この暑さでは、ただゴロゴロして過ごすのにも体力が要る。(哲




2013ソスN8ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1082013

 アルバムは燃やしてしまえ遠花火

                           樋口由紀子

者はひとり部屋の中で遠花火を聞いている。かすかな中に時折確かに響くその音に、昔家族で見た花火のことなど思い出されるのだろう。遠花火の音をきっかけによみがえってくる数々の記憶が、失ったものへの追慕となってやりきれない感情と共に、燃やしてしまえ、という強い言葉を生む。その口調の強さと遠花火の静けさとの対比が、作者の慟哭を際立たせているようにも思える。掲出句の数句前に〈父が逝く籠いっぱいに春野菜〉とある。しばらく時が経って季節が動いた頃ふと感じる淋しさ、娘にとって父親はやはり特別な存在なのだと、亡くしてみてわかるこの頃である。『樋口由紀子集』(2005)所収。(今井肖子)


August 0982013

 金魚玉とり落しなば鋪道の花

                           波多野爽波

魚玉は、玉状に造られたガラス器に金魚を入れ、軒先などに吊して涼を楽しむもの。この句、金魚玉を実際に落としたわけではない。「とり落し」+「な」+「ば」であって、「な」は完了の助動詞の未然形。「もし、落としてしまったら」という順接の仮定条件である。光景としては、金魚玉を提げて、鋪道を歩いているのだろうか。その時、ふと、淡い強迫観念のような心情が過ぎったのである。もし、この金魚玉を落としてしまったら、割れてしまい、金魚は、鋪道の花のようになるであろうと。作者の美意識と繊細な感受性が表れた作品である。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


August 0882013

 日の丸の白地に赤がかなしけれ

                           長澤奏子

いむかし「白地にあかく/日の丸そめて/ああ美しい/日本の旗は」と歌った思い出がある。今ネットで調べるとこの歌は明治44年作になっている。作られた時代背景を思うと、1910年の日韓併合の翌年になる。朝鮮半島を足掛かりに大陸へ出てゆく体制を作るうえでも国旗、国歌、国への忠誠をより強化する意図があったのだろう。日の丸の意味はその人の抱える経験、思想、信条によってもさまざまな意味に解釈されるだろう。本来、日の丸の赤は太陽を象徴しているそうだ。戦後廃されたが、昭和16年に作られた上記の一番に続く二番は「勢い見せて/ああ勇ましい/日本の旗は」日本の勢いにまかせて大陸に渡った155万以上の人たちは終戦とともに置き去りにされた。作者の場合は幼児期に上海に渡り、昭和21年3月に長崎に引き揚げ、その後は広島で暮らしている。「かなしけれ」と静かに呟いてはいるが、7歳での引き揚げ体験には筆舌に尽くしがたい思いがあっただろう。日の丸の赤があの戦争で流された血で染まっているように思える。『うつつ丸』(2013)所収。(三宅やよい)




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