三鷹市では毎年、投下時刻に黙祷のためのサイレンが鳴ります。(哲




2013ソスN8ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0682013

 みんみんや子に足し算の指足らず

                           入部美樹

休みといえば宿題が思い出されるほど、課題には手を焼いた。算数や漢字のドリルを始め、読書感想文、絵日記、工作と、小さいながらよくやったものだ。繰り上がりや繰り下がりなどの計算と出会うのは小学一年生だろうか。初めての夏休みになんとも痛ましいことだが、いつかは乗り越えなければならない数字の概念の壁でもある。「指を使っちゃいけないといったでしょ」と若い母は繰り返し、子どもは幼い手をぎゅっと握りしめる。多くの母親は、わが子を愛するあまり、折々ほかの子と比較してそのわずかな差に押しつぶされそうになる。みんみん蝉の執拗な鳴き声が、思わず声を荒げてしまった母の後悔のように尾を引いて響く。子どもはみんな、ゆっくりゆっくり大人になればいい。『花種』(2013)所収。(土肥あき子)


August 0582013

 息を吸い息吐くことも戦なり

                           暮尾 淳

悼句である。詠まれている伊藤信吉は、2002年8月3日に97歳で没した。作者はその伊藤と公私ともに親しく兄事した詩人だ。句は、次第に呼吸困難におちいってゆく伊藤の様子を描いているが、呼吸など意識したこともなかった私などにも、この句が少しわかりかけてきた。いかにもこの句が言うような「戦(いくさ)」は、そう遠い日のことではなかろうと、身体が先に納得しているような気がする。というのも、近年徐々に脚が弱ってきて、だんだん一歩一歩を意識させられるので、いずれはそれが呼吸器にも及ぶであろうと、身体が覚悟しているような気分があるからだ。いずれにしても、ほとんどの人がいつかは己の一呼吸一呼吸を意識させられるようになる。ああ、人間は呼吸して生きているのだ。とう変哲もない理屈に納得するときが、最期のときだとは……。盛夏の候、元気な人は元気なうちに人生を楽しんでおくべし、である。句集『宿借り』(2012)所収。(清水哲男)


August 0482013

 たぬき寝の負ナイターを聞けるらし

                           水原秋桜子

本で初めてプロ野球のナイター試合が行われたのが昭和23年。秋桜子は、一高野球部の三塁手だったのでナイターを詠んだ句も多く、手元の『水原秋桜子集』(1984・朝日文庫)には16句所収されています。ナイター俳句の初出は、「ナイターの負癖月も出渋るか」で昭和34年。各球場にナイター設備ができ始め、それと歩調を合わせてTVナイター中継も始まり、電化の力によってプロ野球は一気に大衆化していきます。子どもも大人も野球ファンは、シーズン開幕と同時に一喜一憂の生活が始まり、秋桜子も、「ナイターのいみじき奇蹟現じたり」と喜んだり、「ナイターや論議つきねど運尽きて」とへこんだり。どちらかというと負け試合の句が多く、敗北の屈託が句作に向かわせるのでしょう。さて、掲句。ラジオで試合開始から聞き始めているわけですが、試合展開はジリ貧で勝ち目がない。そのまま不貞寝してしまっている態を家人は「たぬき寝」とみてるだろうな、と自嘲してみせる、敗者の屈託。(小笠原高志)




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