August 172013
去る時が来る爽涼の滝の前
松尾隆信
爽涼は、爽やか、の傍題で初秋。滝は夏季だが、この句には初秋の風が吹いている。かなり長い時間を、滝の飛沫を浴びながら過ごしていた作者である。滝を間近で見続けていると不思議な感覚にとらわれる。一点を見ていると水の勢いが感じられるが、上から下へ水の動きを目で追っていると、白い水の塊が意外にゆっくり落ち続けていて、引きこまれそうになる。そして落ち切った水は何事もなかったかのように、一枚の静かな流れとなって滝を後にして行くのだ。滝からの涼風とは別の風に、季節が移って来ていることを感じている作者なのだろう。『美雪』(2012)所収。(今井肖子)
August 162013
夕焼の中に危ふく人の立つ
波多野爽波
夕焼けの中に立っている人の存在感を、「危ふく」と捉えた。実際には、立っていた人は、危なっかしげであったのではあるまい。「危ふく」感じたのは、作者自身の主観。危うかったのは、作者自身の精神状態であったのではないか。波多野爽波の作品には、しばしば、不安感を表出したものが見られる。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)
August 152013
水際に兵器性器の夥し
久保純夫
このところ必要があって戦争に関する書籍を30冊余り読んだ。戦地から帰還できた人達の背中には遠い異国で戦死した人々の無念が重くのしかかっている。戦線の攻防は川や海で、繰り広げられる。戦闘が終わった水際に、戦死者の身体や武器が夥しく投げ捨てられている。戦いの終わったあとの静寂を戦死者の局部と打ち捨てられた武器の並列で言い放つことで、名前も過去も剥ぎ取られ横たわっている骸と水漬く兵器がなんら変わりのないことをえぐりだす。前線で命を落とすのは大上段から号令を発する上層部からは遠い名のない人間ばかりである。今回、さまざまな記録を読んでいたく考えさせられたが、幼い頃山積みにされた戦死者を写真で見たときのおびえをいつまでも忘れたくないと思う。『現代俳句一00人二0句』(2003)所載。(三宅やよい)
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