巨人に勝ち越した阪神。なんとか首位戦線に踏みとどまれた。(哲




2013ソスN8ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0582013

 息を吸い息吐くことも戦なり

                           暮尾 淳

悼句である。詠まれている伊藤信吉は、2002年8月3日に97歳で没した。作者はその伊藤と公私ともに親しく兄事した詩人だ。句は、次第に呼吸困難におちいってゆく伊藤の様子を描いているが、呼吸など意識したこともなかった私などにも、この句が少しわかりかけてきた。いかにもこの句が言うような「戦(いくさ)」は、そう遠い日のことではなかろうと、身体が先に納得しているような気がする。というのも、近年徐々に脚が弱ってきて、だんだん一歩一歩を意識させられるので、いずれはそれが呼吸器にも及ぶであろうと、身体が覚悟しているような気分があるからだ。いずれにしても、ほとんどの人がいつかは己の一呼吸一呼吸を意識させられるようになる。ああ、人間は呼吸して生きているのだ。とう変哲もない理屈に納得するときが、最期のときだとは……。盛夏の候、元気な人は元気なうちに人生を楽しんでおくべし、である。句集『宿借り』(2012)所収。(清水哲男)


August 0482013

 たぬき寝の負ナイターを聞けるらし

                           水原秋桜子

本で初めてプロ野球のナイター試合が行われたのが昭和23年。秋桜子は、一高野球部の三塁手だったのでナイターを詠んだ句も多く、手元の『水原秋桜子集』(1984・朝日文庫)には16句所収されています。ナイター俳句の初出は、「ナイターの負癖月も出渋るか」で昭和34年。各球場にナイター設備ができ始め、それと歩調を合わせてTVナイター中継も始まり、電化の力によってプロ野球は一気に大衆化していきます。子どもも大人も野球ファンは、シーズン開幕と同時に一喜一憂の生活が始まり、秋桜子も、「ナイターのいみじき奇蹟現じたり」と喜んだり、「ナイターや論議つきねど運尽きて」とへこんだり。どちらかというと負け試合の句が多く、敗北の屈託が句作に向かわせるのでしょう。さて、掲句。ラジオで試合開始から聞き始めているわけですが、試合展開はジリ貧で勝ち目がない。そのまま不貞寝してしまっている態を家人は「たぬき寝」とみてるだろうな、と自嘲してみせる、敗者の屈託。(小笠原高志)


August 0382013

 美術館より白日傘黒日傘

                           浦川聡子

み手それぞれの中に浮かぶ絵画の色彩と、ひとつまたひとつと開いてはゆっくりと行く日傘の白と黒、その対比が美しい。美術館より、ということは、作者はこれから美術展に行くところで、少し離れたところから出てくる日傘を見ているのだろうか。それとも、美術展を見終わって、その余韻の中で自身も日傘を開きつつ歩き出したのだろうか。いずれにせよ、白と黒を詠むだけで限りない彩りを感じさせる句だな、と印象深かったのだが、今回読み直したところ集中の前後の句から見て、秋それも深まった頃の作と思われる。それならきっと遠景、秋日傘に色濃く日が差し深い空の青に紅葉や黄葉が映えてますます美しい。分類は夏季になると思われ、立秋前の最後の一句とした。『眠れる木』(2012)所収。(今井肖子)




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