寝ている間もラジオをつけっぱなし。戦時中もそうだったっけ。(哲




2013ソスN8ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1482013

 金魚売りの声昔は涼しかりし

                           正宗白鳥

在でも下町では金魚売りがやってくるのだろうか? 若いときに聞いた「キンギョエー、キンギョー」という昼下がりのあの売り声は妙に眠気を誘われた。今も耳の奥に残っているけれど、もう過去の風物詩になってしまった。クーラーのない時代の市井では、騒音も猛暑日も熱中症も関係なく、金魚売りののんびりとした声がまだ涼しく感じられたように思う。そう言えば、少年時代の夏、昼過ぎ時分になると自転車で鈴を鳴らしながら、アイスキャンデー売りのおじさんがやって来た。おじさんは立ち小便した手をそのまま洗うことなく、アイスボックスの中からとり出して、愛想笑いをしながら渡してくれた。それはおいしい一本五円也だった。風鈴売りもやって来たなあ。さて、車谷弘の『わが俳句交遊記』(1976)によると、昭和二十九年八月の暑い日、向島で催された作家たち(久保田万太郎、吉屋信子、永井龍男他)の句会に誘われた白鳥は、佃の渡しから隅田川を遡って出かけ、初めてのぞむ句会で一句だけ投じた。それが掲句である。披講のとき、小さな声で「白鳥……それはぼくだよ」と名乗った。林房雄が「うん、おもしろいな」と言ったという。「金魚売り」の句と言えば、草間時彦に「団地の道はどこも直角金魚売」がある。(八木忠栄)


August 1382013

 うぶすなや音の遅るる揚げ花火

                           村上喜代子

と光の関係を理解してはいても、夜空に広がった花火を目にしてから、その光が連れてくる腹の底に響くような音に身をすくめる。鉦や太鼓など大きな音が悪霊を追い払うとされていたことから、花火には悪疫退散の意味も込められていたことがうなずける。歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」の「両国花火」を見るとその構図はおどろくほど暗い。時代は安政5年。安政2年の大地震のあと、初めて開催された花火だといわれる。画面の半分以上が占められる夜空には鎮魂も込めて打ち上げられた花火の、火花のひとつひとつまで丁寧に描かれている。花火に彩られた夜空は、ふたたび漆黒の沈黙を広げる。それはまるで、なつかしい記憶をよみがえらせたあと、大切に保管するための重い蓋を閉じるかのように。〈三・一一赤子は立つて歩き初む〉〈ひぐらしは森より蝉は林より〉『間紙』(2013)所収。(土肥あき子)


August 1282013

 窓開けて残る暑さに壁を塗る

                           平間彌生

秋を過ぎてから、尋常でない天気がつづく。猛烈に暑いか、猛烈な降雨か。テレビなどでその理屈は知りえても、この異常な状態を招来している根本的な要因は、さっぱりわからない。東京あたりでは、いやまあその暑いこと。一昨日の武蔵野三鷹地区での最高気温は。38.3度。止むを得ず買い物に出たが、眩暈がしそうな炎天であった。ドイツから里帰りしている娘などは、「東京の残暑に会ひに来たやうな」(浅利恵子)と言っている。掲句の暑さも尋常ではないな。壁を塗るのには時間がかかるから、このときにほんの思いつきで作業をはじめたわけじゃない。何日も前から計画して、いざ実行となったわけだが、ある程度の暑さは覚悟の上ではあるものの、塗りはじめてみると汗が止まらない。むろん、心のどこかで「しまった」とは思うのだけれど、作業を中止するわけにも行かず、そのまま塗りつづけている。これ以上何も説明されなくても、読者にもこの暑さがボディブローのようにじわりじわりと効いてくる。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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