7-0とリードすれば誰だって楽勝と思いますよ。ところが阪神は。(哲




2013ソスN8ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2182013

 秋刀魚の目ひたすら遠し三尾買う

                           岡本敬三

三さんが私たちの余白句会に、何回かゲスト参加した時期があった。参加されなくなってしばらく経つなあと思っていたら、六月三日に亡くなったとの報に驚いた。以前は酒乱気味だったと聞いていたが、お会いした頃は目立ちたがらず、句会でも静かな存在だった。店先の秋刀魚であろう、その目に向けられたまなざしは静かに慈愛に満ちていて、「おいしそうに輝いているから買おう」という気持ちは、ここには働いていない。掲句を引用して、清水哲男は「秋刀魚を買うというごく普通の行為にしても、その底に、死んだ魚の目のありように触発されたからだと述べずにはいられない」とコメントしている。「一尾」ではなく、せめて「三尾」買ったところになぜかホッとできる。秋刀魚の「ひたすら遠」い目に惹かれて買ったのであろう。他に「君はただそこにいるのか茄子の花」という句があり、私には「茄子の花」に敬三自身が重なって感じられる。合掌。「ににん」51号(2013)所載。(八木忠栄)


August 2082013

 峰雲のかがやき盆は過ぎたれど

                           茨木和生

秋とは本当に名ばかりだと毎年のように思うが、俳句の世界ではその後はどんなに猛暑が続いても「残暑」「秋暑し」で乗り切らねばならない不自由が続く。そのなかで掲句の直球が心地よい。たしかにまごうことなき見事な峰雲がもくもくと出ているのだ。峰雲や入道雲とも呼ばれる通り、山に見立てられたり、大きな入道のかたちになぞらえたり、昔から親しんできた積乱雲は、雲のなかでももっとも背が高く、ときには成層圏にまで達することがあるという。若いときには8月といえば夏以外のなにものでもなく、夏が短いとさえ思っていたが、年を重ねるにつけ、夏の長さに辟易するようになってきた。掲句の下五の「過ぎたれど」には、「もう堪忍してよ」という弱音がちらりと感じられて面白い。ところで先日、積乱雲は海の上に出ているものか、山の向こうに出ているものか、と意見が分かれた。そして、それはふるさとの風景に大きく左右されていることに気づかされたのだった。〈青空のくわりんをひとつはづしけり〉〈くれなゐの色のいかにも毒茸〉『薬喰』(2013)所収。(土肥あき子)


August 1982013

 秋暑しあとひとつぶの頭痛薬

                           岬 雪夫

んなにも暑さがつづくと、月並みな挨拶を交わすのさえ大儀になってくる。マンションの掃除をしにきてくれている女の人とは、毎日のように短い立ち話をしているが、最近ではお互いに少し頭をさげる程度になってしまった。会話をしたって、する前から言うことは決まっているからだ。出会ったときのお互いの目が、それを雄弁に語ってしまっている。こうなってくると、なるべく外出も避けたくなる。常備している薬が「あとひとつぶ」になったことはわかっているが、薬局に出かけていくのを一日伸ばしにしてしまう。むろん「あとひとつぶ」を飲みたいときもあるけれど、炎暑のなかの外出の大儀さとを天秤にかければ、つい頭痛を我慢するほうを選んでしまうのだ。こんなふうにして、誰もが暑さを避けつつ暑さとたたかっている。この原稿を書いているいまの室温は、34度。こういうときのために予備の原稿を常備しておけばよいのだが、それができないのが我が悲しき性…。「俳句」(2013年8月号)所載。(清水哲男)




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