳥渡る間のことなんだから、これでいいのさ」と当意即妙な解釈を披露してみせたのである。長い昼酒の言い訳にはぴったりだ。これは使える(笑)。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)


August 2782013

 いなびかり満たす塩壼砂糖壼

                           花谷和子

の句、切れるのだろうか。上五の「いなびかり」で切ると、雷による稲光のなかで、塩壼に塩を、砂糖壼に砂糖を満たす。日常の行為でありながら、稲光に照らされたことによって、どこか満たされない思いの代償としてのふるまいに見えてくる。と、ここまで書いてふと気づく。やはりこの句、一章なのではないか、と。すると塩壼、砂糖壼がいなびかりで満たされているというのである。こちらの方が断然面白い。どちらも真っ白でさらさらな形態ながら、味覚としてはまったく逆の性質を持つ。雷が稲を実らせるという信仰から「稲妻」という言葉は生まれた。その伝でいくと、稲光によって塩壼砂糖壼の中身はそれぞれふさわしいものへと姿を変えていくように思えてくる。〈ちから抜く森よいずこも木の実降り〉〈過去は過去透きとおるまで百合根煮て〉『歌時計』(2013)所収。(土肥あき子)


August 2882013

 夏終る腹話術師の声の闇

                           高橋修宏

形を抱いて愛嬌たっぷり登場する腹話術師、その唇をほとんど動かさずにしゃべるという珍しい芸に、子どもの頃から見とれて感心するばかりだった。パクパクする人形の唇と腹話術師の唇を、秘密を探るがごとく交互に見比べる。いまだにそうだ。もともとは呪術や占いとして使われ、紀元前五世紀頃にはギリシアの聖職者が腹話術を使ったりしたのだという。それが十八世紀頃から次第にショー化してきたという歴史があるようだ。現在の日本では芸人「いっこく堂」のすぐれた腹話術がよく知られている。彼は二体の人形も見事に使い分ける。日本腹話術師協会には三百人以上の会員がいるらしい。唇をほとんど動かさずに人形の言葉を発する芸には、感心してただポカンと見とれているわけだが、それを修宏は「声の闇」ととらえたところが、ただのポカンとはちがって緻密である。もともと呪術や占いとして発生したことを思えば、「声の闇」の神秘性には測り知れない奥行きがありそうだ。「夏終る」という季語と相俟って、その闇の神秘性を一層考えさせ、闇はむしろ素敵に深まるばかりではないか。他に「首都五月屈めば見ゆるされこうべ」がある。詩人にして俳人。『虚器』(2013)所収。(八木忠栄)


August 2982013

 ネクタイのとける音すずしい

                           岡田幸生

由律俳句である。5・5・4の構成で俳句を聞きなれた耳には、その字足らずが句の内容と相まって風通し良く感じられる。季語の「新涼」は少し爽やかな風を感じたとき、「涼し」は暑さの中に見出す涼気であるが、この句の「すずしい」はあくまで固いネクタイの結び目をとく音に付随したものだから、季語の本意とかかわりはないだろう。クールビズのいきわたった今は通勤電車を見渡してみてもネクタイをしていない人の方が多いが、ちょっと前までほとんどサラリーマンは夏でも背広にネクタイの暑苦しい姿で出勤していた。そう考えると一日中締めていた襟元を緩めて絹のネクタイをほどく音が涼しげに聞こえるのはこの季節ならではと思える。帯を解く音、ネクタイをとく音、シルクのワンピースの裾をさばく音、そういえば絹には「すずしい」音があるなぁと句を読んで思った。『無伴奏』(1996)所収。(三宅やよい)


August 3082013

 玄関のただ開いてゐる茂かな

                           波多野爽波

でもない光景のようだが、中七の「ただ開いてゐる」に注意。「開いてをりたる」ならば、単なる情景描写だが、「ただ開いてゐる」と表現すると、通常の空間は、異次元の空間に変化する。玄関の外には、虚無感ただよう生々しい茂りが広がっているのだ。何気ない日常から切り取られた風景は、作者の心の中で、不気味さを増している。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


August 3182013

 露の身を置く宮殿の鏡の間

                           大木さつき

の身、露の世、露けし、など人生の儚さにたとえて詠まれることの多い、露。未だそういう露の句は自分ではできないのだが掲出句の、露の身、には実感があるように思えた。栄華の歴史を象徴する美しい宮殿の大広間、壁も天井も鏡が張り巡らされているのだろうか。そんな異国の色彩の中に、ぽつんと映る自分の姿がある。しばらくそこに立っているうちにふと浮かんだ、露の身、であったのだろう。ドイツの旅十句のうちの一句、他に〈古城はるか座せば花野に沈みけり〉〈身に入むやみづうみにある物語〉など。『遙かな日々』(2007)所収。(今井肖子)




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