娘と孫はドイツへ帰っていった。一挙にまた「日常」に戻る。(哲




2013ソスN8ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2582013

 稲づまや浪もてゆへる秋津しま

                           与謝蕪村

夏は全国的な酷暑でした。それに伴って雷も多く、各地では、花火が中止になる被害もありました。私も落雷のため、小田急線に三時間以上、車内待機の夜がありました。稲妻は、古代より、稲に命を宿すはたらきがあると信じられてきたので、稲の妻と呼び習わされてきましたが、近年の研究では、雷が大気中の窒素の反応を促して、作物の生育に有用な化合物を田畑に落とすという考察があり、古代人の直観力のすぐれていたことに驚きます。掲句の「ゆへる」は、垣を結いめぐらす意で、「秋津しま」は日本の総称です。蕪村は、稲光りが一瞬、日本列島を照らし、四方の浪が垣根を作るように静止した瞬間をとらえています。昨年、NHKスペシャルで、人工衛星から見た雷の映像を見ましたが、蕪村はすでに、想像の中で俯瞰していたんですね。「蕪村句集」(1992・岩波文庫)所収。(小笠原高志)


August 2482013

 ふれて紙の表か裏か天の川

                           佐藤文香

、天の川を検索して出てくる画像と、子供の頃見ていた天の川の印象はかなり違う。満天の星空を仰いだ記憶の中の天の川は、川というより確かにミルキーウェイ、白くうすく流れていて、あの天の川の向こう側からこっちが透けて見えるかな、と思ったほどだった。そのうち天の川の向こう側、つまり裏側は無いのだ、と学習する。目に見えていながら実体がない、掲出句はそんな理屈を言っている訳ではないだろうが、メビウスの輪など持ち出すまでもなく、ひょいと返したパンケーキは裏が表に表が裏に、表と裏はあやうく不確かな存在である。たとえば水彩画の画用紙、少しざらっとした方が概ね表だが表裏は別として、指にふれたその感覚だけは確かなものなのだ。『俳句』(2013年8月号)所載。(今井肖子)


August 2382013

 セルの袖煙草の箱の軽さあり

                           波多野爽波

ルは、薄い毛織物で作った初夏の「単衣(ひとえ)」。セルの袖に煙草を一箱入れているのだが、その重みを「重さあり」と言わずに、「軽さあり」と表現したところが、一句の見所。作者の軽やかな心も、涼しげなイメージも伝わってくる。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)




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