我が家はただいまキャンプ状態。どんな時間にも誰かが起きてる。(哲




2013ソスN8ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1682013

 夕焼の中に危ふく人の立つ

                           波多野爽波

焼けの中に立っている人の存在感を、「危ふく」と捉えた。実際には、立っていた人は、危なっかしげであったのではあるまい。「危ふく」感じたのは、作者自身の主観。危うかったのは、作者自身の精神状態であったのではないか。波多野爽波の作品には、しばしば、不安感を表出したものが見られる。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


August 1582013

 水際に兵器性器の夥し

                           久保純夫

のところ必要があって戦争に関する書籍を30冊余り読んだ。戦地から帰還できた人達の背中には遠い異国で戦死した人々の無念が重くのしかかっている。戦線の攻防は川や海で、繰り広げられる。戦闘が終わった水際に、戦死者の身体や武器が夥しく投げ捨てられている。戦いの終わったあとの静寂を戦死者の局部と打ち捨てられた武器の並列で言い放つことで、名前も過去も剥ぎ取られ横たわっている骸と水漬く兵器がなんら変わりのないことをえぐりだす。前線で命を落とすのは大上段から号令を発する上層部からは遠い名のない人間ばかりである。今回、さまざまな記録を読んでいたく考えさせられたが、幼い頃山積みにされた戦死者を写真で見たときのおびえをいつまでも忘れたくないと思う。『現代俳句一00人二0句』(2003)所載。(三宅やよい)


August 1482013

 金魚売りの声昔は涼しかりし

                           正宗白鳥

在でも下町では金魚売りがやってくるのだろうか? 若いときに聞いた「キンギョエー、キンギョー」という昼下がりのあの売り声は妙に眠気を誘われた。今も耳の奥に残っているけれど、もう過去の風物詩になってしまった。クーラーのない時代の市井では、騒音も猛暑日も熱中症も関係なく、金魚売りののんびりとした声がまだ涼しく感じられたように思う。そう言えば、少年時代の夏、昼過ぎ時分になると自転車で鈴を鳴らしながら、アイスキャンデー売りのおじさんがやって来た。おじさんは立ち小便した手をそのまま洗うことなく、アイスボックスの中からとり出して、愛想笑いをしながら渡してくれた。それはおいしい一本五円也だった。風鈴売りもやって来たなあ。さて、車谷弘の『わが俳句交遊記』(1976)によると、昭和二十九年八月の暑い日、向島で催された作家たち(久保田万太郎、吉屋信子、永井龍男他)の句会に誘われた白鳥は、佃の渡しから隅田川を遡って出かけ、初めてのぞむ句会で一句だけ投じた。それが掲句である。披講のとき、小さな声で「白鳥……それはぼくだよ」と名乗った。林房雄が「うん、おもしろいな」と言ったという。「金魚売り」の句と言えば、草間時彦に「団地の道はどこも直角金魚売」がある。(八木忠栄)




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